この時も実家から母親と一緒に外出を毎回してました。そして、私の自転車を母親が通院している病院に置かせてもらってました。そんなある日、後輪がパンクしていて自転車自体が横に倒れてました。しかもその方向には、スタンドがあって風では倒れない方向です。数日後からパンクはなくなりましたが、誰かのイタズラが毎日始まりました。そのまま3連休明けだったと思います。いつもと同じ様に自転車が倒れていると思って、自分で起こした時の事です。いつもはあるはずのサイクルコンピューターが周りを見渡しても見当たりませんでした。私の好みにカラーリングを自分でしていて、数千円で購入してました。しばらく周辺を探してみましたが無いので仕方なく諦めました。
翌月に私は誕生日を迎えました。
しばらく経過して梅雨時期でした。私がいつも通り支援センターを利用していると、30代位だったと思うのですが男性が新しく利用を開始した方が来ました。私は、ほんの少し気になってました。その方から私に「名前教えて」と言われたので私は少し迷って「通称名」を教えてあげました。今後の事も考慮して。
(通称名は簡単に言えば、ニックネームみたいな意味です。)
その後、しばらくの間私と会話をして他の利用者さんと会話する日々が始まりました。
会話を重ねるごとに気になる度合いが増えて、いつしか会話するために支援センターを利用してました。
同時に私は自動車教習所に自転車で通学してました。なので、時々教えてもらってました。
初夏になり、私は仮免許の試験を受けました。
技術試験は一発合格。でしたが、筆記問題テストは何度も再試験を受けてやっと合格しました。
なので、「次回から路上教習です」と聞いた時はすごく嬉しかったのを覚えています。
季節は冬になってました。
母親は私の知らない人と遊んでほとんど自宅に居ませんでした。
ある日、私は「イヤな予感」が夕方頃からしてました。
そして、いつもと同じ時間になり寝ようとした時の事です。突然、知らない番号から電話がかかって来ました。私は恐る恐る受話器をとってみました。すると、知らない男性から「お母さんがODして意識が無いから病院に運ぶ。だから来てほしい」と言われました。以前から私の母親はODをするのを知っていたので、話を理解して病院に向かいました。
それから翌日の朝まで、その病院で過ごしました。この時も私が知らない男性は病院に来てました。なので私は、何があったか聞きました。すると、その男性も精神疾患が有って、処方してもらった薬も量が分からない位飲んでた。と言われて私は何も言えませんでした。しばらくして担当の先生が私に話があると言って先生のあとをついて行きました。検査結果等々を私が見て大体話が終わった頃先生が、この状態ではこの病院では無理なので県病院に転院しましょう。と言って私は同意するしかなかったです。病院側のスタッフさんに同行と救急車を呼んでもらい、県病院に到着しました。すぐにICUに入って県病院の先生から「時間が経過しているから、助からないかもしれない」「もしもの時に心の準備しておいて」と言われました。その後、私は泣きながらご飯を12時間ぶりに食べました。この日から私は「もしも」に備えて病院の待合所に泊まりの日々が始まりました。県病院に来て4日経過しても母親の意識は戻らず、満床に近い状態だったのでHCUに移りました。その日の午後に病院の先生が心配して「一旦、自宅に帰って気を休めてください」と私に言ってくれました。帰宅方法が無かったので仕方なく実の父さん(疎縁中)に電話して迎えに来てもらって、私は帰宅出来ました。
翌日も母親が心配で、私の祖父と一緒に県病院に向かいました。ですが意識は無く、顔を見て看護師さんから状態を聞いて帰る事にしました。祖父と一緒に市内まで帰って、スーパーで買い物をしている時に携帯が鳴って画面を見ると県病院からでした。私は心の準備をして通話を開始しました。看護師さんから「お母さんの意識が戻った!今から来れる?」と聞いて私は祖父に伝えて急いで戻ります!!と返事をしました。到着して母親と会話が出来た喜びは10年経過した今も覚えています。
翌日母親の面会に祖父と向かい、病院に到着すると看護師さんから退院出来ますよ。と聞いて祖父と話し合いその日に退院しました。
そして、年越しをしました。
1月のある日、母親のせいで行けなかった教習所から連絡がありました。「卒業の期限が近いですが、どうしますか?」と。
私は後少しで卒業出来るところまで進んでいたので、続けます。と返事しました。
残っていたのは、救命講習と原付(50cc)教習と卒業検定と学科が数時間だけでした。自転車で毎日通学しました。
2月の卒業検定当日は偶然にも私の得意なコースでした。なので、技能は1発合格。問題は筆記問題でした。障がいの関係で問題が難しく感じて何度も再試験をしました。たしか8回目で合格したと思います。
教習所の卒業証を持って、免許センターに電車を乗り継いで向かいました。初回はまさかの1点が足りず不合格。
落ち込んで最寄り駅に歩いて向かったので、だいぶ道を間違えてしまいました。普通電車で地元まで帰りました。歩いて帰っている道中に緊張の糸が解けたのだと思いますが、過呼吸を起こしてしまいました。頑張って支援センターまで帰って職員さんに助けてもらいました。
同じ週にもう一度、免許センターで試験を受けました。この日に無事合格しました。
歩いて最寄り駅まで向かい、普通電車の切符を買って乗ると高校生が数名乗ってました、私は怖かったので、少し離れた席に座りました。高校生は途中の駅で降りて私はそのまま地元に帰って来ました。
しばらくして年度末になりました。