--今回はビッグフラッグ隊のお2人にお話を伺いします。まずは自己紹介とゼルビア歴を教えて下さい。

吉本「吉本です。ゼルビア歴は2009年から。今年で14年目になります。」

新倉「新倉です。ゼルビア歴は同じく2009年からです。ただシーズンチケットを購入してスタジアムで観るようになったのは、ランコ ポポヴィッチ監督が最初に率いた11年がスタートです。実は相馬直樹監督だった10年も試合を観に行っていましたが、新聞屋さんで配られた無料券を利用していました(笑)。」

 

--お2人方とも結果的に同じようなタイミングからゼルビアライフが始まったのですね。それぞれゼルビアを知ったきっかけを教えて下さい。

※左:吉本さん、右:新倉さん

吉本「09年当時、多摩市立陸上競技場で開催される横河武蔵野FC戦を告知するチラシを永山駅か多摩センター駅で受け取った際、近くにサッカークラブがあることを知りました。妻を連れて観に行ったことがきっかけですが、初観戦は野津田ではなく、多摩陸でした。」

新倉「私は重田貞夫先生がきっかけです。小山FCでサッカーをやっていたうちの息子が重田先生に教わっていました。当時はまだ浦和レッズが好きでレッズの試合を観に行っていることを重田先生に話すと、「誰が好きなんですか?」と聞かれたんです。」

 

--なんと重田先生との接点があったのですね。

新倉「そうなんです。田中達也選手が好きだったことを重田先生に伝えると、「足の速い選手が好きならば、レッズに行かずに、ゼルビアの勝又慶典を観に行ってみてはどうか」と推薦して下さいました。重田先生のアドバイスがきっかけになりましたが、観に行った試合は残念ながら勝又選手は怪我で出ていませんでした(涙)。」

 

--“ゼルビア沼”にハマっていったプロセスは?

吉本「結局09年はシーズンも終盤だったので、その試合しか観に行くことができずに翌シーズンから妻とお弁当を持参して、芝生席で観戦するようになりました。初観戦から数試合目に推しだった太田康介選手のサイン入りボールを妻がキャッチしたことで沼にハマりました。そこからはほぼホームゲームの観戦に出掛けるようになりました。」

 

--太田康介選手、良い仕事をしましたね。新倉さんはいかがでしょうか。

新倉「私は応援がきっかけです。大人になると、あんなに大声を出すようなことはありませんし、良いストレス発散になりました。そうして大きな声を出して応援するようになってから沼にハマり、気づいたら仲間が増えていました。」

 

--お2人はなぜビッグフラッグ隊へ入ったのでしょうか。

吉本「そもそもどういう形でビッグフラッグが始まったのか改めて調べてみると、09年からシリコンバンドの基金でビッグフラッグを制作しようとなったようで、10年の8月に芝生席を改修する前の最後の試合でビッグフラッグを初めてあげたようなんです。」

新倉「あの時の自分は、ビッグフラッグの下に入っていました。」

吉本「自分はメインスタンドから妻と見ていました。その後は記憶は定かではないのですが、天皇杯2回戦での東京ヴェルディ戦(西が丘)や、続く3回戦のアルビレックス新潟戦(ビッグスワン)であげたようです。新潟戦はアウェイのバスツアーで参戦し、その時に初めてビッグフラッグの下に入りました。」

 

--それぞれ関わるタイミングがあったのですね。

吉本「ただそれ以降はビッグフラッグが出てこなかったので、仲間内で「なぜビッグフラッグが使われないんだろう?」と疑問に思っていたところ、のちに初代リーダーになる福室さん(通称:ふくやん)が「僕たちが主体となってビッグフラッグをあげて良いですか?」とクラブに確認しました。それがビッグフラッグ隊結成の経緯です。ふくやんがいなかったら、ビッグフラッグ隊は立ち上がっていないので、とても感謝しています。」

 

--そんな経緯が!

