--今回はクラブアドバイザーである出雲さんにお話をお伺いします。元役員とお伺いしていますが、ゼルビアとの接点の始まりは?

出雲「2010年に相馬直樹体制になった折に、地元でJリーグに上がろうとしているサッカークラブがあることを知りました。ただ当時の私はサッカーも好きでしたが、本来は野球派。幸いにも姉がニューヨークにいたので、ヤンキースタジアムにメジャーリーグを観に行く機会に恵まれていましたし、その中で体感していたアメリカのエンターテインメント性に憧れを抱いていたんです。」

 

--野球派からここまでサッカーにハマった理由を聞かせて下さい。

出雲「日本代表がW杯に行くようになってからは、代表の試合を観に行くようになりましたし、2002年の日韓大会や06年のドイツW杯にも行きました。野球ばかりを見ている頃は、「1-0、2-0のようにスコアがあまり動かない競技の何が面白いのか」と思っていましたが、W杯や日本代表の試合を通じて、サッカーには目の離せない面白さがあるという競技の魅力に気付きました。こうしてサッカーが好きになった頃に、地元のゼルビアも応援しようと、ゼルビアの試合にも出掛けるようになりました。10年には石黒修一さんが中心となっていたゼルビアを支える会にも参加し、クラブ発展の為に、いろいろな提案をしてきました。」

 

--なるほど。そのゼルビア好きが高じて、勤務先である郵便局でゼルビアに関するいろいろな取り組みをされてきたのですね。

出雲「27年間、私は郵便局長(20年退官)を務めてきました。山口県出身である私が今、なぜ町田にいるのか。それは横浜の企業に勤めている折に、妻と知り合って結婚をし、その愛妻の故郷が町田でした。結婚するまでは町田のことを何も知らなかったのですが、妻の地元を応援したいという気持ちになりました。そんな折、義父が急逝し、後を継いで郵便局長を拝命しました。地域密着、地域貢献をテーマに郵便局で勤務し、ゼルビアというツールを通して、愛着のある町田のためにいろいろなことをしてきました。「なぜそこまでやるの?」と周りの人には言われてきましたが、やるとなったらとことんやろうと決意したからです。」

 

--ゼルビアと郵便局の最初のコラボは何でしたか。

出雲「局員が統一して着られるTシャツ着用とゼルビア貯金箱を一緒にやったことが最初だと記憶しています。その次がこのフレーム切手でしょうか。」

 

--10日のレノファ山口FC戦で販売されるフレーム切手ですか。

出雲「前回はポポヴィッチ監督が最初にゼルビアを率いていた時代であり、勝又慶典選手がいた時代の11年です。今回はガッツポーズ系の選手の写真も入れて、J1を目指すメッセージや、「町田を世界へ」というクラブのキャッチフレーズも、フレーム切手に落とし込んでいます。フレーム切手を初めて作った11年に今の大友健寿社長と出会いました。」

 

--それから10年以上、ゼルビアのために力を尽くして下さっているのですね。

出雲「クラブスタッフの人数が少なかった時代を知っていましたし、16年には今の下川浩之会長から「ぜひ役員に」と打診され、3年間務めた後、サイバーエージェントグループ入りした18年を最後に退任し、今はクラブアドバイザーという立場で関わらせていただいています。役員になった時は、ホームタウン委員長に指名されたため、集客に注力しました。その結果、1試合平均5,000人で10万人を達成したシーズンもありました。」

 

--集客に向けてはどんな働きかけをされてきましたか。

出雲「できるだけゼルビアの試合に来たことがない人を集めて、一緒に試合観戦をしてきました。今でもご近所の方々や家族の友人たちを毎試合十数人連れてきていますが、いろいろな人にゼルビアを知っていただき、一人でもリピーターを増やしたいという想いで活動していました。中には子育てが手離れした女性がサッカーの面白さに気づいてくれ、その後もチケットを買って観るようになってくれ、ホーム戦全試合を観戦にいらして下さるようになった方もいます。いつも気持ちはゼルビアと一体ですから、集客でやれることは惜しまずやらせていただいています。」

 

--郵便局とゼルビアのコラボでさまざまな取り組みをされてきました。アイディアの出発点を聞かせて下さい。

出雲「コンセプトは郵便局ネットワークというスケールメリットを活かして、ゼルビアをアピールすること。まず取り組んだことは、町田市内の郵便局全31局でゼルビアの告知ポスターの掲示や、のぼり旗を立てました。もちろん、営業用のスペースを割いての施策には、当初多少の反発はありましたよ。(笑)」

