--今回はボランティアスタッフである高野ご夫妻にお話を伺います。

 

高野悦子「高野悦子です。出身は東京です。母の実家は相模原で最寄駅は町田駅なので、町田とはそういう縁があります。」

高野慎一「高野慎一です。出身は東京の板橋区です。今の仕事は、実家の不動産業を継ぐ形になりましたが、以前は会計事務所に20年ほど勤務していました。昔は会計事務所勤務の経験を活かして、ゼルビアに協力していた時もあります。ゼルビアとの関わりは15年以上になります。」

 

--ゼルビアとの関わりはどんなきっかけだったのですか。

慎一「松永さんの回にも出てきましたが、今は亡くなられたジャーナリストの広瀬一郎さんがスポーツマネジメントスクールを開講されていて、私は2005年に受講生でした。ちなみに妻は翌年の06年に参加しています。」

悦子「私の同期には大友健寿社長がいるんです(笑)。」

慎一「当時のゼルビアはまだ関東リーグでしたが、Jリーグ入りを目指していたので『その為にできる事は無いか』と考えていました。妻の参加していた年代は講義以外に大友さんを中心に同期の有志で勉強会を開いていました。年代が違うので私は参加していませんでしたが、妻から『何かできる事はないかねぇ』と言われたので、当時勤務していた会計事務所のお客様で町田でカレー店をやられている方に、『ホームゲーム当日にケータリングを出せたら良いな。でもお店も忙しいし難しいかな』と、恐る恐る話を持ちかけたところ、オーナーの方から『実は私も高校までサッカーやっていたんですよ。そういう事なら協力します!』と、2つ返事で引き受けて下さいました。」

 

--ケータリングですか。

慎一「どうせなら試合会場で少しでも美味しいものを食べたいですしね(笑)。『ケータリングが出店できそうだという事と今後の流れを話し合う為に、07年のリーグ戦前の駒沢で初めて大友さんに会いました。練習用のボールの入ったネットを担いでやってきた大友さんの姿は忘れません(笑)。今後の流れを確認し、『良かったら、この後の試合も観て行って下さい』と大友さんに言われたので、試合観戦をしたら試合内容も面白く、関東リーグのホーム開幕戦に友達と観戦に行くことにしました。当時はメインスタンド以外は芝生席でしたが、思っていたよりお客さんも多く良い雰囲気の中で試合が行われていました。試合当日の運営はボランティアがメインでしたが人数は数名しかいない状況でした。だったら少しでもお手伝いをしようと、まずは私だけがボランティアとして関わり始めました。」

悦子「私も少し遅れてボランティアを始めましたが、ちょっと違う形でした。試合が終盤に差し掛かった頃にスタジアムへ行って、後片付けを手伝うボランティアをしていました。」

慎一「当時足が速く、ドリブルで駆け上がっていくのですが、シュートの精度は・・・(笑)、といった特長の柏木翔一選手が所属していました。わかりやすく例えるならば、元日本代表の岡野雅行選手のようなスタイルのプレーヤーで、試合終盤に登場するスーパーサブ的な起用が多かったのですが・・・。」

悦子「その柏木選手は残り5分程の時間帯に出場することが多かったので、私の中では「柏木選手の出番より早くボランティアに行く」が合言葉でした(笑)。」

 

--なるほど。そんなことが(笑)。ちなみに具体的にはどのようなボランティア活動をされてきたのですか。

悦子「ゼルビアのボランティアは途中で抜けることもできたのですが、私がフルタイムで参加するようになった時、当時のボランティアをまとめるスタッフの方から、「試合が1つも見れないポジションがありますが、そのポジションに人を入れなければいけないので、どうでしょう?」と打診されました。私はサッカーにあまり興味がなかったので、試合を見られなくても構わないポジションである、スタジアム内のメディアや関係者の方の受付に配属され、10年ほどやらせていただきました。その後イベント会社の方も運営に携わるようになってからは、メインスタンドの売店兼ファンクラブブースで接客や販売をおこなっていました。そしてコロナ禍になった後にスタジアム外に出て主人と同じ場所に配属されて、今はファンクラブブースでゼル塾などの対応をやっています。」

