MTF夏美のブログ -8ページ目

MTF夏美のブログ

トランスジェンダーで産まれ、自認する性に近づけようと生活して居る記録です。

今、思い出してもツラいので覚えている範囲で書きます。 

誰かの参考になったり、私と同じツラい思いをする人が1人でも減る事を願って。


1学期が始り、始業式も参加出来ませんでした。

そして、スクールカウンセラーの方が別の方に変わりました。

でも、私の登校時間は変わりませんでした。

春のとある日、同級生の男子で教室に入れない人と一緒に自主学習をしてました。

その同級生が私に質問をして来ました。「〇〇って好きな人居る?」と。私は本当に好きな人を打ち明けるかとても悩みました。教室に全く入れて居ないのを理由に片想いしている人を言ってもバレる心配が無いと思って、正直に打ち明けました。 すると私をからかったのかバカにされたのか分かりませんが、「〇〇君も好きって言っていたよ」と返ってきました。もちろん、私はそれがウソだと分かりました。以降その男子からの嫌がらせが始まりました。

夏休み前のある日、担任の先生から提案がありました。「校内行事に参加してみない?」と。それは全校生徒の前に出る行事です。

私はとても悩み、数日間考え迷いました。ですが、勇気を出し参加しました。私は、将来の夢を話しました。

そのまま終業式も参加出来ないまま夏休みに入りました。この後から「嫌がらせ」はエスカレートしていきました。最終的にどうなったかは思い出したくないです。

8月も終わりに近づき、小学生時代に転校して来て片想いしていた彼に「告白」を意を決して伝えました。もちろん返事は分かってました。

すると彼から予想を超える返事か返ってきました。「キャラとして女なら受け入れられる、けど、恋愛感情としての女性は無理関わりたくない」と。この返事で4年間一途に想っていた片想いが無くなりました。翌日にメールで「想い」を全て伝えてしまいました。

数日後。

まだ夏休みでしたが、職場体験学習に参加するためバスを待っている時の事です。

私の横1メートルくらいの所で、片想いしていた彼と同級生の男子が会話しているのが聞こえて来ました。その場には同級生全員と後輩が同じ場所にいました。「〇〇(私)が中身女だって」それは紛れもない「アウティング」でした。

 アウティングとは、「本人の性自認、性的指向を本人から同意無く発言する」事です。

その後は思い出したくないです。

そのまま夏休みが終わる頃には、全校生徒が私の「性自認」を知ってました。たった1回のアウティングで。

でも、教員全員は全く知りませんでした。あの時、何があったかも。

なので、2学期の始業式の朝に担任の先生から電話があって「始業式に参加して下さい。」と言われました。もちろん全校生徒が私の「性自認」を知っているので学校自体行けません。私は学校に行けない理由が言えないまま、しばらくすると生活指導の先生が家に来ました。その方は副担任で、以前参加していた部活の顧問をしている先生でした。

私は学校に行けない理由を言わないままいると、無理やり学校に連れて行かれました。 1時間だけ居ましたが、とても怖かったです。

翌日も担任の先生から電話がありました。私は勇気を出して、夏休み中にあった出来事を言える範囲内で伝えました。すると返事は「数日間登校しなくていいよ」

だったと思います。

数日後から幻聴、幻覚が始まりました。夜には寝れない日が続き、誰かにずっと監視されてる気がしました。

今では病名が分かりますが、「統合失調症」です。 夏休みのアウティングがあるまで健康で何1つ服薬はありませんでした。

この当時はその症状を話せる人が1人も居なくて、自身でも「病気」なんて思っていなくてそのうち収まると思ってました。

ですが、改善するどころか少しづつ症状が悪化していきました。

日々悪化する症状に悩み耐えられなくなって、引きこもりました。そして、心を閉ざしました。

全て「私自身」を守る為。

家族も一切私の話を聞こうともしてくれませんでした。 食事は1日1食で、家族が寝静まった夜に常夜灯を点けて残っている料理だけ食べる毎日でした。水分補給は唯一母親が毎日1本500ミリのペットボトルを買って来てくれて、その1本だけが頼りでした。手洗いは毎日、朝は誰も家に居ない時間に1回と夜の食事前の時間だけでした。入浴は不定期で、調子が良い日だけ深夜に入ってました。自分の身体を見たくなかったので、脱衣から着衣まで電気をつけず真っ暗で感覚だけを頼りに入浴しました。

自宅で過ごす日々がこの生活で何ヵ月も続きました。 そして、昼夜逆転してました。

ある日の夜、楽になりたくて、、、。と言うより、楽になる方法を考えてしまいました。

この当時、家族が居る建物とは別の2階に自分の部屋が有りました。

家族にも気が付かれないまま、空に行こうと何度も、、、。その日から夜になる度に毎日、、、。泣きながら朝を迎えた事もありました。

担任の先生が言ってくれた「数日間」が終わり、登校するしか選択肢がなくなりました。今でも想像出来ない程の恐怖でした。

部屋のドアが開く度身構えて、実際に誰かが会話しているのが聞こえると無意識に耳をすましてました。隣の部屋が保健室でした。あまりの恐怖感から保健室に行こうとも思いました。