吉本「そしてビッグフラッグ隊として初めてあげた試合が12年の野津田での熊本戦です。」

 

--不勉強で恐縮ですが、10年の8月にあげたものと同じビッグフラッグを現在も使っているのでしょうか。

吉本「はい、そうです。以前からあったものを復活させて、ビッグフラッグ隊が継続して使っています。」

 

--新倉さんはどのタイミングでビッグフラッグ隊に入隊されたのですか。

新倉「私は12年8月のホーム鳥取戦です。平日のナイターでした。他の隊員の方々は、お盆休み明けで平日の休暇を取れないということで、吉本さんに「事前準備を手伝ってほしい」と頼まれて、2人で準備しましたよね? それで気がついたら、Facebookのグループに自分の名前も入っていました(笑)。」

 

--12年に復活されて12年のホームゲームは、大半の試合でビッグフラッグはあげてきたのでしょうか。

吉本「ほぼホームゲームではあげてきました。」

新倉「ただ13年以降は、ポイントポイントであげる試合を決めて、ビッグフラッグを出すようにはしていました。」

 

--ちなみにビッグフラッグをあげた試合で印象に残っているものはありますか。

新倉「“ぬか喜び”があった15年J3最終節のアウェイでの長野戦とJ2・J3入れ替え戦のアウェイでの大分戦です。」

吉本「長野の試合は自分たちで持参しましたし、大分での試合は遠征トラックに乗せて大分まで運んでいただきました。大分での試合は僕たちの到着がギリギリになったので、先に到着していた2人のメンバーに事前準備を頑張ってもらうなんてことがありました…」

新倉「あったねー。大分空港から10人乗りのレンタカーを予約していましたが、先方の手違いで8人乗りのレンタカーが予約されていました。2人が乗れなくなるので、変えてくださいと交渉をして、レンタカーが手配できるまで時間が掛かったので大変でした。スタジアムに着いたら走って、ゴール裏へ。そしてゼイゼイ言いながら、寒い時期なのにもう汗だくでした(苦笑)。」

 

--なるほど、そんなご苦労が…。

新倉「あの試合は町田市役所でパブリックビューイングをやっていたので、失敗はできないぞとプレッシャーが掛かっていました。」

吉本「本当にもう大変でした…。」

 

--ビッグフラッグ隊は現在、どのぐらいのメンバーで構成されているのですか。

吉本「12人です。ちなみに女性メンバーは1人なので、紅一点です。」

 

--ビッグフラッグをあげる試合を決めるプロセスはどんな形でしょうか。

新倉「Facebookのグループ内で「そろそろ1回あげましょうか?」と打診するような形から決まっていきます。」

 

--ちなみに好成績だった18年は何試合ぐらいあげましたか。

吉本「優勝が懸かった最終節の東京ヴェルディ戦は当然として、5試合ほどやりました。」

 

--逆に残留争いだった19年は?

吉本「4試合ですね。」

 

--チーム状態が良いシーズンの方が必然的に回数は増えるのですね。

新倉「チーム状態が良い時の方が観客席の方から「いつビッグフラッグをあげるんですか?」と聞かれます。」

 

--ビッグフラッグ隊の魅力とは?

吉本「ファン、サポーターの皆さんに喜んでいただけるのはもちろんですけど、自分たちが楽しめることも魅力です。仲間たちといつあげるのか。どのタイミングでたたむのか。そういった話し合いをしている時が楽しかったりします。」

新倉「こんな風貌をしていますが、お子さんによく話し掛けられるタイプでして(笑)、「ビッグフラッグの下にいるのが楽しい」と言われることがうれしいです。」

 

--推しの選手とその理由を聞かせて下さい。

吉本「自分は太田康介選手を推すようになってから、他の推しの選手を作っていません。」

 

--一途、なのですね。

吉本「仲間と狂犬倶楽部を作って応援していたぐらいですから。ただユニフォームに関しては、そのシーズンで期待値の高い選手にしています。ちなみに今年はエリキ選手です。何の相談もしていないですが、2人ともエリキ選手でした(笑)。」

新倉「自分も勝又慶典選手以上の推しは現れていません。完全に引き込まれました。昨年の冬にゼルビアのジュニアユースと長野パルセイロとの試合が小野路であった時に、会いに行きました。」

 

--これまでのゼルビアの試合で印象に残っているものは?

