元々は「房主(ボウズ)」と書いていたみたいですね。
〈意味は、部屋の主(アルジ)というような意味合いだそうですよ。〉
それに対し特定の房(ボウ)〈※寺や部屋〉を持たずに流浪して歩む僧侶のことは、法師(ホウシ)と呼んでいたそうです。
◆坊主は一般的には剃髪(テイハツ※髪を剃ること)をしていましたが、法師は髪やヒゲを伸ばして流浪しながら修行を積んでいたようですね。
▽因みに小さな子どものことを坊主と言いますが、
実際には小僧の対義語が坊主なので、
本来は徳を備え悟りを得ようとしている立派な僧侶のことを指していたようですね‥。
▼ 昔の子どもは頭を丸坊主にしていたので
お坊さんに見た目が似ていることに加え、
・お茶の世界では雑役をしている若い者を茶坊主と呼んでいたため、そこから転じて〈小僧=坊主〉
となって子どもの事も坊主(ボウズ)と呼ぶようになったようですね。
●ところで何故お坊さんは頭を丸めているんだろう?
と思ったことってありませんか。
それは、頭を丸めることで髪に対する執着を取り除き、わずらう(何事にもこだわる)ことなく過ごすためなんだそうですよ。
個人的には、いつもキレイに頭を丸めることの方がこだわりを持っているようにも感じますけどね…。
むしろ、法師の方が(髪やヒゲを伸ばしほうだい)こだわりを捨てて苦行を積んでいるようにも思えるのですが…。
(清潔にすることは、人として大事なことではあると思いますが仏教ではそんなことに執着すること自体戒めているようですね。)
▼私は今週自宅療養となったのですが、
化学療法の副作用が出て、髪の毛が抜け始めて来たんですよ…。
少し長めにしていた髪の毛が少しずつ抜けて来たため、このままでは精神的にも良くないと思いたち(気にするようになり)、
本日 父にお願いして髪をバッサリと切って頭を丸坊主にしてもらったんですよ。(父は、道具の扱いが器用なのでお願いしました‥。)
丸坊主になった(鏡にうつった)自分を見ると
ホント自分とは思えないほど、とっても不思議な感じなんですよね。
◇それこそ自分を改めて見てみると、生まれ変わって拘り(コダワリ)を捨てたようにも思えてしまう、そんな気分になるから不思議なものです。(今まで抜け毛が気になっていたのが嘘のように吹っ切れた感じなんですよ。)
お坊さんらが修行のため多くの方が剃髪(テイハツ)するのが分かったようなそんな感じですね。(俗世界とは離れるようなそんな感じかな‥。)
私は男だから、そんなに悩むことなく髪をバッサリ切ることが出来たんだけど、
髪にこだわりを持っている女子だったならと考えると、言葉にならないくらい辛い出来事のようにも思えてきます。(生きる力を大きく失うほどに…)
改めて病気とは恐ろしいものだなって考えさせられましたね。
自分の想像を超える痛みや苦しみ、辛さが目の前を覆って、僅かな光さえもさえぎってしまう危険をも秘めているのだから…。
★この執着(生、死、病、老)を乗り越えてこそ、
人として大きくなり、遠くに見える明りを見出せるのかも知れませんね。
☆その光の方へ歩んだ者だけが人生を心穏やかに過ごすことが出来るようにも思います。
☆悟りに少しだけ近づいたような… そんな気が…(近付けるだろうか‥。) ☆ 
☆光の方へ‥☆