ヤマシタトモコ、といえば。 | OG:LIFE

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アニメと写真のおはなし

コミックス作品は既出単行本すべてそろえてしまったという、私お得意の「まっしぐら」な嵌り方をしているBL漫画家ヤマシタトモコ先生。

ヤマシタトモコ作品といえば?

こう聞いたら真っ先にどんな回答が返ってくるんでしょうか。


ヤマシタトモコさんのマンガは写植の台詞外の台詞、効果音、会話や独白の独特のテンポなど特徴としてあげたいものは山ほどあるのですが、その中でも特に携帯についてチラっとぼやきを。


ヤマシタトモコさんの作品には「くいもの処明楽」から携帯がかなり重要な役割を果たしていると思います。ほとんどの作品で出てきますよね。

携帯なしでは成り立たない作品もあります。
「Re:hello(レスポンス・トゥ・ハロー)」(「恋の話がしたい」収録作品)というタイトルもメールのタイトルになっています。
ゲイな叔父さんに初恋をして告白できないまま失恋して以来恋ができなくなってしまった少女・夏実。
描かれているのは主に叔父さんの家での夏実と叔父さんの会話のやりとり。

叔父さんは何年もの間好きだった相手の再来を待ち続けているのですが
去られた経緯が酷なものだったため、相手の返事が怖くて送れずに未送信のままの何通ものメールが蓄積されていました。
同性愛ということは抜きに考えて、たとえば好きといえずに結果的に失恋したけれど友情関係が続いている異性の友達が自分にいたとして、こういう展開になったらすごい切ないな・・・あ、でもたぶん私もきっとこういう事件を起こすに違いないなとふと考えてしまいました。

ヤマシタトモコさんの話はしあわせな話でも切なくて泣けちゃうんですよね。好きになる過程で絶対一回「告白しても叶うほうが難しいから告白なんてできない」っていう葛藤が出てきて。

あ、携帯の話してたんでしたね。

他にも、「恋の話がしたい」収録作品ではタイトル作品でもメールのやりとりで「浮かれている」とか携帯のメール文章を必死に考えてたりとか、”そういうのラブい”とか言われちゃって。
あーなんか身に覚えがありますよありすぎますよ!っていうこのちまちまとした行動に対する地味な共感度の高さがたまらないです・・・(笑)
最後に書き下ろしで収録されている「昔の話はしたくない」や「息をとめて」(「タッチ・ミー・アゲイン」収録作品)では、”拒否”的な表現で携帯をいじる行動がでてきています。
自分といる時に四六時中携帯気にしている人は「ああ、来たくなかったのかな、嫌なのかな、興味ないのかな」と思うわけなのですが、そういった「サイン」を出す人間が私の勘違いでなく、確かに存在するのだなとマンガを読んで安心したと同時にがっかりきた(笑)まあ、あれだ、芥さんはほんとに芸術肌のヒトだよなーっていう話(笑)そしてあれだ、きっと自分も時に誰かに対してやってるんじゃないかと思ってそれにもがっかりくるんです。痛々しいお話です・・・お恥ずかしい(笑)
nuotatore nel cantero!は悩みぬいた末携帯を”殺す”という行動に出てしまったり。
私は友達に送ったメールを読み返して「ああ最低だ私」と激しく後悔して返信が恐ろしいとかいう意味で携帯を沈黙させてたことはあるので近しいところまでは共感レベルはきてるんじゃないかなと(笑)

BL漫画の私的バイブル化している「くいもの処明楽」では、牧さんに二人の関係を感づかれ、鳥原が牧さんにお説教的な感じで語られているシーンで着信ですごいタイミングで明楽さんから電話がかかってくる。
これに「じゃ電話かかってきてるんで」的な態度をとったら鳥原の性格が変わっちゃうんじゃないかというくらいここで牧さんと真剣に話をするために携帯電話を置くという行動が描かれていることは結構重要なことなんじゃないかなと思います。
きまずさももちろんあるしね(笑)こいういうところが鳥原っぽい!


あ、あと!携帯の画面が絶対手書きなのには拘ってるんじゃないだろうか。あれが写植化されてたら多分そこまでグっとこないんだろうな。きっと。


携帯メールでまめにやりとりするのは非常に女子の共感率が高いのか、この携帯効果(?)について触れている人、少なくないみたいです。でもそれくらいほんとに効果として効いているポイントってことですよね。


ちなみに全く関係ないですがそろそろ携帯のフォルムが美的なものとは程遠くなりすぎてくるくたびれ度なのでいい加減変えたいな、と思いつつそんな出費はできないなとうだうだしている自分がいます。そんな今日この頃。