吉本「1つに絞るのは難しいので、複数でも良いですか。大分で昇格が決まった試合が1つ。2つ目が11年のホーム最終戦に星大輔さんが引退した試合は印象深いです。星選手がゴールを決めて、ゴール裏まで来て、引退報告をしてくれたんですよね…。最後に初めてアウェイ遠征に出掛けた天皇杯の新潟戦。以上、3つです。」

 

--天皇杯の新潟戦は1-2で敗れましたが、太田康介選手がゴールを決めた試合ですね。

吉本「そうなんです。行きのバスで「誰がゴールを決めるか」という予想クイズ大会がありました。実は妻だけが「太田康介選手」と書いていたようで、集合写真の景品が当選し、今でも家に飾ってます。」

 

--本当に太田康介さんは良い仕事をしますね(笑)。

吉本「そういう縁なのでしょうね。」

 

--新倉さんはいかがでしょうか。

新倉「負けた試合を挙げてしまいますが、1-6で敗れた12年の野津田での千葉戦です。「Jリーグってすげぇな! 何点入れられてしまうんだろう…」と途中から思うようになっていました。」

吉本「負けた試合で言うと、13年の佐久での0-4で負けた長野戦も印象に残っているよね…。」

新倉「そう。土砂振りの中で川邊裕紀選手に恩返しゴールを決められて…。」

吉本「バスの中で服を絞ったよね(笑)。懐かしいね。」

 

--久しぶりに清水戦でビッグフラッグをあげられていかがでしたか。

吉本「だいぶ段取りを忘れていたよね(苦笑)。20年の甲府との開幕戦以来なので、かなり段取りを忘れていました。」

新倉「思った以上に他のファン・サポーターが協力して下さったことがうれしかったです。後で見たらきれいにピンとあげられていました。片付けている時に母親とお子さんが2人こちらにいらして、今回は見られなかったらしいですが、お子さんが「次は手伝わせて下さい!」と話された時はうれしかったです。ジーンと来てしまって…。涙腺が緩い年頃なんです。」

 

--復活の日を清水戦にしたのは何か理由が?

新倉「本来は岡山戦でやることを計画していましたが、天候が悪かったので、断念していました。」

吉本「ただ清水戦になって、結果的に良かったと思っています。」

 

--実際にあげられた試合の勝率はいかがでしょうか。

新倉「体感では結構良いみたいです。先ほど声を掛けられたという話をしましたが、その時にも勝率が良いと言われました。褒められて伸びるタイプなんで(笑)。」

 

--コロナ禍であげられない時期は、忸怩たる想いだったのでは。

新倉「JリーグからNGが出ていたわけですし、こればかりは仕方がないと割り切っていました。待つのみでした。ただビッグフラッグの状態を確認できないことは心配でした。」

 
--実際にできないと聞いた時の率直な心境は?

新倉「意外に冷静でしたし、「ですよねー」という感情でした。個人的には志村けんさんが亡くなったことが衝撃でしたから。」

吉本「それ以前にJリーグがあって、ゼルビアがあって、試合があってと、試合がない限りはビッグフラッグをあげることはできませんから。」

新倉「Jリーグが再開したアウェイでのヴェルディ戦は、無観客試合でも「始まったー!」と本当にうれしかったです。そして平戸太貴選手のゴールに喜び過ぎたあまり、自宅で娘から怒られました(笑)。」

吉本「あの時期は、試合のある喜びが先立っていたよね。」

 

--その間はメンテナンスというか、ビッグフラッグの状態の確認すらできない状況だったのですか。

新倉「そうなんです。岡山戦の前の週に広げて状態を確認しましたが、匂ってくるのは分かっていたので、メンバーでファブリーズを30本ほど持ち寄り、人海戦術で30分ほどでやり切りました。」

吉本「それから改めて広げた時は、若干ファブリーズの匂いがしていました(笑)。」

 

--あげた時の感情はどうでしたか。

新倉「上げて、下げての指示をしていたので、下の人はどう思っていたのか。気に掛けていました。選手の入場を見たいという方は一定数いますし、結構長い時間あげていましたが、皆さん協力的でした。終わった後に感謝の言葉をいただいて、またウルウルしてしまう自分がいました(笑)。」

吉本「皆さんが喜んで下さったことは顔を見て分かりましたし、私も新倉さんと同じです。どれだけ告知をしても、知らない方もいるので、どんな反応なのか。それはとても気になりますから。ビッグフラッグの下にいる方々は選手の入場を見ることができませんが、皆さんがニコニコしていたので良かったです。片づけてから自分の席に行くので、キックオフは見られませんが、引き上げた後の光景を見ることも自分は好きです。」

 

--今後の活動予定は?