慎一「私は関東リーグ時代から、おもにファンクラブのポイントカードのスタンプ押しや特典渡し、お客様へ場内の案内などをおこなってきました。08年はJFL昇格のための地域決勝大会への参加費用のカンパを募るために「石垣島募金」としてゲートで募金箱を持って寄付をお願いしていたこともあります。あと昔はクラブに人もお金も足りなかったので、こどもの日には画用紙で兜を作ってかぶりながら接客したり、七夕の短冊を用意してブースに飾ったり、季節感を感じられるものを自腹で用意して、少しでも来場された方に楽しんで頂こうとしていました。コロナ禍後は10数年目にして初めて妻と同じテント内の配属になり、お互いに文句を言い合いながら(笑)、これまでのようにゼルビスタブースで特典の引き換えや、またバス停から階段を上がった先で迷っているお客さんの案内や天空の城マップの配布などをしています。」

 

--どちらもホームゲームは試合を見られる状況ではないのですね。

悦子「スタジアムから喜ぶ声が聞こえてきて、和田翼スタジアムDJの「ゴーーーール!」という声が聞こえてきたら、慌ててDAZNを立ち上げる感じです。でも見えなくても私は大丈夫です。」

慎一「私はホームゲームでは、以前ボランティアに参加されていた方や昔はよく観戦にいらしていた知り合いのサポーターの方などが、『バックスタンドが改装されてきれいになったスタジアムを見てみたい』と来場する時に、案内役としてチケットを買って一緒に観戦することはたまにあります。ただ、試合が終わればブースに戻って、またボランティアをしています。」

 

--試合を見るのはアウェイゲームでカバーする形ですか。

悦子「あまりカバーしている感じではなくて。主人は別ですが、私はサッカー観戦が旅の目的ではなくて、遠征先で近くに温泉があるといったオプションがないと、なかなかアウェイまでは出掛けません(笑)ゼルビアは好きなのですが…。」

慎一「そういったことを考えると、私たち夫婦的には実は現状のJ2がベストだったりします(苦笑)。」

悦子「生で観戦していても、こう言っては選手たちに失礼ですが、試合内容はよくわからないのであまり気にならず、選手が途中で交代していると、怪我してるのかな? 大丈夫なのかな? と家族の目線で勝手に心配しています(笑)。」

 

--お二方ともゼルビアに関わるようになったのは、ご結婚されてからですね。

慎一「そうですね。私はスポーツでは野球が一番好きで見てきましたが、結婚から3年後、野球界再編の時期にリーグや一部球団の運営自体にちょっと嫌気が差して、「自分にも何かできる事は無いのか」と日々モヤモヤした思いを持ちながら過ごしていました。その頃たまたま見たテレビの討論番組で、出演していた広瀬一郎さんが一番まともなこと(笑)をお話しされている印象を抱いたので、広瀬さん主催のスポーツマネジメントのスクールを受講しました。講義内容が刺激的で受講生も個性的な方が多く、毎回講義後に飲み会があるのですが、ほろ酔い加減のまま帰宅しては、妻にその日の講義内容などを報告をするのがお決まりでした(笑)。」

悦子「こっちは眠いのに、とても迷惑ですよ(笑)。話の中で横文字が出てくるので、「分かるように話して」と言ったのですが、「詳しく知りたいなら、スクールに通いなよ」と主人に言われたので、次の年代に申し込んで私も通うようになっていました(笑)。」

慎一「妻もスクールに通っていなければ、大友さんと出会うこともなかったでしょうし、今のようにボランティア活動もやっていなかったでしょうから、縁とは不思議なものです。」

 

--当時のゼルビアから今のようなゼルビアになることを想像できましたか?

慎一「オーナー企業がIT系になることや、クラブハウスを新国立競技場と同じ有名建築家が設計する(笑)とは思っていませんでしたが、これぐらいの規模感になるかなと想像はしていました。スタジアムについても、09年の最初のスタジアム改修の署名活動に事務局長として協力していたので、きちんとしたものができるのかなと思っていました。あまり語られることがないので、当時関わって下さった方たちの為にも少しお話させていただきますが、JFL昇格が決まった08年末に、フロントの方からJリーグ入会に向けて町田市にスタジアム改修の働きかけを行うために署名活動を行うので、協力してほしいと依頼されました。ちょうど私が勤めていた会社を08年いっぱいで退職して、少し休むつもりで時間もあったため、協力することになりました。09年の頭から実質2カ月半ほどの短期間で、33,000筆以上の署名が集まり、議会に提出し、審議後に最終的に改修が決まりました。日々集まってくる署名用紙の束を見て、市民の皆さんのFC町田ゼルビアというクラブへの期待・情熱を強く感じました。ただ改修中の2010年にJリーグの規約が変わったので、残念ながらすぐにはJリーグ参入は叶いませんでしたが・・・。」