ある日、担任の先生から提案がありました。「給食を食べてから帰らない?」と。もちろん、自主学習している部屋で。

少し悩みました。が、母親が給食費をちゃんと払ってくれていたので私は同意しました。

スクールカウンセラーの方と会話出来る時間に生徒が下校したり、部活で教室に誰も居ない時間でほんの少し心が安らぐ時間でした。

そんなこんなで気がつけば2学期が終わりました。

冬休み中も自宅での私生活は一切変化なかったと思います。

3学期の始業式も参加出来ませんでした。 

ですが、入試は近づいてました。 校舎内で自主学習中、各担当教科の先生に来てもらいました。

とある日、いつもと同じくスクールカウンセラーの方と会話してました。すると当然「好きな人居る?」と。私は信じてみる事にしました。正直に「片想いしていた彼が居て、いつも男性が気になる」と答えました。私の返事を聞いて、何かを思い出した様に見えました。その後スクールカウンセラーの方が「ちょっと待ってて、長くなると思う」と私に言って、職員室で私の返事を担任の先生や教頭先生に伝えたと思います。30分程経過して3人が来ました。スクールカウンセラーの方、担任の先生、教頭先生です。担任の先生が近隣にある「大学病院」の資料をPCから印刷して私に「この病院を受診してみない?」と。

私は受診する理由が分かりませんでした。資料を貸してもらい、ゆっくり読んでみるとそこには「性別違和」「性同一性障害」と書いてました。

やっと自分自身を理解しました。幼稚園時代や小学校時代にあった感情を思い出したからです。私は迷わず承諾しました。母親が迎えに来ていたので私は一度退室してそのまま母親に3人から話てもらい、経緯を話し終わるのを待って私も再度入室しました。この時、母親が私に何て言ったか覚えてません。

翌日から校内の教員に配慮してもらう約束で、少しづつ同級生が居る教室に入れる様になりました。始めは給食だけ、次は好きな教科だけ。と。私は、理科の実験の日。技術の何かを制作する日。とゆっくり時間をかけて増やすのが限界でした。国語、数学がそれぞれ1回。歴史、公明、体育、選択教科、美術、音楽、英語は全く参加してません。

高校の入試当日になりました。私の志望校は、住んでいる市内にある高校で定時制を受験しました。

ここだけの話ですが、一緒に受験した人の中にドタイプの男子が居たのは内緒です。


気がつけば、大学病院の受診日になってました。同伴で母親と教頭先生が来てくれました。診察券の申込書の性別欄は無意識に丸をするのが出来なくて、教頭先生に気が付かれてしまいました。私は仕方なく「男」に丸をしました。診察室前で問診票を記入しながら順番を待ってました、予診で私だけ入室して、悩み事や学校での出来事を話したと思います。本診までの間、自分の歴史を覚えている範囲で書きました。よく耳にする自分史でした。その紙に誰にも言えなかった違和を感じた出来事を書きました。例えば、姉のスカートが履きたかった。とか手洗いの使用する方の事、男子と一緒に着替えするのが嫌だったなど。

本診は主に自分の身体に違和感がある場所を質問されたと思います。私は、筋肉質の事。声変わりの事。胸が膨らんでこない事。股間の事。を話しました。そして、私は退室して同伴の2人と変わりました。何を会話していたかほとんど分かりませんが、生活する中で変わった事がないか聞いていたと思います。それと、本人が映っている写真と聞こえて来ました。 教頭先生からは夏休みの事らしき内容が聞こえて来ました。話おえると私が呼ばれて、先生が一言だけ私に言いました。「性同一性障害です。」と。私は先生からもらった診断でスッキリしました。この診断までずっと悩んで、その答えを求めていたからです。

この時には卒業まで後1ヵ月なかったと思います。 その後も私の症状は変わりませんでした。大学病院での診断も、教員の先生全員だけしか知りません。なので、先生にだけは無理して明るく振る舞いました。スクールカウンセラーの方とも打ち解け、今まで1度も話せなかった恋バナが多かった記憶が今でも残ってます。

卒業の数日前に、卒業生だけの身だしなみ検査がありました。私は知りませんでした。でも、拒否出来ないので参加しました。私は、男子の列に並び順番を待ってました。ドキドキしながら。理由は校則ギリギリまで髪が伸び爪も伸びていたのと、ズボンの認可証の確認であまり見られたくなかったからです。ですが事前に私の事情を知っているので、十分な配慮をしていただき髪も爪も全てセーフでした。


卒業式当日。卒業証書授与を終え終盤に入っていました。 私達卒業生と在校生が集まり当日まで練習(私はあまり出来なかった)した合唱の時間になりました。1曲目は卒業生だけで何とか完唱できたと思います。最後の曲になり全校生徒(私達含む)で歌っていました。が、私は今まで辛かった事や学ランの事、夏休み中のアウティングの事全てが一気に込み上げて来て曲の中盤から全く歌えず号泣していました。体育館から退場してもずっと。涙が止まらず教室に戻る最中も泣いていました。教室が近くなりやっと涙は止まりました。同級生は卒業式の余韻に浸り、会話をそれぞれしていたと思います。同級生女子の一人が私を見てこう言いました「〇〇君泣いてる〜」と。私は「う、うん」としか言えませんでした。本当の理由を言うと「あ〜やっぱりそうだったか」って言われそうで。

担任の先生と最後の授業をしました。先生は何て言ったか全く覚えていません。外に出て在校生から見送りと花を受け取ってそれぞれで記念写真を撮りました。

私は、極力断りました。理由は幼稚園の頃から一緒に過ごした「仲間」って1ミリも思えないからです。ですが、とある男子1人だけどうしてもお願い。と言うので、嫌でしたが仕方がなく同意しました。


こうして私の「義務教育」期間が終わりました。