またまた、久しぶりの書き込みです。
今回は、今でも時々ニュースとして取り上げられる“いじめ”についてです。
最近また、いじめによる中学生の自殺について度々ニュースで報道されています。「またか」という思いと同時に、憤りのような怒りのような感情が、悲しみと共に湧き上がってきます。
私の身近でも、これまでに自殺はありました。小中学校時代の友人の親、大学時代の友人、今の住居の近くにある中学校の生徒、そして実兄。これらの出来事も、私がカウンセリングをライフ・ワークとするに至った理由の1つです。
自死を選んだ人の辛さや苦しみ、そして孤独感に思いを馳せると、「死にたいと思う」ことと「実際に死ぬ」こととの間には大きな壁があるのを感じます。それは、死への恐怖心と、生きることへの執着心でしょうか。その厚い壁を壊して死ぬというのは、恐怖も執着も吹き飛ぶほどの想像を絶する苦しみだったのだろうと思います。あるいは、死んだら楽になれるという、根拠のない希望を抱くしかなかったのかも知れません。
私自身、中高生時代に死にたいと思ったことが幾度かあります。
それはどんな時かと言うと、自分で自分に価値がないと感じ、私がいることで周囲に迷惑ばかりかけていると思った時です。虐待やいじめを受け続けた場合も、そのような心理状態になりやすいと考えられます。
その反対に、自分には価値があると感じていて、周囲の人たちは自分の存在を喜んでくれていると思っていれば、死ぬことなどまず考えないでしょう。そして、自死する人の気持ちなど想像もつかないでしょう。頭がおかしくなったくらいに考えて、自分とは関係のないこととして忘れてしまうかも知れません。
私が自死を考えたのは、親から見捨てられ、誰からも愛されていないと思い込んでいた時です。でも私が自死を選ばなかったのは、心の中に死への恐怖と生への執着があったことにもよりますが、他の要因としては、自分の内にあるまだ表現されていない力を感じていたこと、将来に対する微(かす)かな希望を持っていたことが大きいと思います。
その後、20歳を過ぎてから死にたいという気持ちは全くなくなったのですが、それは、私の価値を認めてくれ、私の存在を喜んでくれる人が現れたことによります。やはり、人は他者から愛され認められてこそ、生きる力や喜びを感じるのだと身を持って実感しました。他者とのそういう関係がないと、生きるのが辛くなり、生きる力を失っていくように思います。
いじめは相手に苦痛や恐怖を感じさせる行為であり、愛や承認とは全く反対のものを与えることになります。そして、被害者の生きる力を奪い、喜びや安心とは反対の苦しみや不安を感じさせるものです。相手の人生を狂わせる犯罪だと言っていいでしょう。
20年ほど前、大河内清輝くんという中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺しました。
清輝くんの両親が彼の遺書をマスコミに公開したことで話題になり、全国から両親のもとに多くの手紙が寄せられました。その手紙の内容には、自分もいじめを受けて苦しんでいるというもの、いじめを受けていることを親に言えない心情について説明したものなどがあり、その1通1通に清輝くんの両親は心を込めて返事を書いたそうです。
そして、手紙や電話でのやりとりによって気持ちが楽になった子供たちや、自殺を思いとどまった人たちもいて、ご両親は救われた思いになったといいます。
また夏休みには、全国から子供たちが大河内さん宅に泊まりに来て、現在も交流が続いているということです。
いじめは子供たちだけの問題ではありません。
人をバカにしたり、人の欠点を笑いものにしたり、他者を感情を持たない物のように扱う大人がいます。また、自己の利益のために人を利用したり、お金目当てに人をだましたりする大人もいます。パワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントといった問題も多く聞かれます。子供の問題は、大人社会の問題でもあります。
核家族化が進み、夫婦だけ、親子だけのつながりが増えています。1人暮らしの人も増えています。親戚付き合いは希薄になり、近所付き合いもあいさつ程度が当たり前になってきています。このような社会状況の中で、夫婦関係や親子関係がギクシャクして、職場での人間関係にも悩み、生きるのがしんどいと感じている人たちが増えているように思います。
心のしんどさは身体のしんどさよりも耐えるのが困難です。誰かに話しを聞いてもらい、理解してもらえる人は幸いですが、誰にも言えず、独りで解決しようともがいている人は大変だと思います。精神的な症状で病気休職する人が毎年のように増えているのは、こういう所にも原因があるのではないでしょうか。
人と人のつながりや命と命のつながりを取り戻し、子供たちを社会全体で守り育てることを目指したいと思っています。子供たち同士のつながりも大切です。そして、利益追求ではなく、人間の価値や生命の尊厳を追求していきたいものです。
こんな大きなことを言っていても、小さなことしかできない自分ですが、小さなことを大切にしたいと思います。1人1人が小さな善を心がけ、それを実行していけば、大きな力になると思います。
