第11講
二月の勝者×塾講×受験ブログ
前田花恋 退塾騒動編完結
(c)高瀬志帆/小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ』
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公立の小学校という枠組みにひょっとすると今の時代に合わなくなっている部分が出てきているのかもしれません。個性を伸ばすという風潮が良しとされる現在。むしろ一生懸命勉強をするということが批判を受けやすくなっているのかもしれません。
私の教え子でも一生懸命勉強していることを学校の担任教師から批判されたということを多々耳にします。学校の昼休みの時間を使って塾の小テストの勉強をしていると「昼休みは友達と遊んで協調性を学ぶ時間だ」などと注意されたであるとか、授業中に手をあげなかったことをみんなの前で「こんな簡単な問題は自分が答えるまでもないと思ってるんじゃないのか」と叱責をされたなどと学校教師の勉強できる子への批判風当たりについての話題は枚挙にいとまがありません。決めつけては悪いですが子供からの話を聞く限り公立小学校の教師の多くが中学受験そのものに否定的であり中学受験のために学習塾に通っている子を目の敵にしている、目の敵にはしないまでも批判的な目で見ているといったケースは多いように思います。
教師や講師といった子供相手の先生業をしているとどうしても中心人物としてクラスの子どもたちを導いて行かねばならない場面が多くなり、いつのまにか先生病にかかっている講師や教師はたくさんいます。
私がここで述べている先生病とは、相手の状態や置かれている状況を考慮せずに自分が正しいと思うことを相手に押し付けることが普通であるという認識をしている人たちのことを指します。
先生という仕事をしていると子供達を自分の価値観に合わせる場面というのが増えます。その都度これは自分の価値観に子供を会わせているんだと自覚しないまま日々を過ごしていくと、自分の価値観の外にある人に対して批判的な目を向けるようになってしまいます。つまり自分の正しい価値観に合わせないということは相手が間違っていると考えてしまう感覚です。

特に学校の教師が勉強を先取りしている子供に対して批判的な態度をとるとこれ幸いとその教師の価値観に追従する生徒が出てきます。
多くの子供たちにとって勉強とはできるほうがいいものであるのは間違いないのですが勉強ができるように努力をするのは嫌な子が多いので、努力をして勉強ができるような子を見ると単純に凄いなあと思うよりは批判的な目を向けて自分自身が努力していないことを正当化しようとするわけです。
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もちろん公立小学校の担任教師の性格やものの考え方によりますが、お子さん達は保護者の目の届かないところでこうした批判的な目や態度と戦っているかもしれません。なんにせよ、すごいものはすごいとお互いが認め会えるような賞賛し合える環境に身を置きたいものですよね。
私の教え子で開成中学に入学した生徒が受験途中に言っていたエピソードがあります。
少し長い休み時間に塾の問題集を広げて復習をしていたそうです。それを授業が始まる少し前に入ってきた担任教師に見られたそうです。授業が始まるとその教師は突然「友達と遊ぶ時間に勉強ばかりしていてもろくな大人にならんぞ。」と私の教え子に向かって言ったそうです。開成中学を狙うぐらいの学力の子供なのでそこは口も大人には負けません。「小学校で習う勉強ぐらいきちんとやらないでろくな大人になれるとは思えません」と言い返したそうです。
ガリ勉という言葉があるぐらいですから私たち日本人は協調性よりも個人の能力を高めるための勉強をする行動をとる人に批判的な方がまだまだ多いように思います。20年前30年前のような助け合いの文化が損なわれ自己責任という言葉が世の中に浸透した現在、協調性ばかりを優先していては生き残れないと私は思います。