1288 風船爆弾の講演会に行ってきました | 中央台おやじの日記

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23日(日)いわき市勿来関文学歴史館主催の講演会「資料から見た風船爆弾
~開発者の視点・気象学者の視点~」を聴講しました。
講演者は、いわき市教育文化事業団の気象予報士でもある梛良幸広氏。
内容は、一部になるが、
風船爆弾は、1933年に兵器として開発が始まり、陸軍と海軍の技師や気象
学者が開発にあたった。ジェット気流が発見され、気球は勿来から北アメリカ
大陸に2~3日で到達した。気球は上昇すると気圧が下がり膨らみ、夜になる

と温度が下がり縮む。積んだ砂袋を順次落として高度を保ち、落とす砂が無く

なると、気球は自爆して、爆弾が落下して森林火災を起こすことが目的だった。

ラジオソンデを乗せた気球もあり、飛行路を追跡した(米軍も察知しただろう)。
飛ばされた1944年11月から、翌45年の4月の気象データを見ると、適
した気象条件は十分にあったと考えられる。
風船爆弾は極秘作戦であり、終戦時に全ての資料が廃棄された。戦後に開発者
が書き残した文書が唯一であり、新資料発見も僅かである。気球は和紙とこん
にゃく糊で、日本各地で女学生が動員され作られたが、その生存者も僅かにな
りつつあり、今その証言が求められる。
勿来バイパスの工事で、勿来基地の一部は消失した。証言者がいなくなる時、
近現代の遺跡の重要性が増すが、地元の強い意志がないと進まない。と講演を
結ばれた。
当ブログ1274で紹介した大津基地(五浦)の放球台は、水素タンクの基礎
であり、現存する放球台跡は無いとのことだった。