ゆとり教育などというのは、誰が考え出した発想なのでしょう。かつて、ゆとりローンなんて言葉もありましたが、どちらも共通点は、目先は楽だけれども、あとでしんどい、ということのようです。ゆとり教育のほうは、目先、週休二日制になって、しかも主要教科の勉強時間が減って、楽になったのですが、それは公立校だけの話で、半分くらいの私立校が、まだ週休一日制を採用している中で、彼らと競争しなくてはならないわけで、結局、学力格差をつけられてしまう、というよりも学力差が拡大するという目にあう可能性大です。ゆとりローンというのも、最初の、月当たりの返済額はすくなくてすむ、というやつで、逆に言うと、だんだん年を経るうちに、その返済額が増えていくわけで、ほとんどの会社が年功序列を採用していた時代はいいですが、だんだんそれが崩れようとしている現在、それどころか、自分が失業してしまうかもしれない、という不安を抱えている現在、この美名のうちにある、実態のありように、なんともいえぬものを感じます。ゆとり教育もゆとりローンも、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれていた、バブルの絶頂期に発想されたものなのでしょう。そのころ日本は絶頂期にあったので、何もそんなに、子供のころから詰め込む必要はないではないかというわけです。私もこの論理には大賛成です。でも、日本の入試制度は、詰め込みだけで乗り切れるほど甘いものではなく、かなりの知的訓練を必要としていることも知らなくてはいけないと思います。世界のトップレベルの教育水準にあった日本が、少しずつその地位を後退させていることも憂慮すべきでしょう。おそらくは、ゆとり教育を生み出した官僚たちは、今の日本のあえいでいる姿は、予想だにしていなかったに違いありません。そのころ、私も、今日の日本の姿は想像だにしていませんでした。ただ、官僚たちの問題は、走り出したら、ストップがきかないということです。諫早湾の例を出すまでもなく、今の実情に合わなくなった、昔作ったプロジェクトであっても、彼らは、必ず、プランどおり実行しなくては気がすまないようです。おかげでこれから学ぶ子、あるいは、教える先生方にその矛盾が押しかぶせられることになるわけです。
かたい話はこれだけにしましょう。ただ、このことから個人が学ぶことといえば、政府が、あるいは、人々が、あるいは、業者が、美しい言葉を語りだしたとき、そこから、一歩引いてみるというスタンスを、時々持つ必要が、私たちには、あるのではないかということです。私が申し上げていることも、皆さんの実体験と重ね合わせて、お考えいただければ、と思います。
そういえば、最近よく耳にする、「問題先送り」というときの「先送り」。内容的には、「ゆとり」とほぼ同じ意味のように思われます。「先送り」をきれいな言葉で飾ると、「ゆとり」となるのでしょうか。