今回は、今でも時々ニュースとして取り上げられる“いじめ”についてです。
最近また、いじめによる中学生の自殺について度々ニュースで報道されています。「またか」という思いと同時に、憤りのような怒りのような感情が、悲しみと共に湧き上がってきます。
私の身近でも、これまでに自殺はありました。小中学校時代の友人の親、大学時代の友人、今の住居の近くにある中学校の生徒、そして実兄。これらの出来事も、私がカウンセリングをライフ・ワークとするに至った理由の1つです。
自死を選んだ人の辛さや苦しみ、そして孤独感に思いを馳せると、「死にたいと思う」ことと「実際に死ぬ」こととの間には大きな壁があるのを感じます。それは、死への恐怖心と、生きることへの執着心でしょうか。その厚い壁を壊して死ぬというのは、恐怖も執着も吹き飛ぶほどの想像を絶する苦しみだったのだろうと思います。あるいは、死んだら楽になれるという、根拠のない希望を抱くしかなかったのかも知れません。
私自身、中高生時代に死にたいと思ったことが幾度かあります。
それはどんな時かと言うと、自分で自分に価値がないと感じ、私がいることで周囲に迷惑ばかりかけていると思った時です。虐待やいじめを受け続けた場合も、そのような心理状態になりやすいと考えられます。
その反対に、自分には価値があると感じていて、周囲の人たちは自分の存在を喜んでくれていると思っていれば、死ぬことなどまず考えないでしょう。そして、自死する人の気持ちなど想像もつかないでしょう。頭がおかしくなったくらいに考えて、自分とは関係のないこととして忘れてしまうかも知れません。
私が自死を考えたのは、親から見捨てられ、誰からも愛されていないと思い込んでいた時です。でも私が自死を選ばなかったのは、心の中に死への恐怖と生への執着があったことにもよりますが、他の要因としては、自分の内にあるまだ表現されていない力を感じていたこと、将来に対する微(かす)かな希望を持っていたことが大きいと思います。
その後、20歳を過ぎてから死にたいという気持ちは全くなくなったのですが、それは、私の価値を認めてくれ、私の存在を喜んでくれる人が現れたことによります。やはり、人は他者から愛され認められてこそ、生きる力や喜びを感じるのだと身を持って実感しました。他者とのそういう関係がないと、生きるのが辛くなり、生きる力を失っていくように思います。
いじめは相手に苦痛や恐怖を感じさせる行為であり、愛や承認とは全く反対のものを与えることになります。そして、被害者の生きる力を奪い、喜びや安心とは反対の苦しみや不安を感じさせるものです。相手の人生を狂わせる犯罪だと言っていいでしょう。
20年ほど前、大河内清輝くんという中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺しました。
清輝くんの両親が彼の遺書をマスコミに公開したことで話題になり、全国から両親のもとに多くの手紙が寄せられました。その手紙の内容には、自分もいじめを受けて苦しんでいるというもの、いじめを受けていることを親に言えない心情について説明したものなどがあり、その1通1通に清輝くんの両親は心を込めて返事を書いたそうです。
そして、手紙や電話でのやりとりによって気持ちが楽になった子供たちや、自殺を思いとどまった人たちもいて、ご両親は救われた思いになったといいます。
また夏休みには、全国から子供たちが大河内さん宅に泊まりに来て、現在も交流が続いているということです。
いじめは子供たちだけの問題ではありません。
人をバカにしたり、人の欠点を笑いものにしたり、他者を感情を持たない物のように扱う大人がいます。また、自己の利益のために人を利用したり、お金目当てに人をだましたりする大人もいます。パワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントといった問題も多く聞かれます。子供の問題は、大人社会の問題でもあります。
核家族化が進み、夫婦だけ、親子だけのつながりが増えています。1人暮らしの人も増えています。親戚付き合いは希薄になり、近所付き合いもあいさつ程度が当たり前になってきています。このような社会状況の中で、夫婦関係や親子関係がギクシャクして、職場での人間関係にも悩み、生きるのがしんどいと感じている人たちが増えているように思います。
心のしんどさは身体のしんどさよりも耐えるのが困難です。誰かに話しを聞いてもらい、理解してもらえる人は幸いですが、誰にも言えず、独りで解決しようともがいている人は大変だと思います。精神的な症状で病気休職する人が毎年のように増えているのは、こういう所にも原因があるのではないでしょうか。
人と人のつながりや命と命のつながりを取り戻し、子供たちを社会全体で守り育てることを目指したいと思っています。子供たち同士のつながりも大切です。そして、利益追求ではなく、人間の価値や生命の尊厳を追求していきたいものです。
こんな大きなことを言っていても、小さなことしかできない自分ですが、小さなことを大切にしたいと思います。1人1人が小さな善を心がけ、それを実行していけば、大きな力になると思います。