1231 会津に運べだと このミッションあなたどうする | 中央台おやじの日記

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三和町地域づくり活動支援講演会「どうする三和町―戊辰戦争と三和町
の関わりー」を聴講してきました。
三和の駐車場も体育館も満杯。講師は宮内庁書陵部編修課主任研究員
の白石烈(つよし)氏。地元三坂出身、宮内庁の資料、天皇や皇族の伝記
を編修する(国の歴史を編纂すること)部署の方だ。
講演は、自己紹介に始まり、三阪小学校中学校の話で、なかなか本題に入
らない。訳があった、前列に小学生中学生が席をしめていたのだ。講師から

どうすると質問に答えた中学生学年代表は皆女子であった。私の時代とは違う。
本題に。戊辰戦争は官軍の平潟上陸から平城落城までがハイライト。戦った
双方の兵隊(武士)が残した文書を読み解くものが多かったが、本講演は、
当時三坂の農民のリーダーだった、草野伊左衛門(くさのいざえもん)が残した
「慶応年中軍(いくさ)日記」を発掘した本演者が解説し、「こんな時代に生
まれたら、どうする皆さん」と問いかけるものであった。それには今に通じる

ものがあるのだろう。
当時、三坂、市萱、渡戸は、官軍の笠間藩(茨城県)の領地であった。
住民には、官軍の物資の調達運搬が課せられた。会津攻めでは、戦場まで
命がけの仕事もあった。日記には、悩み奮闘したことが具体的詳細に記されて
いる。自分で見たもの、聞いたもの、感じたことも書かれている。兵隊の記録
とは全く別の立場の人、視点の話であった。会場には伊左衛門の子孫の方
もおられ、発言された。