N男はその頃、まだ迷いが残っていた
D子とO男との夫婦仲は冷え込んではいたが、離婚に至るまでには至らなかった
D子とO男の夫婦仲はN男幼少から既に始まってはいた
何度も離婚の危機があった
一度は幼少のN男をおいて里に帰った(E男B子宅)こともあったという
挙げ連ねたらきりがないので割愛するが、子供の目を通しても決して良好とはいえなかった
むろんN男の結婚観に影響が出たのはいうまでもない
これは一種の投資と割り切った つまり新築はD子の駆け込み寺として協力するのだと
N男は再び自力で蓄財再開した 守銭奴と思われても致し方ない
・・・さて、しばらく、数年を経て・・・D子の協力をG子が拒否し始めた もとよりD子にG子の面倒を見る事を代行してもらっていたのだ
つまらない理由が発端で関係悪化したのだが、N男が無視出来ぬ程に至った
ことここに至っては致し方ない
事態を放置したわけでも無かったが、遠方の大阪に居てはどうにもならなくなった
後ろ髪を引かれる思いで、親に孝養をつくすためという理由で職を辞し、大阪を後にしたのであった