 

--局によっては、風当たりも強かったことが想像されますが、さまざまなことにご尽力いただいたのですね。

出雲「12年にJ2に上がりましたが、1年で落ちてしまって、JFLやJ3を経験した苦しい時代も知っています。限られたクラブスタッフが頑張る姿を見て、できる範囲で支えていこうと、いろいろなことを企画してやってきました。以前からいるクラブスタッフとも仲良くしてましたし、もはやファミリーですからね。」

 

--とてもありがたいお話です。

出雲「郵便局の良さは点ではなく面で施策を展開できること。約1マイルに一局は郵便局があるので、市内全郵便局でゼルビアPRを統一して実施することが出来ました。その一環として後に郵便局でのホーム戦チケット販売にも繋がりました。」

 

--郵便局でのチケット販売は画期的です。

出雲「もちろん、「切手販売だけでも煩雑なのに…」という反対意見もありました。それでも何とか郵便局でチケット販売をできないかと上に掛け合いました。というのも、郵便局のスケールメリットを活かしてお客さんを増やしたいという一心でしたから。郵便局は身近なところにありますし、その分チケットを容易に買いやすいだろうと考えました。その結果、コアな人には定期的に買ってもらえましたし、ゼルビアのことを知ってもらえる1つのステップになったかなと思っています。現在は、諸事情があって残念ながらチケット販売はしていません。」

 

--チケットの売れ行きが好調なシーズンはありましたか。

出雲「強かった時代は売れ行きにも比例しました。特に、18年クラブ史上最上位4位のシーズンはピークでしたね。最終節ホーム東京ヴェルディ戦は、他会場の結果により勝利すれば優勝という状況で、のちにゼルビアにやってくる林陵平選手にゴールを入れられたことが今でも悔しい思い出です。優勝を狙っていた相馬監督の胴上げが是非見たかったです。振り返れば、ゼルビアの成績は大半が苦しいシーズンでしたし、試合に負けると1週間は悔しくて気落ちしてしまいます。自身の健康にも影響しました。(笑)ただその一方で、この10年という短期間で、ここまで来たのかと思うと感慨深い想いもあります。感謝です。」

 

--郵便局でチケット販売をしたことによる間接的な効果はありましたか。

出雲「ゼルビアの露出に貢献できたとは思います。SNSでの発信を通じて、「郵便局でゼルビアの試合のチケットを売っているみたいだよ」といった認知に対して、良い影響を与えられたと思いますし、タウンニュースやFMラジオにも出させていただき、ゼルビアの認知には貢献できたのかなと思っています。また、一時は、市内の郵便車や配達バイクにもゼルビアエンブレムステッカーを貼ってPRしてました。郵便局は「あなたの街の郵便局」をキャッチフレーズにしてましたから、地域貢献は基本です。そういった意味ではゼルビアのためにできることをやることによって、それが地域貢献にも繋がると思っています。自分の局内ではゼルビアのチャントやDVDの映像を流したり、勝った試合の録画を流すこともしてきました。全ては街の人にゼルビアを意識してもらうことが必要だと思ってやってきました。」

 

--そうしたアイディアの源は何ですか。

出雲「自分がこういうものがあったら良いなと思うことを実際の行動に移してきました。その中で私が取り組んできたことの1つに「ゼルビア朝礼」があります。当時はまだクラブスタッフだった星大輔さんと町田市内の小学校全40校を、2年かけてほぼ回りました。」

 

--「ゼルビア朝礼」を始められたきっかけを聞かせて下さい。

出雲「東京五輪の開催が決まったタイミングだったため、まずはスポーツの大切さをアピールする場でした。回を重ねるごとに、参加する生徒たちも話を聞くだけでは面白くないだろうと、応援の仕方を伝授する形でゼルビアの応援を一緒にやる形を取り入れました。また「何かゼルビアのシンボルになるようなものがあればな…」と、ゼルビア下敷きを配ることにしました。本来は全校生徒に配布したかったのですが、コストの問題もあったため、新入生に絞りました。新入生は年々上級生になっていきますし、最終的には全校生徒に配布できる形になります。子供たちにとって、将来もゼルビアを郷土愛の一つに入れてもらえれば幸いです。」

 

