最近、アダルトビデオを見るのが苦痛になってきた。
単純に年齢が上がるとともに性欲が減退してきたというのもあるかもしれないが、それだけではなさそうだ。
いったいなぜだろう。
ちょっと考えてみた。
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まず、「性欲」という名前の女の子を想像していただきたい。
彼女は気まぐれで、じゃじゃ馬で、自分勝手でわがままな女の子である。
本当に、気まぐれで、じゃじゃ馬で、自分勝手でわがままなのだ。
彼女は、自分のテンションが上がると、僕の都合なんておかまいなしに好き放題やりだす。
僕が仕事に専念したいときに、「ねえねえ、なんか退屈になっちゃった。一緒に遊びましょうよー」と駄々をこねだしたりする。
こっちは彼女と遊んでいられる状況ではないので、なんとか彼女を制そうとするけれど、テンションが上がってしまった彼女を落ち着かせるのは本当に骨が折れるのだ。
たいていはこちらの気持ちなど意に介さず、じたばたじたばたと暴れだすことになる。
こうなるともう彼女は手がつけれらない。
本当に困ったものである。
でも、昼間いつも彼女に邪険にしてしまっているので、僕としても申し訳ない気持ちはある。
なので、たまに夜は早く家に帰って、酒でも酌み交わしながらゆっくりと話をしたいな、と思うわけだ。
そして、ふだんは買わないようなちょっと高価なワインと、ふだんは買わないようなちょっと高価なチーズを手土産に、揚々と自宅へ向かう。
しかし、こんなとき、自宅に帰ると彼女はたいていベットでぐうぐうと眠りこけている。
そして、僕がどんなに彼女の目を覚まそうと努力をしてもまず目を覚ますことはない。
彼女も、若かったころはずいぶん遅くまで起きていて、深夜までわいわい遊んでいたものだが、年齢を重ねるにつれて、すぐ眠ってしまうようになったし、一度眠りについてしまうと僕の力だけで目を覚まさせるのはほとんど不可能なのだ。
しかたなく、僕はひとりでワインをグラスに注ぎ、チーズを切り分けると、薄暗いリビングで音も立てずに黙々とそれを味わう。
とてもわびしい気分だ。
高価なワインも、高価なチーズもこれではまるっきりありがたみがない。
だが、彼女を起こす方法が、ないわけではないのだ。
ここで、「ポルノ」という名前の男の子を想像していただきたい。
彼は力が強くて、よく通るバリトン並の声を持ったマッチョな男の子である。
僕が、どんなに声を大きくして彼女に呼びかけても彼女はぴくりともしないのに、彼が一声かけると彼女はたちどころに目を覚ましてしまう。
これはまったくびっくりするくらいだ。
一体どんな魔法を使ったのかと思う。
ただ、そんな彼のおかげで、僕と彼女はその後めでたくランデヴーとなる。(なんのこっちゃ)
そんなわけで、若いころの僕にとって、彼は救世主のように見えたし、なんの疑いもなく彼のことを信用していた。
そして、僕と、彼女と、彼の三人で生活していくことは、とても自然なことのように思えた。
僕は彼女を求めていたし、彼はその手助けをしてくれていた。
いつのまにか、この不思議な三角関係が僕の生活の一部になっていたのだ。
けれど、長いこと彼と付き合っていると、彼の嫌な部分がどうしても目に付いてくる。
学生のころはほとんど気にもならなかったことが、今はどうにもがまんできないのだ。
どうにも、彼の社会から少しずれたような、ボヘミアンな雰囲気が鼻についてしかたがない。
彼がある種アウトローなやり方で生活の糧を得ていることを僕は知っている。
すなわち、人々の欲望を手のひらの上で転がし、ある場面では人をだましたり、人の弱みにつけこんだりしている。
それが、彼にとって当たり前になっているのだ。
それは、正しいことではないように思うし、人生のあり方として何か間違っている気がする。
僕が学生だったころは、彼のそういう気質を知りつつもそれほど気にならなかったものだ。
そういう人生を僕は送ろうとはまるっきり思わないけれど、それを積極的に否定する理由もないのではないか、と。
でも、学生生活を終え、社会人として生活していくうちに、自分の視座が以前とくらべて徐々にシリアスな方向へとシフトしてきた。
自分がしている「労働」と、彼がしている「労働」を同じ土俵に上げて考えると、彼の「労働」はひどく歪で間違ったことのように思えてくる。
彼の人生を思うと、ひどく空しい気持ちになるのだ。
本当に、空しい。
そうすると、彼という人間を受け入れること自体が、だんだんと難しくなってくる。
しかし、そんな風に思いつつも、僕と彼女と彼の奇妙な三角関係はいまだに続いている。
そしてそれは、僕にとってももちろん心地よい状況とはいえない。
そして、これが正しい状態だとも思えない。
