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MTF夏美のブログ

トランスジェンダーで産まれ、自認する性に近づけようと生活して居る記録です。

あまり記憶が定かではないですが、覚えているかぎりで書いてみます。


運転免許を持ったのが嬉しくて、毎週末の様に母親の車を借りてドライブしてました。

平日は前回の記事で書いた年上の男性と会話がしたくて、支援センターに行ってました。

その延長線上で仕事につなげる実績つくりの為に、毎日決まった時間に支援センターに朝連絡してから向かってました。

しばらく続いたある日、支援センターの担当の方から「就労移行B型事業所」の見学に行こう!と提案をもらって担当の方と行きました。練習でその時に行っていた事をやってみる話になって、1個だけしてみる事にしました。その1個は合格を貰って、応用で同じ事をもう一度してみました。その後、就労移行事業所を利用する事が決まって私を含めて担当者が集まり会議をしました。しばらくしてから利用開始日になって、私は予定時間よりも少し早く到着してみんなの行動を見ながら同じ事をしてました。その週は全く分からないので、ただみんなの行動を見てから行動してました。数週間後だいぶ慣れてきて、次を考えながら行動出来る様になってました。


梅雨の時期になって私は気になっていて、支援センターで会話をしていた年上の男性に「好意」を伝えてみる事にしました。

もちろん私の年齢的にも戸籍的にも「ごめんなさい」と思って伝えました。

が、返事は「想ってくれるのは嬉しいけど、困る」「でも、そこまで想ってくれるならハタチまで待つよ」でした。

その後も変わらない日々が続き、何も無かったかの様な毎日でした。

就労移行事業所はモチベーションが続かなくなり辞めました。


季節は夏の終わり頃だったと思います。

私はただ家族に照れくさくて、言えなかった言葉がありました。それは「ありがとう」でした。

が、その一言が言えないだけで県外の山奥(言い換えると山頂)にある所へ3ヵ月行ってください。と、支援センターの施設長さんに言われました。

考える時間も、拒否する事も出来ず。

翌週、見学に行きました。話を聞くとそこは住み込みで3カ月間でした。

あるのはただ畑と暮らす寮と本堂だけで、男女共同生活スタイルでした。私は不安しかなくて自信など皆無状態。

勘の良い方は分かると思いますが、食事は決まった時間に「精進料理」でした。後は作業の休憩でおやつだけ。

この場で農業を担当していた男性と仲良くなって、休憩時や作業の終わりは必ず会話する様になりました。

内容はクルマの話題で意気投合して、時にはオーディオの事も教えてもらってました。

朝6時に一斉にみんな起床して、座禅15分。すぐに読経。終わるとすぐ朝食。食後10分休憩して掃除。尞に戻り、すぐ準備して出来た人から集合場所で待機。みんな揃うとその日の作業開始。午前11時45分まで作業して昼食。午後1時には午前の続きが開始状態。

午後3時頃休憩(10分位)で午後4時45分まで作業。午後5時30分から午後6時まで夕食。食べ終えると、当日の個人の振り返りを皆んなの前で順番に発表。その後は自由でしたが、決まった順番に沿って時間内のみ入浴。(曜日によっては自主学習)当日の振り返りを個々の日記に記して午後9時就寝。 の毎日でした。

私は、その日々を2ヵ月間頑張りました。(あれ。後1ヵ月で満了?って思う方も居ると思いますが、理由が有って辞めました)

その理由は、「アウティング」です。これが2回目。

経緯は私が夜の自由時間に、寮のPCで自分の「性別違和」について調べてました。その時、偶然年上の女性が私の所にやって来て「何調べているの?」と質問しました。私はだいぶぼかして「ちょっと趣味を調べている」と返事をしました。(画面は電源切ってました)

が、これが間違いでした。

翌日、朝の座禅中に私は皆んなで何かの紙を回しているのが分かりました。もちろん私以外で。とりあいず気にしない事にしてました。その後に集合場所で作業開始を待って居ると、年下男性の1人が私にこう言いました。「〇〇君って中身女だよね」と。

その一言で朝の皆んなが回していた紙の内容が分かりました。私は戸惑って「違う!そんなわけない」としか言えませんでした。

私には相談出来る人も、出来事を説明する人も誰一人としていませんでした。同時に中学3年生の時の事がフラッシュバックしてました。

この出来事も有って私は「一切心を誰にも開かない。誰も一切信じない」と決意しました。

ですが辞めるには理由が必要なので、何か無いか必死に考えてました。考えながら皆んなから何かして来ないか、かなり離れて怯えながらその日は夕方まで作業しました。翌日から参加出来ない日が増えました。

ですが、何かの偶然で母親が自宅で困って居るから帰って来て良い。と電話が事務所経由で私に届きました。

聞いて私は大きな安心しかなくてその日が待ちどうしくて、「後少しの我慢」と自分に言い聞かせ頑張りました。

数日後の週末にやっと自宅に帰れました。


数日後に支援センターの施設長さん(男性)と母親が相談をお願いしてました。私は何も知らず母親について行きました。

施設長さんが私を見て一言目は「何で帰って来てるの?後少しだったのに(笑)」でした。

(私の心の声)

いやいや、あなたが行って下さいって言ったから否定出来ず従いました。で、今とても辛い状態なので話したくないです。

と、思いつつ思いつきで返事しました。

その後しばらくして片想いしていた男性とは連絡も会う事も出来なくなって、私は失恋しました。

なので私は、「しばらくの間、恋愛しない」と決めました。

その後は何もやる気にならなくて、その日暮らしでした。

そのまま19歳の1年間が終わりました。