技術と熱意のバランス | 次世代を担う子供たちの現在そして未来

技術と熱意のバランス

昨日も書いたが大掃除をした。古いパソコンを再起動したり、という寄り道をしながら片付けをしていると


古い古い教材


が出てきた。もう10年以上前、私が20代の頃に使っていた教材だ。



自分で解いた跡が残っているので色々と見ていると・・・


今思うと恥ずかしい


と思えるほど稚拙な解き方だったり、かなり遠回りな解き方をしていたり。


この世界に入ったばかりのころは、「自力で解くのが精一杯」で「どう教えるか、どこがポイントか」まで見えてないこともあったし、「このポイントが後にどの問題と融合するか」なんてことは全く見えていなかった。


だから生徒へ接するときも、とにかく「今日一日が勝負」の、まるで高校野球さながらのトーナメント戦の勢い。


「今日がダメでも、次の段階で出来るようになっていればOK」なんて、先を見据えた指導ができないものだから、「今日学んだことは今日理解するように」という力ずくの指導しか出来なかったのが正直なところ。


その代わりといっては何だが、毎日授業が終わって一息つくのが23時過ぎ(今の時代では考えられない。生徒が23時まで普通に教室にいたのだ)だった、まだ私が若くて元気なころの話・・・。


       *   *   *


 この世界に長くいると全体を俯瞰できるようになる。いい意味で「手抜き」が出来るようになるし、自分自身の技量も上がってくれば徐々にではあるが「技術と熱意のバランス」がとれるようになってくる。熱意というと語弊があるかもしれないが、いいかえれば「時間」とでも言うべきだろうか。技術がない指導者は、準備に時間をかけ、質問対応に時間をかけ、自分の技術がない分を「力ずく」でカバーするしかない、ということだ。


 最もベストなのは、「技術が向上し、熱意がさめない」ことである。しかしこの熱意を持ち続け、自分のエネルギーの大半を指導にかけ続けることは非常に難しい。私のように「この世界で一生食べていこう」と考える人であれば、この毎日の環境の中で結婚し、子供を作り、そして育てることになるかもしれない。体力も落ちてくる。守るものができれば、今までのようには「指導オンリー」で一日の大半を過ごすことはできなくなってしまうのだ。


 「運動エネルギーと位置エネルギーの関係」のように、塾の指導にも「エネルギー保存の法則」の類があるとすれば、その両輪は「技術」と「熱意」であろう。この2つのエネルギーのバランスが最も良いときが、その講師にとっての「全盛期」ではないかと私は思っている。その「全盛期」は決して長い期間ではない。期間を長くしようとすれば「普段の生活」に必ずしわ寄せが来る。


 この教材を使っていた塾は、現在はもう存在しない。その塾の専任の「婚姻率」は非常に低いものだった。ある意味では「受験指導に一生をかけた」人々、とも言えるしある意味では「人生のある部分を捨てた」人々とも言えるかもしれない。どちらにしても塾講師としてフルパワーで走り続けることの厳しさやつらさは、この塾の先輩方から学んだもの。


私が今年塾講師を休業する理由はこのあたりにあるのだ。


   

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