 

--当時のことは無念だったと思います。

慎一「『なんでこうなるんだよ?!』と何とも言えない気持ちでした。実はその後、もう一度署名活動に協力してほしいと打診されましたが、私も新しい仕事が決まり時間も取れませんし、同じ人物がやってもインパクトが薄いだろうと、次の方にバトンを渡してお願いすることにしました。結局石黒修一さんに引き継いでいただきましたが、石黒さんで本当に良かったと思います。」

 

--クラブのハード面の発展は想像されていたのですね。

慎一「未来予想図としてはこんなスタジアムが出来るだろうという想像はしていました。ただ私が関わってきた15年ほどの間に、『もっともっと地域に愛されるクラブになっている』という部分での達成度は、まだまだ物足りないと感じます。」

悦子「よく主人と話しているのは、子どもから祖父母の代まで、親子3代で応援されるとか、老夫婦が2人で手を取り合って自力でスタジアムまで試合を見に行ける環境がもっと整うことを想像していました。コロナ禍の影響でスタジアムに行きづらいけど、そこを安心して来てもらえるような取り組みとか、チケットを購入する仕組み1つをとっても、古くからのサポーターや地域の方々への優しさが足りているかというと、正直疑問です。」

慎一「JFL昇格時の09年のクラブスローガンが「41万人がプレーヤー 魅せるぞ 町田の力!」だったと記憶していますが、当時の全市民41万人が当時者意識を持てるクラブにならなくてはいけないし、町田にはそれだけの潜在顧客がいる、パワーがあるという意味だとフロントスタッフの方が口にしていてたのを、最近ふと思い出しました。今はもっと人口も増えていますが、ゼルビアももっと市民の皆さんに当事者意識を持たれるクラブになってほしいです。」

 

--その視点では、まだまだだと。

慎一「大学時代の夏休みに友人と欧州を旅行中、ドイツのミュンヘンに着いた時に友人が「バイエルン・ミュンヘンの試合が観たい」というので、ツーリストインフォメーションでホテルを確保し、窓口の女性にチケットの購入方法などを問い合わせた後、なにげなく英語で「今年のバイエルンはどう?」と問いかけてみました。そうしたらものすごい勢いで、一気にバイエルンのことをまくしたててきてビックリしました。今は3位だけど優勝は難しいんじゃないかとか、いい選手が少ないとか、監督がどうとか、私の後ろにはホテルの予約する人で長蛇の列ができていたのですが、そんなのにはお構いなく(苦笑)。当時はまだJリーグがなかったので、欧州ではクラブが普通に地域に根ざしているということに衝撃を受けましたし、こういう関係はいいなあと思いました。」

 

--街とクラブが同居しているかのようですね。

慎一「そうですね。同じような感じで、例えば鶴川駅や町田駅の駅員の方や市内のお店の方々などが、ゼルビアの近況を熱く語るような光景が日常的になり、それを見たアウェイのサポーターの方たちが、「やっぱり町田は熱いな~!愛されてるな~!」と感じるようになったら最高だなと思います。今は正直どこまで・・・。耳の痛い話ではあると思いますが、逆に言えば『伸びしろ』ではあるので、クラブの方々にはそこを目指して努力していただけるとうれしいです。」

 

--クラブの発展の話に戻りますが、どんなことが一番の驚きですか?

悦子「スタジアムの大型ビジョンです。似顔絵をドット柄で作っていた時代を知る身としては、すぐにリプレイの映像が流れるとか、衝撃でしかありません(笑)。」

慎一「昔の野津田はお湯のシャワーが出ないという事もありましたから、そういったトラブルがなくなってきれいになったのは驚きです(笑)。」

 

--Jリーグに上がる前は試合日以外のボランティアなどもされていたとか?

