それでも君は呼吸を続けて

それでも君は呼吸を続けて

無我夢中で走り抜ける日々の徒然。

Amebaでブログを始めよう!

学校の人達に違和感を覚える。

言葉も、表情も、気持ちが悪い。

人がいけないとかいうより合わないのだ、単純に。

人の悪口を言うのも、無駄な馴れ合いも。

なんか流されそうになってたな、危なかったな。


スカイプ消した、ツイッターのアカウントも今すぐ消したい。

バイト先やさぎこーの人達とは言葉を選ばずとも話せるのに、学校じゃあまだ、きっと最後まで無理な気がする。

別にそれで嫌な思いもしていない。


何が幸せかって、ドキドキするかってよくわかってる。

好きなことを仕事にしたいけど、ドキドキすることは趣味でいいのかもしれない。きっと興奮しすぎて仕事にならないから。



血が滾るところにあなた達はいない。

血が滾るところに私はいたい。

私がバイトで観られるようなバンド(身内を含む)ってだいたい「ずっしり重い」か「すごい速い」に分けられるんだけど、大人に目つけられるのは後者ばかり。どっちが良いってわけじゃあないんだけど、後者のほうが「勢い」とか「初期衝動」とか才能チックなものを持っている気がするからなんだろう。この人達バンド好きでやってるんだなって、わかりやすいんだ。

でも、プロの人達はそんなこと考えさせない。場数とか経験もあるけど、もっともっと深いものがあるから、重さも速さも持てるんだろう。そういう質量を感じられるのがライブのいいところだ。音楽の質量を持たせたい。はー頑張らねば。

高3の夏だった。



その時までは頭で「考える」という行為をしたことがなかった。思考の「考」の部分がなくて、「思」の部分だけでも毎日暮らせていた。

でも、そうじゃないんだなって気付いた。


高2の冬にも壮大な病み期があったけど、その時は「どうして伝わらないんだろう」「なんでわかってくれないんだろう」と、周りのせいにしていた。自分がいけないと口では言っていたけど、100%自分が悪いとは思えなかった。ある先輩に「素直になれよ」と言われた時、非常に腹が立ったのはその通りだったからなんだろう。


伝わっていないというのは思い違いだったようで、周りの人達は私の無自覚な気持ちに気付いていた。その上で、その気持ちを否定されてしまった。

自分でもわかっていない感情を非難されるってわけのわからないことで、いつもなら逆ギレしているところだけど、その時はとてもとても悲しかった。毎日泣いていた。


一週間くらい泣き続けたら吹っ切れた。伝わったものが必ずしもYESで返ってくるわけじゃない。いや、あれはあの人なりのYESだったんだ。誰にだって、その人なりのYESがあるんだろう。もちろん、私にも。

そう思ったら何もかもどうでもよくなった。どうでもよかったから、良くも悪くもなるようにしかならなかった。

そうして夏は終わった。




あの時の私にも仲間達にももう二度と会えないのは、この前の同窓会ライブで痛いほど感じた。

だから、今の私を好きになれるように、好きになってもらえるようになりたい。


もっとかっこよくなるよ。


あわよくば、あなたもかっこよくなってね。