母親のがんとお受験(2)夫へのバトンタッチ | 39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

消化器内科医 緩和ケア医 2児の母 
39歳で子宮頸癌と診断されました。
それからの経験がどこかで何かの役に立てられればと思い、綴ります。
癌の手術や化学療法などの治療に挑む方。
小さな子どものママで癌を患った方。
医師としての自分、母としての自分に。

 

今回は↓ブログ記事の続き。

 

 

母親の癌発覚により、一旦途絶えたお受験勉強だったが、娘自身の意思により再開することに。

 

とはいえ、私が生きている間には、こどもたちの笑顔や生き生きしている姿をできるだけたくさん見ていたい。小学校受験のための勉強などを本人がやりたくない時に無理にさせたり、親子でイライラすることはもう絶対したくなかった。

 

だから、勉強を再開するタイミングは娘に決めてもらった。

彼女は「9月になったらやる」と言った。

 

9月に娘と夫がスムーズに勉強を始めるため、8月中に、私にしかわからないような状態になっていた膨大な教材を整理した。

これが、娘のお受験に関して行った、私の最後の仕事だった。

 

 

にしても、娘は本当に9月になったら自分から勉強を再開するのか?

 

9月1日

「どうする?自分で言っていた9月になったけど、〇〇小学校に行くための勉強、またやる?」

 

「やるよ」

 

大好きなリカちゃん人形ごっこをする時のように目を生き生きとさせてやるわけでは、もちろんない。だけど、彼女は自発的に勉強を再開した。

 

 

再開するタイミング、夫がやる気を見せていた。

娘の勉強の面倒は「俺がやる」と。

驚きだった。

なぜなら夫はこれまでお勉強に完全ノータッチだったからだ。

 

 

隣で問題文を読んだり、丸つけをしたりして付き合う父親と娘。

私はその様子を耳で聞きながら、長男の相手をして遊んだ。

なんと気楽なことか。

 

 

また10日間以上のブランクがあったにもかかわらず、娘はお勉強の内容をあまり忘れていなかった。1週間対策を休んだだけで、ものすごく後戻りしてしまうこともあると聞いていただけに、意外だった。

 

 

我が家のお受験の本番は10月の後半から11月。

だから、9月はもう準備のヤマ場。

お受験対策の幼児教室でも「この時期は親のピリピリもピークに達する時期ですが、お子様のために女優になって乗り切りましょう」なんてことを言われる。

もし私が癌になっていなかったら今頃「一瞬たりとも無駄にできないのよ!」と目を釣り上げ、青筋を立てていたことだろう。私は女優になんかなれなかったと思う。

 

「お受験」なんてまだ幼い子供にガミガミ言ってまですることじゃないと頭ではわかっていても、一度は夫婦2人でよく考えて「この子のためにはこれがいい」、と思って決めたことだと思うと、その達成のために大人の理屈でこどもにタスクを課してしまう。

 

そのタスクを、こどももノリノリで取り組めるような声かけややり方で楽しくできれば全く問題ないのだろう。色々と工夫はしてみたが、調子が狂うと喧嘩になってしまっていた。

 

娘にも申し訳ない気持ちだったし、お受験の準備が楽しいものにできない自分の不甲斐なさで苦しかった。

 

 

しかし、癌になって、その苦しみは瞬時にリセットされた。

本人がやる気を持った時だけすればいい。とにかくこどもには生き生きと元気に毎日を過ごしてほしい。

 

そんなこどもの気分任せのノリでは志望校への合格が困難なことはわかっていた。

ただ、「試験」というものを経験するだけで、貴重なこと。彼女の意思で再開したなら、結果が不本意でも、彼女の中でなんらかの経験として残るだろう。

 

 

それに夫は、今までの私のお受験に対する狂気的な様子に嫌気さえ見せていたのだから、夫に交代すれば、きっと穏やかに楽しく進めてくれるだろう。

ワンオペ生活で夫1人でできることも限られているのだし、できる範囲でやってもらえたらそれでいい。

 

 

夫に全てを託し、私は入院した。
 

 

手術の日、

夫は、手術の待機中に、病院内のカフェで第一志望校の願書を清書したらしい。

願書には、結構な分量の志望動機等の文章を書かなければならなかった。綺麗な字、一文字の間違いも許されないこの作業。

 

 

手術時間は、予定8時間程。

予定通り、終わった。

無事、願書も完成したと。

指にできたペンだこの写真が送られてきた。

 

 

正直、それからしばらく私自身はお受験のことなど考える余裕などあまりなかった。手術、痛み、熱… 今自分の身体が乗り越えるべきことで精一杯の毎日。

電話のできるデイルームまで歩けなかったり熱が出て体が思うように動かなかったから、家族とゆっくり話すこともできなかった。

 

 

しばらくたって、やっと夜LINE電話をする時間がコンスタントに取れるようになった頃。

その電話で「パパがすぐ怒るんだよね〜」と娘が不満を漏らし始めた。

 

