私が高校の時はハタチの誕生日までにホルモン治療を開始出来ているつもりでした。
が、実際には開始するのはまだまだ先の状態でした。理由は、就職出来てなくて全く収入が無かったから。
なのでとても落ち込みました。
私は誕生日が上半期なので、別の意味では誕生日が待ちどうしかったです。理由は、やっとお酒を飲める年齢だから。
誕生日以降は毎週末の様に缶ビールを1本飲んでました。当時はビールを飲むのが唯一の楽しみだったから。
私の家族は、お酒で酔うとまるで人が変わったかの様に喋ります。もちろん、私も。なので私は、お酒を飲めない年齢の時に親戚や家族が集まって酔うとまるでスポーツ観戦で盛り上がるスタジアム状態でした。
私はお酒を飲めるようになって数ヵ月間、居酒屋等の店でお酒を飲んだ事が全く無いです。理由は毎回運転手の役割だったから。友達と一緒に焼肉店へ行っていたのですが、その友達はフラフラで自分で歩行出来ない程飲んでいたのに、私は運転手なので毎回ソフトドリンクしか飲んでません。今も居酒屋には行った事が無いです。この当時はいつも自宅で宅飲みしか経験がないので、店でお酒を飲む気分や店ならではの楽しさは1ミリも分かりません。
日々を過ごしていると、「成人式」の案内が届きました。私の地域は県内でも珍しいのですが、毎年お盆の午前中に開催してます。もちろん参加していません。理由はいくつか有って、1個はスーツでの参加になること。2つ目は何よりも中学校時代の同級生に会わないといけない事。会いたくない理由の詳細は当ブログ「中3から中3の終わりまで」をご覧下さい。更に私にはまだ壁が有りました。色紙に全員分の似顔絵を描くらしく、最近の「自撮り」を添付して下さい。と記載してました。全て私には強い抵抗感しかなくて、案内状をギリギリまで手元に保管してましたが、結果どうしたかは言わなくても分かると思います。成人式が開催になった夜の盆踊りは、私達が小学校卒業後すぐに廃校になった校庭がこの時の会場でした。理由は、翌年に校舎の解体開始が決まっていたから。この校舎は約45年間小学校として使ってました。が、老朽化で卒業生は私達が最後でした。
補足ですが、現在その地は校舎や体育館を新築してまた学校として私達の後輩が勉強に励んでいます。
続きに戻ります。
その後も平日の暇な時は、支援センターを利用していました。
とある日に話しの始まりが覚えていませんが、急に実の父さんが一緒に住みなさい。と半ば強制的に言ってきました。
逆らうと私の幼少期時代の様に何をするか分からず、怖かったので渋々従いました。あの時は父さんが怒ると火のついたライターが私に飛んで来たり、とにかく怒らせると何するか分からない父さんでした。
その記憶が強く残っていたので、イヤとは言えず従うしか選択肢が私には無かったです。
この時、私はまた作業所に父さんの家から自転車で通ってました。
仕方なく一緒に住み始めたけどこの時まで全く一緒に生活したことが無かったので、上手く共同生活が出来なくて心身共に疲れ果て母親が居るところに住む所を変えました。
そして、そのまま新年を迎えました。 年度末になって私はまた母親の実家に戻りました。
私の祖父と祖父の母親で生活している不思議な家庭でした。