中学受験を目指すある子どもの姿から見えること | 次世代を担う子供たちの現在そして未来

中学受験を目指すある子どもの姿から見えること

 先日,某所で小学生(中学受験クラス)の授業を見学する機会があった。


 といっても,教室の中に入るわけではなく後ろからガラス越しに見学するだけ。先生の授業の様子と,子どもたちの学習姿勢を見せてもらった。


 先生は私の存在に気づきちょっとビックリした様子を見せたが,子どもたちは私に気づかない。


 そこで事件が発生!


 なんと,一番後ろの子どもが携帯電話を取り出していじり始めたではないか。ゲームをやっているわけではなく,なんとなくではあるが誰かとやりとりをしているであろう雰囲気がうかがえる。


 私は後ろから,ジッーと彼の様子を見続けた。


すると,隣の席の子どもが私に気づき,携帯をいじっている彼に伝える。


 あわてて振り返る子ども


 まったく視線をそらさずにその子どもの目を見つめ続ける私



 さすがに気まずいのだろう,子どもがオドオドし始めたので,私は両手の人差し指で×を作ってみせた。


 うなずいて携帯電話をしまう子ども・・・。


* * *


 さて,この一件ではいくつもの問題点が露呈しており,どこから検証していけばいいのか判断に迷う。


 まずは「授業中の携帯いじり,ここまで来たか」というところだろうか。高校生や中学生だと,塾・学校を問わず授業中に携帯をいじりだす,というより「いじっていないと落ち着かない」生徒のことがよく問題視される。


 いつ何時,誰の連絡でも受けてやるぜ


 とばかりに無意識に携帯をいじってしまうとか。アントニオ猪木じゃないんだからさ。



 次は,もちろん担当講師の問題。子どもの様子に気を配れず授業に集中する環境を作れていないことに,もちろん弁解の余地はない。この子どもの場合,指定された問題は早々に解き終わっていた(間違っていたのだけどw)というのが,余計に問題をややこしくしている。解き終わった場合の「次の指示」ができていない,生徒に「よし,次に行こう!」と思わせるモチベーションを与えられていないなど,塾として改善しなければならないことはヤマのようにあるはず。


 でも多くの塾は,担当講師個人の資質の問題として終わらせようとするんだよね。



 最後は,中学受験をとりまく環境の変化に対する危機感。首都圏の中学受験ブームは一時の過熱状態を過ぎていると言われる。優秀生の取り合いに各塾がしのぎを削る一方で,いわゆる「お客さん状態の子ども」に適性の無さを通告することなく,断らず・生かさず殺さず通わせ続けるケースが増えているのではないかと,今回のケースから想像できてしまう。


 こんな姿勢の子どもだって,校名にこだわらなければ合格できる私立中はたくさんあるわけで,塾側もそれがわかっているからこそ「何とか受かる学校はあるから,普段の指導はそこそこでいいんだよ。面倒見さえよくして,親のご機嫌さえ伺っておけばお金を落としてくれんだし」というのが本音ではなかろうかと思われるレベルの,しょっぱい授業進行を放置できるのではないだろうか。


 私の勝手なイメージだと,中学受験をして私立中学にわざわざ通う子どもとは「知的好奇心にあふれ,目をキラキラ輝かせて新しい発見を喜び,何にでもチャレンジする積極性を持つ」ものだと思っているのだけど,実態が理想からかけ離れている中学校も少なくないのだろうな。