
265年も続いた江戸時代に田沼意次(たぬまおきつぐ)というお人がいたそうな。
お隣の国ではアヘン戦争の時代で英国と戦った。日本も鎖国をしていてペリー来航で目を覚ました。
暴れん坊将軍で有名な徳川8代将軍徳川吉宗の時代だ。
田沼家も古くから鉄砲の名手として紀州藩に仕える足軽だった。身分の高い武士ではなかった。
紀州藩も徳川御三家で尾張藩と紀州藩と水戸藩の中から第8代徳川吉宗が選ばれ幕政を主導した。
家康の9男・義直(尾張・愛知)
10男・頼宣(紀州・和歌山)
11男・頼房(水戸・茨城)
徳川8代将軍、紀州藩、吉宗が選ばれた。
水戸徳川家は成立自体が遅かったこともあり、御三家でありながら将軍が輩出できないという立場でした。水戸徳川家は「正三位権中納言」(しょうさんみごんのちゅうなごん)までしか昇進できません。
一般に「水戸黄門」といえば光圀のことを指すが、第2水戸藩主の「水戸黄門」は「正三位権中納言」であった。
【戦国時代、徳川の血を守るため紀州・愛知・茨城に徳川家康の子供を散らした。】
田沼家も古くから紀州藩に仕え、信頼されたのだろう。身分の低い足軽から側用人(そばようにん)に選ばれた。
身分の高い者にとっては面白くもなかろう。
江戸城の大奥(将軍様の御台所や側室がいたり、多くの女性、女中がいた。)
中奥(将軍様の日常生活や政務を行う場所があった。
表 (幕府の役人が職務行う場所があった。老中・大名など)
これが役人の最高職
田沼意次はそんな重心だった。
老中と将軍様の直接の触れ合いを避けていた。万が一の恐れを考慮した。
だから、田沼意次がそんなポストにいるもんだから、賄賂はいつの時代も横行する仕方ない。国民は私服を肥やしているんじゃないかと疑うだろう。
9代将軍の家重が逝去され家督を家治に譲る。10代将軍徳川家治になる。
「田沼意次は正直者で律義者で徳川家治の将軍になっても引き続き御側御用のままで起用された。
通常は、将軍が変われば側近はすべて入れ替わる。
旗本の川路聖譲の評は、「田沼意次は事務処理能力、物事を的確に判断する力、人を巧みに使う力量優れた豪傑だ」
賄賂も誘惑もあろう。失脚を狙う者もいよう。世の中の有象無象が寄ってくる。国民には評判が悪かったようだ。
紀州藩の家督を継ぎ、足軽から老中に昇進し、第9代将軍徳川家重と第10代将軍徳川家治、の世で側用人と老中を兼任して幕政を主導した。
「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」と田沼意次の依とする改革と呼ばれるものはなかった。
鎖国の世の中、徳川家康の朱印船貿易、徳川秀忠の武家諸法度、徳川家光の参勤交代、徳川綱吉の生類憐みの令、と在位年数50年も続いた子作りに生きた徳川家斉と江戸幕府は長く続いた。
新田も減り税収も減少し、幕府の出費も増えるし田沼意次の政策は印旛沼の新田開発で民間の導入をで、蝦夷地(北海道)の新田開発を心試みたが、印旛沼は利根川の氾濫で失脚したり、北海道の米作りで
失脚したりと新田開発に失敗した。
鉱山の採掘量の減少と貿易で金銀の国外流出が生じた。それで鎖国をしたのか?
重農主義の不安定な税収から重商主義への政策に移行をはかったが時期尚早のようだった。
東国は金本位で、西国は銀本位で両替商が必要だ。
株仲間の奨励で利権をもった商人は商売を拡大した。
ひっ迫した大名に金持ちから借りた金を大名に貸し、差額を幕府の税収として現在の銀行業務の奨励を図ろうとしたが利息には長いスパンが係り、人々には余裕がなかったのだろう。
奇抜な政策は時期尚早で時代が早かったようだ。
田沼意次と一橋家の関係の深さがと、将軍家治の養子選定に御三卿(ごさんきょう)をはじめて知った。これは大収穫だ。清水家、一橋家、松平家。吉宗の七男・松平定信を白河藩の養子にしなかったら、松平定信が幕府将軍になれたことを長く恨んでいた。
田沼意次が失脚の後、松平定信が老中首座となり、松平定信政権がスタートし贅沢を禁じた。
失脚した田沼家と婚姻関係にある老中、大名、旗本ら50家以上が田沼家と縁を切った。人というものは、立場が悪くなるとそんなものだ。
「白河の清き魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」
1793年、松平定信、失脚。
世が世であれば、田沼意次の政策は世を変革したのだろう。
田沼意次は時代を先駆けた視点を持ち、 農民に重税を課すのではなく、商業を重視し、民衆を富ませる経済政策を行った政治家として、高く評価されている。
江戸幕府も265年の続き、世の中も薩長同盟の新政府と徳川幕府、古いものから新しいものに変わるのは常だが江戸幕府の最期の第15代将軍水戸藩徳川慶喜が天皇に政権を返上する大政奉還を果たした。
西郷隆盛を筆頭とする新政府は江戸城の明け渡しを要求し、勝海舟の旧幕府との話し合いで江戸城無血開城を果たした。
江戸徳川幕府は大政奉還で延命を試みたが明治時代への移行は完全な王政復古の大号令で明治天皇の明治時代へと移行した。
田沼意次の生きた時代はいいのだろうか。私は73歳、不確かな10年先の未来を生きようとしているが、希望の持てる未来であってほしい。
世界には3人の独裁者らしき人が命をかけてもがいている。
いつかは、命が燃え尽きる。
日本も代表者を選ぼうとしている。Boysを応援したいのだが、知識不足を感じる。
賛否両論はあると思うが、インドのモディ首相と並んだ時に、日本の首相が劣ることのないように期待したい。“Boys, be ambitious!
「青年よ大志を抱け」と、クラーク先生の言葉だが、まだ間に合う、「大志」を示して欲しい。