中学校入学と同時に小中一貫校になりました。が、私は中学の方です。
母親から制服が届いたのを聞き、置いてある場所へ向かいました。ワクワクしながら。 が、箱のふたを開けるまででした。
中に有ったのは学ランでした、、、。私が直前まで想像したいたのはセーラ服の方でした。驚きと何で、、等色んな感情が湧いて来て、ショックが大きかったです。気分も急降下して、しばらくの間固まってしまってました。
でも、母親に着たくない!なんて言えず私の思いや感情は一切伝えないままその日は終わりました。
入学式まであと数日でした。学ランを着たくない。と思っていることを伝えれる余裕なんてありませんでした。そして、私の家庭は母子家庭だったので金銭的にも余裕が無いのは知ってました。
そして、入学式当日になってしまいました。
自分の部屋でもう一度仕方なく袖を通しました。私にとってはまるで戦国武将が着る様な甲冑の様に重く、鉄を身に着けている感覚そのものでした。周りの人からすればごく普通の学ランなのですが。
それでも私は頑張って入学式に参加しました。ずっといつになったら脱げるのだろうと思ってました。なので、初日にあった事は今でも全く思い出せないです。
翌日から数日間は授業と言うより説明ばかりでした。が、私はいくら時が過ぎても制服の事しか頭になくてほとんど入ってきませんでした。
私の脳内には1秒でも早く、鉄の様な学ランを脱ぐ事しかありませんでした。
4月の終わり頃、体育の授業で体力測定の基準が振り分けられ「男子の基準」が全ての項目で意識的に付きまとい数字の面でも苦痛が生じてました。身体計測も振り分けられて「基準」から遥か遠い私はここでも苦痛でした。
その数週間後から先輩と同じ部活が本悪的に始まってました。が、私にとってはここでも苦痛を強いられました。男子は全員強制でバレーボールしか選択出来ませんでした。準備の制服から体操服の着替えも一斉に着替えるスタイルでした。私は恐怖しかなく頑張って耐えて、「男子の枠」の中で毎日頑張ってました。
この当時は。「学ラン」「部活」「体育の授業」が辛かったです。 頑張れたのは部活や授業前の着替えの時、片想いしている同級生男子の近くで一緒に着替えていたので頑張れてました。彼の身体を真近かでこっそり眺めてた事もありました。 部活前の着替えを何とか重ならない様に考えました。担当している事をわざとその時間にしたり、日直の記録をその時間にしたりとにかく私の着替えを出来るだけ見られない様にしてました。
数ヶ月が過ぎた梅雨時期だったと思います。
「男子の枠」で部活に参加する事が耐えきれなくなって、とある日校舎内に隠れて部活が終わるのを待ってました。1日目は気づかれること無く成功しました。
2日目の事です。偶然にも担任の先生が近くを通り、私のカバンが見つかってしまいました。もちろん職員室へ連れて行かれました。この時一緒に暮らす母親が入院していて、実の父親に経緯を担任の先生から伝えられました。時間も部活が終わる時間になっていて、父親が学校まで来ました。そして一緒に父親の家まで帰り、すぐに改めて理由を聞かれました。私は本当の理由が言えなくて、思いついた理由を言うしか出来ませんでした。何とか説得して夕食になり私は「一安心」しました。
夏になりプールの授業が始まってしまいました。私からすれば過酷そのもの。着替え、授業中、終わりの着替え全てが苦痛を越して過酷でした。
始めは同級生男子と1部屋で一斉に着替え、見られたくない感情が強かったです。授業中はサーフタイプの水着だったので、ここでも「男子の枠」が強調されてました。終わりの着替えも始まりと同じで、見たくなくても必然的に視界に他の着替えてる男子が入って来て「男子の枠」に居ると強調されました。
秋、冬は校内の合唱や体育祭等、全て自分は「男子の枠」で参加している。と認識せざるおえない事ばかりで何をするにも毎日辛かったです。
覚えているかぎりこんな1年間でした