「高校受験しない選択」のデメリット2
前回の続き
(ぶんぶんどりむ2011年12月号からの蔵出し)
●親が唱える呪文は「守・破・離」
この「健全な反抗」は「親離れ」の始まりでもあります。最近では,子どもの「親離れ」のほうが親の「子離れ」よりも早く来てしまうケースがほとんどだと感じていて,我々の立場から見ると「子離れ」のほうに正直手がかかります(笑)。中には「親離れ」「子離れ」がどちらもないまま大学生まで成長してしまうのだろうな,と思われる事例も存在します。
だからこそ,皆様には来るべき「子離れ」のタイミングを慎重に図っていただきたいのです。そのためには「守・破・離」の考え方を理解し実践していただくのが最適だと考えています。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが,「守・破・離」とは、不白流茶道開祖の川上不白(江戸時代中期・後期の茶匠)が記した『不白筆記』(1794年)にも見られる言葉であるそうなのですが,「修行の段階を説明する言葉」として現代でもよく使われています。さらに細かく見ていくことにしましょう。
『守』・・・当然ながら最初の段階では,指導者の教えを守り真似することから始まります。まずは言われたとおり,見たとおりの形から入り一から百まで型通りに行いますが,形だけ整えたところで「型にはまった融通のきかない」になってしまうことはおわかりだと思います。ここでは作法・技法といったものだけではなく,指導者の「価値観」も同時にしっかり教えなければなりません。
『破』・・・試行錯誤する段階です。更なる飛躍のためには「言われたことを忠実にこなす」だけでは不充分です。そして自身がそのことに気づき独自に工夫して,指導者の教えになかった方法を試してみることが必要になります。
『離』・・・文字通り「指導者から離れる」段階です。自らの新しい独自の道を確立させる最終段階のことをいいます。
お子様の成長と照らし合わせてみると,保護者の皆様にとって「守」と「離」はイメージしやすいのではないでしょうか。「守」は幼児期のしつけや学校の勉強を,「離」は文字通り一人前として独立する姿を思い浮かべることでしょう。
それに対して「破」の部分に関しては,具体的な時期や出来事をイメージすることができるでしょうか。私が保護者会などで問いかける限りにおいては,これを明確にイメージしておられる保護者の方はけっして多いとは思えません。「それは今ですよ!」と申し上げると,どよめきがおこるほどです。
お子様が普段取り組んでおられる作文においても同様で,「守」はあくまでも「作文の書き方」の把握でしかありません。お子様の作文力の向上は,単にテクニックを身につけたかどうかではなく,「破」の部分で試行錯誤した経験にしか比例しないこと,そして独創性や論理的思考力といった「21世紀に求められる力」につながっていることがおわかりいただけると思います。
残念ながら,最近では学校に限らず社会全体で「破」を意識しない傾向が強まっていると思います。
「守」の世界しか経験していない子どもが,大学生や社会人となった後に「破」の感覚を身につけることは非常に困難で,「正解なきグローバル時代」をタフに生き抜けるとは思えません。最近多い「健全な反抗」がない子どもたちは,けっして日本の未来にとって「いい子」ではないのです。
勉強に限らず何の世界でも,挫折や葛藤,摩擦が生じるのは「破」の段階です。これを子ども自身が乗り越えない限り「離」が来ない,と考えておくことが,即ち「子離れ」なのだろうと私は考えます。これを認識できていれば,たとえお子様が反抗的な態度をとろうとも「一過性の通過儀礼だから仕方ないわね」とやり過ごすことができるのではないでしょうか。お子様と同じ土俵で喧嘩するのではなく,「お釈迦様の手の上で・・・」という感覚で,是非お子様に接してあげてください。(終わり)
興味のある方は,PDFファイルで過去の記事を読むことができます。