--「ゼルビア朝礼」の様子は、鶴川駅のコンコースにも写真が飾られています。

出雲「家に帰ると、参加した生徒がゼルビア朝礼の様子を親御さんに話すだろうと、それも狙いでした。40校もあれば、その親御さんにもゼルビアのことが倍々に知られていきますからね。朝礼ではゼルビアアンセムを流して、大きなフラッグを振ったり、太鼓を叩いたりし、両手を広げて「マチダ、ゼルビア、チャチャッチャ、チャッチャ!」を連呼しました。今でも生徒たちの目がキラキラしていたことが印象的で、こちら側がいただくエネルギーもすごかったですよ。今はコロナ禍で難しくなりましたが、以前は体育館を出る際に、生徒全員がゼルビーとハイタッチをして帰るようにしていて、たいへん喜んでくれました。」

 

--「ゼルビア朝礼」を実行していく中で、どんな手ごたえがありましたか。

出雲「始めた頃は、マリノスやフロンターレのTシャツを着ている子がたくさんいましたが、ゼルビアはあまり見かけませんでした。次第にゼルビアのTシャツを着ている生徒も増えていったので、浸透している手ごたえをつかんでいました。民生委員をしていた時期もあり、ゼルビア朝礼を通じた地道な活動が、青少年の健全育成にも繋がることを期待していました。」

 

--最近は私費でおよそ5メートルにも及ぶ横断幕を作成されたと伺いました。

出雲「ゼルビアに関するアンケートを集計すると、「どこで試合をやっているのですか?」と、特に私が住む南町田エリアはそんな声が多いです。またクラブ名を「ゼルなんとか」とか「ゼルビア」と発音できないケースも散見されます。まずはより認知度を高めるためにも、今回、南郵便局に掲出する横断幕には、問い合わせが多いだろうなという項目が目立つようにしています。別名「天空の城 野津田」と言われるスタジアムがあることや、スタジアムへのアクセス、選手紹介、チケット情報、試合日程を検索できるようなデザインにしてあります。QRコードも読み取ってもらい、ホームページへつながるようにもしました。この横断幕が目に入る位置は道路が一方通行なので、車で通れば必ず目に入りますし、駐輪場に掲出するため、じっくり見てもらえます。また、ここに地元出身の太田宏介選手のサイン入りタペストリーも飾る予定で、太田選手と一緒に写真撮影をしてもらいたいと考えています。」

 

--10日のレノファ山口FC戦は町田市内郵便局マッチデーです。このきっかけを作ったのも出雲さんだと伺いました。

出雲「7年前に東京支社長と下川会長、大友社長、そして私の4人で歓談する機会がありました。その縁で郵便局も地元プロスポーツクラブに貢献するという施策の一環として、ゴール裏に看板を出すことになりました。看板には「町田市内郵便局」と名入れしました。それから今日までのマッチデーに繋がっています。ここから郵便局とゼルビアの「共に地域密着」がスタートしたと自負しています。ゼルビアは多くの他クラブと違って、一行政区の町田市をホームタウンとしているため、郵便局のスケールメリットをコンパクトに活かしやすいことも利点でしたね。」

 

--どんな部分に改善の余地がありますか。

出雲「多くの皆さんのご尽力で10年前に比べればクラブも街中PRもずいぶんと飛躍してきましたが、まだまだ伸びしろはありますね。のびしろがあるから取り組んでて楽しいんですが。FC町田ゼルビアは、都道府県名でもなく、大都市や県庁所在地でもない一ローカルな街のJリーグクラブです。それが逆に町田の強みでもあると思います。鹿島や柏、松本といったクラブのように、サッカーで全国にも名が轟くようになりたいですね。鶴川駅構内は随分とゼルビアPRがされてきましたが、市内の他の鉄道8駅、そして将来開通するモノレール各駅にも拡げてもらいたいなと思います。もちろん、郵便局もバージョンアップして応援しますよ!」

 

--有志で「ゼルビアプレス」と題したミニ新聞を作成し、発信してるとか?

出雲「そうです。近所の熱心なゼルビアサポーターさんが作成する「ゼルビアプレス」を、試合翌日に南郵便局から市内全局や東京支社、他市の郵便局に配信しています。局によっては、A3サイズに印刷して局のお客様ルームへ掲示しています。来局されるお客様からも「昨日勝ったね!」「平戸が入れたね!」「なんだあの審判は」とか、窓口がゼルビアの話題に包まれることもしばしばです。これが、Jのある街の良さなんですよ。」

 