新倉「できる限り、多くあげたいと思います。次の長崎戦は6月唯一のホームゲームなので、やろうと準備しています。」

 

--ちなみに他クラブのビッグフラッグ隊との横の繋がりはあるのでしょうか。

吉本「特にないですね…。ただ他クラブのあげ方やしまい方は気にしています。あげ方1つをとっても、下から上にあげて、上から落とす形もありますし、意外に上から下に下げる形も多いです。あとあげた後、左右に振るパターンもあります。」

新倉「自分たちはピンと張っていますが、横から広げるパターンも参考になります。かっこいいなと。」

--今後、ビッグフラッグ隊の野望はありますか?

吉本「そういった話をしたことはないですが、メンバーそれぞれで考えていることはあるかもしれません。個人的にはバックスタンドの2階から1階におろす形はやってみたいです。」

新倉「それはみんなが思っていることでしょうね。バックスタンドを活用する形や2階から1階におろす流行りの形はやってみたいです。」

 

--クラブに対して、今後期待していることは?

新倉「いろいろな期待を持たせて下さっているので、今度はクラブの期待に我々が応える番だと思っています。そのためにできることは何かを考えています。今は良い波が起きていますし、清水戦は劇的な勝ち方をして、最多の観衆記録も更新しましたから、皆でこの良い波に乗って、さらなる大きな波を起こしたいです。その結果、最後に目標を達成できるのではないかと思っています。」

吉本「私も同じ考えです。」

 

--今後、クラブにここは変わってほしくない、といった将来像はありますか。

吉本「どんなに大きな規模感のクラブになったとしても、「ふれあいサッカー」だけは続けてほしいです。「ふれあいサッカー」があれば、クラブの根幹の部分がなくなることはないでしょうし、「ふれあいサッカー」がある限りは、町田の基礎は続くと思います。」

新倉「「ふれあいサッカー」は見ていて、ほっこりしますよね。」

吉本「試合終了後、というのがまた良いですね。」

新倉「試合後にバックヤードの芝生で子どもたちがサッカーをやっている姿を見ると、たまらない気持ちになります。」

吉本「ボクシングを見た後に強くなった気分になるように、プロサッカーの試合を見た後はサッカーがうまくなったような気持ちで子どもたちもプレーできているのでは。」

 

--それでは、お2人にとって、FC町田ゼルビアとは。

吉本「もう「生きがい」という言葉以外は見つかりません。平日はなぜ仕事をしているかと言うと、週末にゼルビアの試合を見るためですし、なぜお金を稼いでいるかと言うと、チケットを買うためですし、ユニフォームを買うためです。仕事をしていないと妻も試合に行かせてくれないでしょう(笑)。平日はそんなに無駄使いはしないですが、週末は財布の紐が緩んでも許されます。」

新倉「究極ですが、私も「いきがい」でしかありません。」

 

--仮にJ1昇格を果たした時には、お2人はどんな感情になると予想されていますか。

新倉「“ぬか喜び”の時ではないですが、大号泣することは間違いないです。その長野戦はゴール裏で飛び跳ねている時代でしたが、気づいたら、「俺の涙を返せ!」と叫んでいました。」

吉本「泣きもするけど、自分史上最高に良い気分になるでしょう。」

 

--最後の2試合がアウェイになります。ホームで決めてほしいですね。

吉本「もちろんホームで決めてほしいですが、山口に転勤になったビッグフラッグ隊のメンバーがいます。第41節がアウェイでの山口戦ですから、これは何かの運命でしょうか…。」

--それでは最後に新メンバー募集に関して、一言いただけますか。

新倉「新しい仲間を募集しています。大歓迎ですので、天空の城で僕と握手を(笑)。」

吉本「1試合だけの限定参加でも構いませんので、ぜひ関心のある方はご連絡下さい。よろしくお願いします!」

 

●編集後記・・・

2023年5月21日(日)ホームで開催された、清水エスパルス戦。

ビッグフラッグが掲げられている、応援エリアを見て・・・

 

「日常がまた一つ戻ってきた」

 

当初、GW期間の岡山戦にてビッグフラッグを掲出する予定だったのですが、悪天候ににより清水戦に変更されました。

 

当日はクラブ公式観客動員も超える、非常に良い雰囲気のなか、復活をしたビッグフラッグ。

多くの方々にその瞬間を見ていただいたのと同時に、ファン・サポーターが作る天空の城野津田の雰囲気は最高でした。

 

応援エリアを中心とした旗の海・大旗隊・ビッグフラッグ隊と3つが揃い、本当に素晴らしい景色でした。

 

この景色を見続けるためにも、クラブ一丸となって前進し続けたいと思います。

(MACHIDiary 編集長より)