
洞窟の中から光の指す外を見れば、空と海が見えた。空海とはここから生まれたのだろうか。
讃岐(香川県)生まれの空海、香川の地から偏西風にのって白い布が空に舞い上がり風に乗って紀ノ國の木の枝に引っ掛かった。それを見つけた空海はこの地を真言密教の聖地と定めたようだ。ここが聖地、高野山という。
お婆ちゃん、ここは家だよ。違うという。仏前も神棚もあり、住み慣れた田舎の家を説明しても、あくまでも病院だと言って帰ると一転張り。
足の骨を折って、2ケ月前から病院に入院していた。自宅に帰つたがまだ病院だという。
「もう、今日は遅いから明日帰ろうね」と幼い私は言う余裕と知恵もなく、ひたすら家であることに固守し説得した。
幼い頃からお婆ちゃんの傍で木魚(もくぎょう)を叩いていた。お婆ちゃんが唱えていた心経が般若心経と判明した。お坊さんの修行したことはないが般若心経を覚えている。そうだ、お婆ちゃんの傍で耳から自然に覚えたのだろう。
昔、むかし伊豆の踊子で「どれだけ生きられますか」と百恵ちゃんが歌っていた。イーロン・マスクが死後の世界を話しておられたが。般若心経には、色・空・無の字が数限りなく出てくる。
お婆ちゃん子の私は残り少ないお年寄りの傍で育った。【色】はかたちあるものと教わった。
ってことは人間様も形あるものだから、イズレ【空】となる運命が待っている。と理解した。
だけど、こんなに暑いと昨年、亡くなられた義父にこんなに暑いと昨年死んどいた方がよかったのではないかと義父に言いたい。
高野山の奥の院で生きたまま仏になって、今も人々の安寧を願って瞑想しておられる弘法大師空海様は【無】の境地におられるのだろう。
毎日、お食事を届けている。
【空】は無いと言う意味ではなくて、形あるものは常に変化し、一時も同じではいられない固定された実体がないこと、無常であることを指すという。
きれいな花もいつかは枯れていく。
私と子供と孫の3人で高野山に連れて行ってくれるとありがたい次男の誘いを受け、田舎の墓参りも考えていたので一つ返事で子供の誘いを受けた。
激しい雨が車にうちつける音と白く霞んで前が見えない中、運転には苦労したろう。私は孫とイビキ、やっと名古屋に着き、石油コンビナートが見え、眠らない港湾の熱気を感じた。
名神高速道路も新名神ができ大阪が近くになった。25年ほど前、米原で豪雪に出くわしてタイムロスをした。
大阪市で阪和自動車道に変わり和歌山に向かった。道幅も狭くなり一車線と変わった。朝だ、見覚えのあるパーキングで休んだ。
あと一時間程で着きそうだが、記憶の町と道が違っていた。10年ひと昔と言われるが二昔となると時は残酷だ。今はナビとスマホがあるから誘導してくれる。何日前から田舎への資料を作成したが、一瞬で打ち消され、進歩に支配された。
なにもかも小さく見え走馬灯のように記憶が過ぎ、景色が継ぎはぎのように映像化した。
同級生の友に会いたいが、自分の障害を見せたくもなかったし、なぜか会うのが怖かった。
第一の目的は墓石詣りだ。
幼い頃は土葬だったので、埋葬する墓と墓石はわかれていた。墓石は山寺にあり険しい山の中腹にあった。母は土葬で、父は火葬だった。
実母は実父の20年前に亡くなった。山寺のお墓詣りも気持ちは複雑だ。それよりも子供の車で安全に登れるか心配だった。
子供と孫がタワシで磨いてもらい手を合わすことができた。
生まれた実家にも立ち寄りたいがなんだか怖くて遠くから眺めていた。
ある筈の家がなかったり、思いでの校舎がなくなって更地になっていた。栄えていた商店も戸を閉めていた。昔の景色が蘇るが、時は戻せない。
明日は、子供の目的の高野山に行く予定だ。
平安時代の初頭に最澄と空海が中国王朝の唐に派遣され仏教を学んだ。帰国後、最澄(伝教大師)は比叡山延暦寺を建てて、天台宗の開祖として開いた。
一方、空海(弘法大師)は高野山に真言密教の開祖として開いた。
最澄の方が7歳ほど先輩のようだが「弘法筆を選ばず」ということわざに表されるように、空海はめっぽう筆が上手であったようだ。香川の裕福な家に生まれ、能力も優れていた。そうでもないと遣唐使には選ばれなかったろう。
織田信長が比叡山焼き討ちにし、本能寺の謀反がなかったら高野山も焼き討ちにされる運命だった。
豊臣秀吉によって、高野山の総本山・金剛峯寺が建てられた。高野山も幾多の運命を背負っている。
私の車椅子での高野山参詣、無理を承知で試みたが子供にも酷く苦労をかけ、外国の方にもお手伝いいただきましたが、途中引き返し
コースを変えた。
今一度【一の橋➡中の橋➡御廟橋➡弘法大師奥の院】と再度自力で試みるつもりだ。
車椅子では無理だ。子供、孫には苦労をかけた。
私の故郷は遠すぎた。よかった、また目標ができた。