--ちなみに10日の山口戦では「町田市内郵便局マッチデー」が開催されます。注目ポイントを教えて下さい。

出雲「昇格に向けた大事な試合をサポートさせていただきます。10人の選手が写った記念フレーム切手やご購入者へのサッカーボール貯金箱のプレゼント、そして選手に直筆で応援メッセージを書くような企画もあります。また当日は「ぽすくま」「ぽすじゃむ」という郵便局キャラクターも来場しますので、一緒に写真も撮れますよ。試合前のキックインも「ぽすくま」がやりますので、楽しみにしていて下さい。たくさんのご来場をお待ちしております。」

 

--ここからは少し出雲さん個人についてのお話も伺います。これまで印象に残っている試合は何ですか。

出雲「やはり15年のJ2・J3入れ替え戦です。まずホームでの第1戦は燃えました。またアウェイ大分での第2戦には息子を連れて行き観戦しました。相手の大分サポーターはゼルビアの選手を威圧しようと、ドーム内を太鼓でドンドン鳴り響かせる中、我々も負けないぞと、声を枯らして応援しました。試合では髙原寿康選手のPKセーブもあり見事に念願のJ2復帰を決めました。昇格が決まったあと興奮し過ぎて、持っているアドレス全部に「ゼルビアJ2再昇格」のメールを発信してしまいました(苦笑)。」

 

--興奮されたお気持ち、分かります。

出雲「ゼルビアの何が好きかって、ゼルビアに関わっている全ての「人」が好きなんでしょうね。監督、コーチングスタッフ、選手、クラブスタッフ、サポーター、ボランティアの方々の皆が好きです。特にアウェイゲームに行った際、町田のサポーター仲間と会える感激・感動は最高ですね。言葉になりません。」

 

--その他、思い出に残っている試合はありますか。

出雲「満員札止めだった16年のセレッソ大阪との開幕戦は印象に残っていますし、同じ年に昇格が決まるかもしれない松本山雅に、チームカラーである緑でスタジアムをジャックされてしまったことは、悔しくて仕方がありませんでした。また、試合ではないですが、JFL時代、玉川学園講堂でシーズンの決起集会をやっていた頃の熱気も、今思えば懐かしい一コマです。」

 

--贔屓にされている選手はいますか。

出雲「深津康太選手や中島裕希選手、奥山政幸選手など、長く所属している選手には頭が下がります。平戸太貴選手、髙江麗央選手、太田修介選手、佐野海舟選手など中核を担っている若手の選手たちも贔屓にしています。また次世代の佐藤大樹選手、樋口堅選手にも期待しています。平河悠選手もいいですね。とにかく選手に対してはそれぞれ愛着がありますし、現役選手も、出て行った選手に対しても、愛情を注いでしまいます。結局はゼルビアに関わった選手全員が好きなんですね。(笑)」

 

--クラブの将来性については、いかがでしょうか。

出雲「ゼルビアの強みはポテンシャルが大きいということ。サイバーエージェントさんのコンテンツをどう活かしていくか。それが鍵を握ると思います。首都東京のクラブであることも、世界に発信できる好素材です。また夏に加入した太田宏介選手のように、町田出身のJリーガーは多いですから、「サッカー王国」と言われている浦和や静岡のように、名実ともに町田がサッカーの街になってほしいなという想いはあります。このグラウンド、このクラブハウスがその拠点になり得ると思っていますし、こんな立派な施設ができたことも、感慨深いです。」

 

--それでは最後に出雲さんにとって、FC町田ゼルビアとは。

出雲「気持ちはゼルビアと一心(身)同体です。私にとっては、一人称の存在ですし、もはや生活の一部ではなく、生活の大半です。私としては、外から応援するだけではなく、ゼルビアの中にいる感覚です。ちなみに試合を見る時は、あるルーティンがあります。」

 

--試合でのルーティン、ぜひ聞かせて下さい。

出雲「選手がウォーミングアップに入ってくる瞬間までには着席し、試合が終わった後は勝ち負けに関係なく、選手がスタジアムを一周して、ロッカールームに引き上げるまでは席にいます。最後は結果に関係なく、選手たちを労いたいんです。やっぱり選手の姿は最初から最後まで見ないと。GKがアップに入ってきた時が応援のスタートです。今後も末永く続けていきたいと思います。」

 

●編集後記・・・

ゼルビアへの深い、深い愛の詰まった取材時間でした。

 

「ゼルビアの中にいる感覚です」

 

この言葉に全てが詰まっていると思いました。

どんな時も主語は「ゼルビア」

様々なアイデアも全てはゼルビアがよくなるために。

 

出雲さんとゼルビアが次の10年をどのように過ごすのか。

今から楽しみで仕方ありません。

(MACHIDiary 編集長より)