手術の日のこと(2) | 39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

消化器内科医 緩和ケア医 2児の母 
39歳で子宮頸癌と診断されました。
それからの経験がどこかで何かの役に立てられればと思い、綴ります。
癌の手術や化学療法などの治療に挑む方。
小さな子どものママで癌を患った方。
医師としての自分、母としての自分に。

手術室で麻酔から目覚めてすぐに

 

 

時計を見た。

 

 

朝一番に始まった手術。

予定通り癌を取ることができていれば夕方までかかるはずだ。

しかし、お腹を開いたはいいものの、癌による播種で摘出が難しい状況ならそのまま閉腹になるため、予定よりずいぶん早い昼ごろの終了になるだろうと思っていた。

事前に医師にそう言われていたわけではないけれど。

 

 

時計は夕方18時20分ごろを示していた。

 

 

あーよかった!!

播種はなかったんだ!

ホッとした。

 

 

ベッドで寝たまま手術室から運び出されると、夫がいて私に言った。

「手術は成功だって!ちゃんと取れたって!」

 

 

夫は朝から夜まで、専用のPHSを持って手術が終わるのを病院の中で待ってくれていたわけだが、後で聞くと、夫も昼ごろに電話が鳴ったらどうしよう!と思って何も手につかなかったらしい。

 

 

それにしても

麻酔から覚めた瞬間に室内の時計を探して時間を確認するとは。

 

 

8時間近くかかった手術の麻酔から目が覚めた時って

もっとぼーっとしているのかと思っていた。

 

 

手術の終わる時間が運命の分かれ道だという手術前の切迫感のまま目覚めたのかもしれない。

 

 

病棟の自分の部屋に帰って来てから、次の日の朝までは

…辛かった。

 

たくさんの管が体についている。

酸素マスク

点滴

ドレーン

尿道カテーテル

背中に入っている痛み止めのチューブ

血栓予防のため脚を圧迫する機械

 

 

時計やスマホは手に届くところにない。

それに、(実際には声が出せるのに)どうやって声を出したらいいかわからないような感覚があって、看護師さんに聞くこともほとんどしなかった。

 

だから一晩、時間がわからないまま天井や壁を見つめて耐えた。

 

 

発熱による悪寒や発汗。

身の置き所のない感じ。

お腹の傷の痛み。

手術で神経を切った影響で左脚は思うように動かせない。

 

 

私にはその時2つのライフラインだけがあった。

右手には背中から痛み止めを入れるボタン

左手にはナースコールのボタン

 

 

2つのボタンを握りしめ、時々、痛み止めのボタンを押して凌いだ。今が0時なのか4時なのかもわからないまま、暗い中 天井と壁を見ていた。