悦子「事務所に行ってファンクラブの郵送物の詰め込みやマッチデープログラムの準備など、試合に付随することをやっていました。」

慎一「アスレチッククラブ町田時代、小森忠昭さんが事務局長だった頃は、会計事務所に勤務していた関係もあって、会計面のサポートなどもしていました。」

悦子「そういえば、東日本大震災の時は町田にいたよね?」

慎一「会計関係の打合せで、当時の事務所に行くためにバスに乗っていて、降りた瞬間に震災が起きました。とりあえず打合せを終えて駅に向かうと、小田急線が動かず、家まで帰れないという事で途方に暮れていたら、当時のボランティアスタッフの方の家に泊めてもらえることになり、寒空の中で野宿せずに済んだ、そんなこともありました。」

 

--Jリーグに参入した時の率直なお気持ちは?

悦子「Jリーグにはどのぐらいのクラブ数があるのかも詳しくは知らなかったですし(苦笑)、ただ「テレビで見るような知ってるチームが野津田にやってくるんだ!」という驚きはありました。」

慎一「嬉しさとホッとしたのを覚えています。ずっとJリーグ入りを目指してきた中で、今は離れてしまったパートナー企業の方々の想いも知っていますし、これまで在籍していた選手たちも強い想いで、皆それこそ人生を懸けて闘ってきたのを見てきていたので、それが報われて本当に良かったと思いました。」

 

--逆に下部リーグに降格してしまった時は…。

悦子「ホーム最終戦で降格が決まりましたが、相手の湘南ベルマーレはJ1昇格を決めて喜ぶべきところを、こちらは降格決定でスタジアムが静まり返っていて、湘南の選手たちもどうして良いか分からない様子が伝わってきました。当時の関係者受付はマラソンゲートにテントを張る形だったのですが、試合終了後に振り向いた時、大雨の中ピッチに選手たちが肩を落として一直線に並んでいる様子が見えて、何とも言えない気持ちになりました。また降格するという事は、選手が大幅に入れ替わってしまうという残念なことにも繋がります。ここからいなくなる選手たちもいるのか…、と思うと、とても寂しい気持ちになりました…。」

慎一「12年は特にホームで勝てない試合が多く、毎試合肩を落として帰るサポーターの方々の姿を見てきました。普段は勝っても負けても「ありがとうございました。またお待ちしています」と帰路に就くお客様に声をかけるのですが、その日はどしゃ降りの雨の中での敗戦と降格決定という状況で、皆さんに掛ける言葉が見つかりませんでした。初めての経験でした。」

悦子「当時は他のJクラブとの力の差を感じましたし、変な言い方ですが、降格したことで、もうこんな苦しい想いばかりしなくても良いのか、逆に来年はまた勝てる試合が増えるのかなというある種の安堵感はありました。」

 

--サイバーエージェントが親会社になった際はどんな想いでしたか。

悦子「どんな会社であるか全く分からず、正直今までと何が変わるんだろうとピンと来ませんでした。今までは町田にある、町田と関係性のある企業にサポートしていただいていたので、何となくイメージがつきました。なので「サイバーさんのような中央の企業がなぜ町田?」という感じでした。ただ正直、お金がないとプロスポーツの世界は回らないでしょうから、サイバーさんが関わることで、それが町田に還元されて、町田の人のためになるようならば、良いことだなと思えました。」

慎一「偶然にも発表される前日に、仕事関連で移動している際、原宿のAbemaのスタジオを外から見るタイミングがありました。「こういう企業が支援して下さると良いな」と思っていたのですが、まさかの現実になりました(笑)。野球の横浜ベイスターズもDeNAさんが参入していたので、IT企業の参入はあるのかなとは思っていました。DeNAさんは地域密着を軸にチームを盛り上げていましたし、これまでのゼルビアには、正直クラブ経営のプロフェッショナルがいない印象だったので、サイバーさんが関わることで経営のプロのような方がクラブに入り、これまでお金がなくてできなかったことができるようになって、町田がもっと盛り上がれば良いなという期待感を持ちました。」

 

--軸は「町田のために」であってほしいと。

慎一「ボランティアをしていたり、買い物や食事に行っても、町田には優しい方が多いなと感じます。福祉が充実している街ですし、老若男女問わず全世代に優しい素晴らしい街だなという印象は持っていますが、一方で「神奈川県町田市」扱いされてしまったりして・・・。だからこそ、もっとこの街の為にゼルビアができることがあるんじゃないかと思っています。」

 

--FC町田ゼルビアのどんなところが一番の魅力ですか?