でも、それをわかってはいても、僕はこの奇妙な三角関係からいつまでたっても抜け出せないのだ。
それは、
バミューダトライアングル
のように、僕の人生を閉じ込めている。
悩ましいカラダ。
悩ましいトライアングル。
このトライアングルはとても堅牢で、内側からはどんなことをしても開けることができない。
外から誰かが手を差し伸べてくれるのをひたすら待つしかないのだ。
外を歩く誰かを呼びとめ、説得し、外側についた鍵をがちゃりと開けてもらうしか。
このトライアングルは、僕以外の多くの独身男性が抱えている悩みの種だと思う。
多くの男性たちは、この悩ましいトライアングルに閉じ込められたまま、僕と同じようにもがき、苦しんでいるはずだ。
ある人は、トライアングルの中から、「助けてくれ」、と大声を上げ、だれかれかまわず呼び止めているのかもしれない。
ある人は、声を出すことすらあきらめてしまったのかもしれない。
そして、ある人は閉じ込められて辛酸を舐めながらも、運命の人が通りかかるのをひたすら待ち続けているのかもしれない。
そこには色んな選択肢があるだろう。
けれど、そのトライアングルに閉じ込められること自体は、決して心楽しい経験ではないはずだ。
だれにとっても。
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そんなわけで、僕はアダルトビデオを見るのが苦痛なのである。
悩ましいカラダ。
悩ましいトライアングル。
この呪縛は、なかなか解けそうにない。
[追記 ―――「彼」について]
「彼」はもともとそんなに悪い人間ではなかった。
けれど、人々の様々な欲望が彼と結びつくことで、彼はその異常性を加速度的に高めていった。
僕としては彼のそんなところを見たくはなかったけれど、そんな彼を止めるには僕はあまりにも非力だ。
彼はこの世界の至るところで増殖を続けている。
病原菌が自己分裂を続けるように、そこかしこを荒らしまわっている。
彼の存在はひどく歪で、みんな彼の存在の歪さに気付いているけれど、だれも彼の増殖を止められない。
なぜなら、彼は人々を彼が作り出したトライアングルの中に閉じ込めてしまうから。
閉じ込められた人々は、彼なしでは生きていけなくなってしまうのだ。
そうすると、麻薬中毒者とバイヤーとの関係のように、不公平な主従関係がそこには発生する。
人々は、倫理的に間違っていると気付きつつも、彼に従ってしまうことになる。
これは、悲しいことだ。
本当に悲しいことだ。
コンビニの本棚にも、僕らは彼を見つけることできる。
TSUTAYAでDVDを物色しているときも。
ネットサーフィンしているときも。
TVを見ているときも。
夜、歓楽街を歩いているときも。
このブログのコメントに、ひょっこりと顔を見せることもある。
彼らは、削除しても削除してもまたすぐ姿を現す。
悲しいことである。
僕は、彼のことが決して嫌いだったわけではなかったんだ。
僕は、僕と彼女と彼とで温かい時間を過ごしたことを思い出す。
それは、疑いなく心楽しい経験だった。
決して忘れることのできない経験だ。
けれど、今たまに彼を見かけると、彼はしばしば病的で、攻撃的な側面を垣間見せる。
そのことが、僕を果てしなく悲しくさせる。
人類が誕生してから、何千年も何万年も、僕らは彼とともに歩んできたはずだ。
最初から彼がいけなかったわけではない。
もともとの彼は、多少の歪さを抱えながらも、ある意味ではピュアな存在なのだ。
そして僕らは、その歪さは感じながらも、その歪さをうまくコントロールしながら、彼と仲良くやっていくべきなのだ。
けれど、この現代社会では誰もその歪さをコントロールすることができない。
情報のスピードがあまりにも早く、人々の欲望があまりにも深いからだ。
彼が抱える歪さは、彼の身体の中だけで抑えることができなくなると、彼の身体を突き破って外界に飛び出す。
外界に飛び出した歪さは、様々なネットワークを、様々なメディアをくぐりぬけ、世界中に配信される。
この歪さは、彼のクローンとなる。これらは配信された先々で、病的な色彩を帯び、狂暴化する。
そして、その抱える歪さを抑えきれなくなると、再び彼の身体を突き破って歪さとして世界中に飛び散る。
その歪さは連鎖となり、つたの葉が古い建物に絡まるように、少しづつ世界を浸食していく。
こうなると、事態を収束させることは不可能だ。
パンデミック。
彼は、この世界ではもう厄災としてとらえらえている。
でも、もともとの彼が持っているのはほんの少しの歪さであり、それは元来僕らの手でコントロールできるはずだったものだ。
でも、今の僕らには、それができない。
果たして、彼が悪者なのだろうか。
それとも、そもそも僕らが持つこの悩ましいカラダがいけないのだろうか。
僕にはその答えが未だに見つからない。