「悲劇にすらならぬ」
どうやら悩みとは尽きるものではないらしく、ここんとこずっと心が暗鬱としているわけだが、わたしは人生の一時期、「あ~悩みてぇ~、恋愛だとか、嫁姑だとか、人間関係だとか、今の仕事が本当にやりたい事かどうか?とか、そういうちゃんとした事で・・・人間らしく生々しく青臭い事で、悩んでみてぇな~」なんて本気で思っていた時期があり、寝ても覚めても破れたポケットからこぼれ落ちる借金の利息の事ばかりに思考が囚われていたので、なるほど、これが「悩みだ!」とある意味・・・望んでいた通りになったのだなと歓喜・・・それは自分のストレス耐性を少し超えるものではあるけれど「悩み」と認識する事でそれらはまぁ、取るに足りないこととして分類されるというメリットがあり、例えば「余命三ヶ月」なら、それはもう「悩み」とは言わないと思うのだ。
・・・な事を考えながら私は四つん這い。土下座の姿勢。後頭部を黒いストッキングの女に踏まれて「ご挨拶」しておりました。こういう状態のもと、わたしは妙に哲学的(か?)になったりするのです。
やたらと弁護士だとか司法書士だとかの事務所が多く、そのくせ全体的に暗く、清潔感のない十三のビジネス街のマンションの一室。わたしはそれなりに恥ずかしい形で緊縛されておりました。こういう所謂M行為と謂うのはつまるところ日常の自我からの解放・・・見栄もプライドも、束の間棄ててしまう事で癒しを得る行為だと思うのですが、私の場合は逆で、行為中はさらに感覚が研ぎ澄まされ、内省的になるのです。つくづく自分が自分たらしめられていくのです。
「豚野郎」て・・・
あ~女よ。なんと浴びせかける言葉がベタなのでしょう。
わたしは突如醒める。
最低最悪の変態で学歴はおろかセンスまでないのだから救いようがありません。人間としてどう?あなたは時折、わたしの事を椅子として扱いますが、あなたには生涯いろんな意味でリクライニングを倒せる事はないでしょう(うまい?全然?)なんて考える事は、ある意味、究極のS行為だなと・・・わたしはついゾクゾクしてしまいキャンタマにまで鳥肌をたてておりました。
え?
そんな女にいきなり「出てけ」言われたので多少怯む。
わたしはなおも四つん這い、肛門に団扇の柄をつっこまれて、腰を左右に振り振り、女を扇ぎつつ自らの前立腺を刺激しながら、鼻息荒くフんガフんガあえいでいた暑い昼下がりの午後でございました。
最初は野外での羞恥プレーの事をのたまっているのかと思ったが、 どうやらそうでもないらしい。団扇を抜いてもらって(その際、「キャン!」て鳴いてしまったのは不覚だが)、「はーい」と言って部屋を出る。手切れ金のつもりだろうか、女が床に放り投げた財布から金を全部抜いた二万七千円也。部屋から徒歩五分のところにある熟女ヘルスで軽くヌいて(それはそれで結構よかった)、二軒隣の餃子屋で瓶ビールを二本抜いたら女がくれた金はあと一万円になっておりました。
(法的な精算をしたので)借金もない(つかもうどこも貸してくれない)が預金もない。ですが抜いて呑んで、呑んで抜いてした後、わたしは万能感に包まれる。人間の喜びって他に何かありましたっけ?享楽的で良いのだ。人間は人間である前に動物なのだ。もっと欲望に忠実であるべきなのだ。
わたしは他にやる事もなく、阪急梅田まで出て、大阪駅から環状線に乗り込み、隣に座った男が小さくなって「週刊大衆」の袋とじを破いているのを蔑視しつつ(いや、それを破る時、男は少年に戻る事をわたしは知っていますよ。袋とじを破るのはとてもピュアな行為なのです)、「桜ノ宮」ってなんかエロい名前の駅やな・・・などと考えていたのでした。
つづく