慎一「やはり選手とサポーター、地域の方々との距離感の近さですね。関東リーグの時代から、たとえJ1に行こうがどれだけ大きなクラブになろうが、できる範囲でかまわないから距離感の近さを大切にし、クラブを支える人たち・街の人たちと『相思相愛』の関係のクラブであってほしいと思ってきました。それこそがFC町田ゼルビアの魅力だと。そういった意味ではふれあいサッカーが続いているのは嬉しいですし、ここは絶対になくしてほしくないです。また、以前強化育成部長をされていた故・沖野等さんの遺志を当時の選手有志が形にし、町田の子どもたちを招待していた「はらっぱ・シート」は、今は無くなってしまいましたが、単なる「招待」というくくりで同じように考えずに、もっとクラブに関わる人達がその理念を理解し、継承していってほしいなと思います。」

悦子「皆さんの距離が近いこともそうですが、私にとってのゼルビアは、仲間のいる場所であることが魅力です。クラブスタッフ、ボランティアスタッフ、そして場合によっては、選手や選手OBを含めて、ゼルビアに関わる人たち皆さん仲が良く、それぞれが分断されていないことが魅力だと思っています。ゼルビアのボランティアの世界は故・中野めぐみさんがずっと支えてきました。ボランティアとその他の関係者との架け橋でもあり、今も皆さんとの距離が良好なのは彼女の手柄です。彼女とは、二人ともいつまでも若いわけではないし、いつまで続けられるかもわからない、どちらが先に後輩を育ててボランティアを辞めるか、みたいな話もしてきました。6年前に中野さんが亡くなられたため、これからは私がボランティアの後輩たちに、彼女の遺してくれたことを伝えていきたいです。」

 

--印象に残っている試合はありますか。その理由も聞かせて下さい。

慎一「なんといっても、JFL昇格を懸けた08年の全国地域リーグ決勝大会一次リーグ最終戦、矢崎バレンテFC戦です。当時の選手でその後Jリーグ昇格も経験した酒井良さんや津田和樹さんなども、あの試合を一番印象に残っている試合に挙げるぐらいドラマティックな試合でしたし、あそこで勝っていなかったら今のゼルビアは無いでしょう。ずっと試合の映像を探しているのですが、なぜか見当たらなくて、カメラマンとして撮影されていた我孫子卓郎さんも昨年亡くなられたので、詳しい資料が出てこないかもしれないのが残念です。」

悦子「私としては初めてきちんと90分を見た試合でしたし、本格的にサッカーを見るようになった思い出の試合です。それまで私は鳥取に行ったことがなかったので、試合よりも第一の目的は鳥取砂丘に登ることでした。みんなが行くから私も行こうという感覚でしたが、家族のように思える選手たちが、ここで勝てなければ今年もダメだと泣きながらサッカーをやっている姿を見たり、先にベンチに下がった酒井良さんが泣きながら声を出している姿も見ました。さすがに応援しなきゃとなりました。」

慎一「あの試合は降りしきる雨の中、前半はスコアレスで、後半に入って相手のスーパーミドルが決まって先制されてしまいました。残り時間はまだまだあるけど、前の年の地域決勝でも相手の得点で選手が下を向いてしまっていたので、「今年は下向かずに闘ってくれ!」と思っていました。そうしたら突然、これまで自分から応援したことなど一度も無かった妻が、後ろの席で突然「♪町田ゼルビア~、フォルツァ町田ーー!♪」と1人でチャントを歌い始めたんです。はじめは小さな声でゆっくりと・・・。予想もしなかった行動だったので、本当にびっくりしました。あとで妻に聞いたら『ずっと選手たちが仕事もしながら頑張っている姿を見てきたし、みんなの顔が頭に浮かんだら、何かしなきゃと自然と口に出てきた』そうです。」

 

--ラブミーテンダーですね。

慎一「心から自然に出た声だからか、周りにつたわって、私も含め皆が歌い始めました。スタンドの雰囲気もそれで持ち直した感じになりましたが、なかなか追いつけない。終了間際に山口貴之選手が左サイドを突破し、何人かの選手がゴール前に飛び込む中、蒲原達也選手が同点ゴールを決めて、PK戦の末になんとか勝ちました。PK戦の時はスタンドにいた何人かと、最前列で肩を組んで雨の中で声を枯らして応援したので、試合後は本当に疲れました(笑)。のちに聞いた話では、雨が降っている中「負けたくないよー」と、泣きながらプレーしていた選手もいたそうですし、終盤には石堂和人選手がディフェンダ-の選手から「死ぬ気で守るから、攻め上がりっぱなしで構わないから、絶対に点とってきてくれ」と言われたり、ピッチ上でも色々なドラマがあったと聞きました。誰かこの試合を細かく検証して欲しいです!」

 

--勝ちたい想いがあふれていたのですね。ちなみに好きな選手はいますか?