 

知らない間に、夫もかなり指導に熱が入ってきてしまったらしい。ワンオペでいっぱいいっぱいになっているストレスもあるだろう。

お受験勉強中、娘を叱ったり、

イライラしてキツイことを言ってしまったりしているらしい。

 

夫の気持ちが痛いほどよくわかった。

というより

「今までの私の苦労がやっとわかったかい…」

という思いだ。

 

仕事の後、夕飯、お風呂、寝るまでの時間に息子の世話もしながら、1時間以上確保して、お受験の勉強の相手をする。なかなかうまくいかない。

 

 

同じ状況に身を置いたら、夫だって同じようになるとわかって

なんだかホッとさえした。

 

 

ただ、娘にとっては好ましい状況ではない。

私は夫に「ほどほどでいいんだからね」

とクールダウンしてもらうよう促した。

 

 

そんな中、夫の素晴らしかったところは、娘本人に「〇〇小学校に行きたい」というモチベーションを持たせ続けたことだ。

 

休日に、その学校を見に行ったり、校歌を聞かせたり、制服を見せたり。「この学校に行ったらこんなこともできるよ」ということも上手に話してコロナ禍で学校見学などの行事が軒並み中止になる中、イメージ戦略でどんどん娘の気持ちを上げられたのはすごい。娘はだんだん「〇〇学校に行った自分の姿」などを絵に描くようにもなっていた。

 

 

結果、娘の負けず嫌い気質も合間って、勉強は「大変だけど頑張るのだ」と毎日のタスクを夫と喧嘩をしながらも達成していったようだった。

 

 

第一志望の試験日の前日。

夫が、動画を送ってきた。

彼女は号泣しながら何か訴えていた。

ど、どうした??

 

 

「お母さん、お父さん今まで勉強一緒にやってくれてありがとう〜ありがと〜ありがと〜ううううう……(号泣)」

 

 

志望校の試験を翌日に控えて勉強を終え、感極まったらしい。

夫も涙ぐんでいたようだ。

 

 

小さな彼女が’’自分のために親が勉強を一緒になって頑張ってくれた’’という意識や、試験前日に「やりきった」という達成感を持てたのだ。

娘に誇らしい気持ちが湧いた。

その涙にはきっと意味があるだろう。

 

 

と同時に、

いやいや、「今まで」って勉強はこれで終わりじゃなくて、小学校入ってこれからなんだけど、、、?

という一抹の不安。

 

 

もっと「勉強って楽しい、もっとやりたい!」なんて思ってくれるのが最良の形だと思うが、我が家はそういう風にはいかなかった。その責任の大部分は私なのだけど。

 

 

動画の様子に複雑な心境を覚えつつも、母親不在の間に頑張った彼女たちには尊敬の念しかない。

 

 

試験当日朝、私は病院で自撮りしたビデオメッセージで励ました。お受験という世界からすっかり離れた私には、夫が感じているだろうその緊張感がリアルな実感として湧かなかった。

もし私が癌にならずに、あのままお受験対策をやっていたら、どんな状態でこの日を迎えていただろう。

 

ただ、彼女が頑張った成果が出てくれることを願うばかりだ。

 

 

彼女は本番で普段通りのことができる性格だということが今回のお受験を通してわかった。ニコニコしてリラックスした様子の当日朝の写真が夫から送られてきた。

試験も滞りなく受けられたようだ。

本人から聞くに試験の出来具合は微妙なところだ。

 

 

「お受験」は、色々と家族にストレスをもたらしたが、結果、娘の性格を注視し理解することができたし、夫婦がどういう方針で子どもを育てたいかを話し合う機会になったことは、とても良かったことだ。

 

 

 

お受験の合格発表を見る仕事は私に託すと、ネットで合格発表を見るためのQRコードが夫から入院前に渡されていた。

 

 

合格発表は試験から5日後。

前日からドキドキしていた。

 

 

私は、当日合格発表の20分前にスマホとQRコードを握りしめデイルームに移動した。

 

 

結果は、不合格だった。

 

 

その結果が目に入り、思わず涙が溢れてきてしまった。

娘と頑張った、1年あまりの思い出がわーっと思い出された。

癌がわかって、娘の意向も聞かずに一旦はやめようとしてしまったお受験。しかし、娘の意思で再開し、頑張りぬいた彼女のことを思うと、悔しい無念な気持ちだった。

 

 

デイルームで1人泣いてしまっている私に、通りかかった入院中のご婦人が何も言わずにそっと肩に手を当てて去っていった。デイルームは昼間普段から人が少ないから少し驚いたが、少し我に返った。

 

 

すぐに夫に報告の電話をした。

「そっか…、そっか…、悔しいなあ」

夫は噛みしめるようにそう言った。

 

 

 

しばらく夫と話している間に、気持ちは落ち着いてきた。

 

娘にこのことをどう伝えるか。

それがこれから親にとっての重要な問題だ。