ここから少しづつ、自らの意思で家から出れる様になっていきます。
中学校卒業した翌日は高校の合格発表と、午後から大学病院の通院がありました。
まずは合格発表から。運よく私の持っている番号が有りました。(後から知った事ですが、やはり学力は定時制を受験した人の中では最下位だったらしいです、受かった理由はなんと面接の内容でした)
受かったので、担当の方について行き入学手続きをしました。終わる頃には正午が近かったと思います。
(この時は高校合格に備えて賃貸を母親と借りてました。)なぜか私の貯金を全額使って初期費用を払いました。
その家に一旦戻り、昼食を済ませて大学病院に向かうため最寄り駅に向かいました。
先生に合格した事をもちろん伝えました。すると、「今後の治療も視野に入れると、高校の先生に伝えてから進める方が良いと思います」と返事がありました。私も迷わず同意しました。この日はカウンセリングで話をして終わりました。
病院の会計をしてから、先生が書いてくださった診断書(仮)を受け取りました。その後は地元の最寄り駅まで特急で戻って来ました。
このあたりで母親が調子悪くなってしまい、市内の保険センターに向かいました。私も一緒に同伴していて、母親と保健士さんが話し終わるのを中で待っていました。すると、保健士さんが私と話がしたいと!言って私は理由が分かりませんでした。ですが、話をして良かったです。
私に保健士さんが「心療内科」の受診をすすめてくれました。
しばらくして予約日になり、心療内科を受診して診断が「統合失調症」でした。思い当たる原因は中学時代の「アウティング」です。
同時に処方箋が有りました、寝る前の安定剤2錠、睡眠薬1錠、不定期で不調になった時の頓服2錠でした。
中学時代の教頭先生が高校の校長先生にアポをとってくれて、指定日に母親と一緒に向かいました。すると、会議室みたいな所で話を始めました。高校の方側は、校長先生、教頭先生、たぶん担任の先生でした
初めは中学時代の教頭先生が、私の中学校時代の出来事を高校の方に伝えてくれました。そして、大学病院の先生に書いてもらった「診断書」(仮)を高校の方に私から渡しました。高校の方全員に読んでいただいた後、私にいくつか質問がありました。
最終的に高校の校長先生が出した答えは。「他の生徒より特別扱いは出来ない」でした。聴いて私は、「一切配慮できません。」と同じに聞こえました。 いわゆる「入学拒否」でした。
それでも私は、「高校の通学歴」が欲しくて中学の担任だった先生に電話で相談しました。
「通信制高校はどう?」と言ってくれて全く知識が無かったので簡単に説明してもらい、県内に有ると言ってくれたので「そうします」と伝え電話を終えました。
4月になって数日後、実の父親から電話がありました。内容は「高校の制服が出来ているから、受け取りに来て」と言った内容でした。もちろん私は高校に受かった事も、入学拒否された事も全く伝えていません。なぜ父親が合格した事を知っているかと言えば、父親の家から高校まで近くでこっそり合格したか聞きに行っていたみたいです。
私は「受け取りに行けない」と言いました。理由を聞かれては、何となくで誤魔化しを続けてましたが、もちろん話は平行線のまま。最終的に話は父親の家に行って話す事になりました。 指定の時間に母親と一緒に父親の家に行き、私は「理由は?」と聞かれる度に言えなくて黙ってました。見かねた母親が「オネエ」の合図を父親にしました。見た父親は「私自身」を全拒否しました。大学病院に行っている事も、最寄りの心療内科に通院している事も。この後の会話は思い出したくないです。この日も賃貸に帰宅しました。
2日後、私は通信制高校の入学手続きに母親と向かいました。しかも、願書受付締め切り前日でした。
翌日、入学式等の説明会に参加しました。そして自宅に帰宅しました。
通信制高校の入学式は参加していません。 統合失調症の症状がひどく、人の前に出るのが怖かったのと人間不信になっていたので。教材や初めのレポートが家に届き始めて少しづつ開始していました。
外出する際は、耳栓タイプのイヤフォンが手放せませんでした。好きな音楽で症状をまぎらわしてました。
ですが、最寄りの提携高校があったのでホームルームを参加しました。誰一人として知っている人が居なくて、病気の症状と両方で苦痛だったのは今でも覚えています。早く「この場から離れたい」とずっと思ってました。
その後も自宅でレポートを少しづつしていましたが、中学校の不登校時代に教えてもらう内容で全くわからず悪戦苦闘していました。ホームルームと通常の授業は病気の症状で参加出来ない。レポートは悪戦苦闘してやっと仕上がったと思えば、期限を過ぎての日々でした。
私の周りに他の誰かが実際に居て、微かに声が聴こえる度に病気の症状がありました。特に「男子高校生」には強い恐怖心がありました。(この恐怖心は12年経過した今でも残っています)
このまま病気の症状に悩みながら、日々をおくる毎日で高校1年生は終わりました。
(学校に行けず、レポートは頑張っても期限切れで受け付けてもらえないまま)