日経ネット5月26日に以下の記事が掲載されました。


 26日午前6時15分ごろ、東京都港区海岸3の路上に止まった車の中に「女性が倒れている」と近くの会社員から110番があった。警視庁三田署員が運転席でフリーアナウンサーの川田亜子さん(29)が死亡しているのを発見した。車内には練炭が置かれ、遺書が残されており、同署は自殺とみている。
 調べによると、後部座席の練炭2個には燃えた跡があり、運転席の窓はビニールテープで目張りされていた。遺書には家族への感謝の言葉が書かれていたという。
 川田さんは2002年にTBS入社。07年3月に退社し、フリーアナウンサーとして活躍。最近のブログでは体の不調を訴える記述が目立っていた。 (11:43)
[5月26日/NIKKEINET]


筆者の不勉強の所為か、数多くの番組に出演されていたはずの川田亜子さんは私の記憶の中に無い。少し、彼女について調べてみたが、9.11の同時多発テロの際ニューヨーク在住でWTC攻撃を目撃し、この事件でジャーナリストへの道を考えるようになり、アナウンサーになったそうである。念願のTBSに入社するも、バラエティ番組のイメージが強く、目標としていた、「NEWS23」のキャスターにはなれないと考え、フリーアナウンサーに転進したようである。運も実力もあったのであろう「サタデースクランブル」で、念願の報道キャスターに抜擢されたし、「鳥越俊太郎 医療の現場」のMCとして出演していた。目標としていた人物は人物は安藤優子と櫻井よしこと言うことである。5月辺りから体調がおかしかったようである。
素人が発言するのはどうかと思うが、筆者はうつ病歴10年以上である。うつ病の顕著な症状は早朝覚醒、睡眠障害、うつ状態ということもあるが、健忘も1つの症状である。まず、文章が理解できないのである。文字は頭の中に入ってくるが何を書いてあるかさっぱり分からないのである。そして、客先からAタイプとBタイプの兼用プログラムを作って欲しいといわれたが、私は自分がAタイプのプログラムを作った記憶がごっそり抜け落ちているのである。自分が書き残したドキュメントやプログラムから自分は確かにAのプログラムを作っていたのである。川田亜子さんがどんな理由からどんな病気になったかは筆者は知らないが、うつ病であれば、さぞ台本を読むことに苦労したであろう。台本は頭に入らないのである。また、睡眠障害のために眠剤が処方されるが、眠剤は短期のマイスリーであっても、朝残るのである。そしてろれつが回らなくなるのである。筆者がうつ病がひどくなり会社を辞めて、状態が良くなり再就職しようとしてもうまくいかない。その時、ろれつが回らないことを家族から指摘された。私は眠剤を多用していたのである。ろれつが回らないことはアナウンサーにとっては致命的な問題である。不規則な職業のため、薬の時間配分もうまくいかないのでろれつが回らないことは多々あったと思う。そして、番組がうまくいかない度に(うまくいかなかったと思い込んでいたのかもしれない)自分を責めたであろう。そして、20代後半という年代も作用する。私は28歳の時骨髄バンクに登録した。自分の社会における存在意義を確かめたかったからである。川田亜子さんの年齢も丁度自分が骨髄バンクに登録したときと重なる。自分の存在価値に疑問を持つ時期というのも人生の通過儀礼である。そして、27歳から30歳まで女性は苦しい時期を迎える。新入社員が入社してくる時、特に男性社員が入社してくる時、女性としての存在意義を考えてしまうのである。配偶者がいようが彼氏がいようが関係なく、自分の年齢に焦りを感じるのである。(何故か30歳過ぎるとそんな気持ちはつき物が落ちるようになくなっていくのであるが。)
彼女は仕事が減っているのを気にしている。もし、彼女がうつ病ならば本来は睡眠をとって休まなければならない状態であり、友人の励ましや思いやりは礼儀正しい彼女にとっては期待に答えければという重荷になってしまったと思う。
ところで、川田亜子さんはカウンセリングにかかったのだろうか?どんな病気、体調不良でも、適切なカウンセリングを受けていればと私は思うのである。
私はうつ病と付き合いながら、不妊治療を乗り越え、出産した。(ホルモンの関係で、妊娠、出産後の1年間はうつ病は症状が出ないのである。)わが子を見ながら、出産の喜びも知らず、29歳と言う若さで夭折した川田亜子さんに遺憾の意を覚えずにはいられないのである。

2008年12月28日掲載