5月3日憲法記念日 いわき市勿来関文学歴史館の主催の風船爆弾の勿来基地
跡の現地見学会に参加しました。
現地はJR勿来駅の南西側のすぐ裏、太平洋からは見えず、常磐線の車窓から
も見えない所にありました。当時は極秘事項だったのだ。
現地は、勿来駅から基地への引き込み線の橋げた(写真)以外なにも残ってい
ない。この上に民家がたっている。
次の写真は、真ん中の民家にあたる位置に本部の建物があった。本部の裏山の
向こうが常磐線、太平洋となる。現在は日晨工業社の敷地と、周りの谷が基地
跡となっている。太陽光パネルがそこそこにある。谷には10個の放球台(気
球の発射台)があった。
参加者には、コンクリート施工や和紙に詳しい方がおられ、学芸員の説明を
補足された。
3枚目の写真は、現地の説明板。
文学館で企画展示の説明を受けた。終戦により風船爆弾の資料は廃棄された。
この基地の兵隊の集合写真が唯一のものとのこと。終戦直後の1946年に
米軍の写した航空写真に点在する放球台が映っていた。その後、農家の人が
撤去して農地に戻した。陸軍は和紙とこんにゃく糊で、海軍は絹織物とゴムで
クレハで、学徒動員された女学生が気球の材料を作った。完成した気球は大き
な建物で膨らませてテスト後に、列車で運ばれてきた。勿来の海岸の砂70kg
をバラストにして、それを落としながら自動で高度を維持しながら飛んだ気球。
35kgの焼夷弾を乗せて。それが当時の日本の最新兵器だった。
竹内公太氏の展示「風船の飛んだ先~」は、2017年にアメリカの気球の到
達した場所を訪れた各地の写真が展示されていた。アメリカの機密文書の公開
で、当時の記録がきちんと残されているのがすごい。
隣接の吹風殿では、竹内氏が気球の到達した地面の写真を張り合わせて作った
直径10mの球体の作品が展示されていた。まるで風で生きているかのようで
あった。
なん十tもの爆弾を積んだB29の編隊と膨大な尽力で作った原子爆弾の国と、
風船爆弾が秘密兵器の国の戦い。まるで今の中東の戦争を見るようだ。
「学徒動員」の歴史も忘れさられてしまうのだろうか。戦争に部外者はいない。