その数年後、東日本大震災の前になるが、O男も関東から四国の新宅へ移ってきた
妹Q子からO男に間質性肺炎の診断下るとの一報を受け、N男が迎えに行ったのである
それからしばらくの間、O男の療養通院にN男は送迎につきあった
Q子はN男にいう 「もし特発性間質性肺炎なら・・・余命もそれほど長くないかもしれない」と
N男は思う もし自分がその立場なら、残る余生は好きにさせてほしいと
O男の療養が一段落したが、酒の好きなO男はD子の徹底した管理生活に耐えられなくなった
そうしてN男が再び関東に車で父O男を送りもどすことになった
その後、O男の高齢の母R子が九州で逝去した
正直、O男よりR子が先に亡くなったことにほっとした それまでR子はO男にまかせきりだったからである
この頃まではO男がまだ元気に見えた