集団的自衛権の閣議決定が行われた。
各メディアはこの話題で、戦後の一大転機と評しているが、この数年の中国の対日攻勢や、世界のパワーバランスの変化を考えると、むしろ遅きに失したと言える。
また、街の声と称して、この件について真剣に考えてもいない市民のインタビューを流しているが、メディアとしては落第である。社会の木鐸を自認するならば、無関心の市民に対し、偏らない多くの情報を発信し、国のありかたを考えさせる報道に徹するべきである。この点で、安倍政権の動きが拙速であるなどとの評論は、いつなら良いとの対案もなく、単に市民の不安感をあおるだけのものであり、全く意味を成さない。
ここに至るまでの政府内の論議にしても、まことにまどろっこしいものであった。国民、というより一部左翼メディアの反発を避けるために、個別の案件を例示して説明に努めてきたが、進め方としては本末転倒である。行使可能な具体例を挙げれば、逐一、その例の細目の条件に議論が終始して本質が見えなくなってしまうし、全ての事例を事前に網羅することは不可能である。本来は原則行使容認と先に決めてから、行使できぬ条件を詰めるべきである。その方が議論の収束は早く、また全体像が見えやすい。国民の多くが懸念する海外の戦争、紛争に巻き込まれないかについても、一言の条件を加えれば済むことであり、国民にもわかりやすく、また、海外に対しても明快なメッセージとして発信できる。今回のプロセスでは、その辺が見えづらい。このことによる大きな問題は、後に国民が欺かれたとの意識を持ちかねないことと、海外でも解釈が分かれて日本の立場をはっきりと主張できなくなることである。
無論、安倍首相はそれを承知の上で、やむを得ず逆張りをしたのであろうが、恐らくこれからの国会議論では細目条件への矛盾点や懸念点を野党が突いてくるであろう。そうなれば益々、本質からは外れた議論に終始しかねない。残念ながら、野党のレベルは重箱の隅をつつく程度であり、国の将来への道筋を正面から議論できる論客はいない(党内で発言権のない若手の中にはいるであろうが… )。そんな野党の重箱の隅論議に臨んで、もし安倍首相が、ほんの少しでも相手の発言が議論に値しないとの態度を見せれば、左翼メディアは一斉に傲慢とのレッテルを貼りにかかるであろう。
国民としては、そんな表層のメディア報道に左右されることなく、冷静に国の行く末を考え自分の意見を持つことである。ここまでの集団的自衛権の報道・議論を見ていて、国民を馬鹿にしているメディアが多いと感じた。