慎一「まず歴代では、酒井良さんです。引退するシーズンの終了報告会ではオークションで良さんのグッズをものにするために、途中でお金が足りなくなって、会場で借りようとしたぐらい好きです(笑)。石堂選手もそうですし、先ほど話にも出した足が速いだけ(笑)の柏木選手も好きです。今は昔から親しみのある深津康太選手を応援しています。」

悦子「私は勝又慶典さんですね。新卒の頃は体力不足で90分走りきれずに、途中で下を向いてしまうような選手だったのに…。長い間現役で頑張ってくれて嬉しいです。現役最後の試合も応援に行きました。出場しませんでしたが(笑)。ゼルビア時代は現役選手なのにアンチエイジングサッカーにも参加してくれたり、とにかくサポーターを大切にする選手でした。現役選手だと深津康太選手です。」

慎一「深津選手もそうですが、そのようにサポーターや地域の方々と距離感の近い選手たちをもっと増やしてほしいです。そういえば、 新入団会見で高卒新人で学ランに丸刈り姿だった佐野海舟選手も好きじゃなかったっけ?」

悦子「詰襟の学ランに弱いんです(笑)。一時期、金髪にして『都会の風に染まってしまって』(笑)と思って、心配だったけど、実力も伴ってきて、安心しています。」

 

--今後のゼルビアに期待することは?

慎一「同じことばかり言ってますが、もっと町田の地域に愛されるクラブになってほしいです。地元に支えられていることを感じながら、その感謝の気持ちを町田に還元していく。そんな選手をもっと育ててほしいです。以前、地域リーグだった頃に竹中穣さんから、「うちはサッカーのプレーだけじゃなく、サッカーを通じて、地域にどんな貢献ができるかというのもヒアリングした上で選手を獲得している」という趣旨の話を聞いたことがあり、感心したのを覚えています。フロンターレの中村憲剛さんが先輩選手から地域を大切にする事の意味を伝えられて、自分でも行動して、後輩にも伝え、川崎のレジェンドとなったように、町田にもそんな選手がたくさん出てきてほしいです。」

悦子「ホームゲームに来場されるゼルビアのファン、サポーターの方々もそうですが、アウェイチームのサポーターで野津田まで来て下さる方々は特別だと思うので、そういった方々にもゼルビアすごい、また来たいと思っていただけるようなクラブになってほしいです。」

 

--遠方からお越し下さるアウェイサポーターの方々には頭が下がります。

悦子「町田市とサッカーがどちらも発展できるように、アウェイのサポーターの方々が町田に宿泊をして、町田でお金を使っていただくにはどうしたらよいか、ゼルビアができることを考えてほしいです。例えば町田の観光ガイドをホームページに掲載するとか、町田が楽しいと思ってもらえるようなPRをしていただけるとうれしいです。」

 

--まだまだできることがあると。

悦子「鶴川の駅から歩いてスタジアムに来ても楽しいと思ってもらえるように、例えば道すがらのお店にご協力をお願いして、クイズ形式のスタンプラリーを作ったり、ラインでQRコードを読み取って、スタンプラリーにして、スタジアムで抽選会をするとか。野球やバスケットなど他競技でも色々面白いことはやっています。普段お忙しいとは思いますが、スタッフの方々にはスポーツに限らず、生で色々体感して、楽しかったことをクラブに落とし込んでいただけるとうれしいです。」

 

--ぜひ、クラブスタッフの方は検討材料に。最後に高野さんご夫妻にとって、FC町田ゼルビアとは?

悦子「ゼルビアは楽しい場所、コミュニティです。いろいろな方々と知り合えますし、いろいろなことを体験できる環境です。選手の方には申し訳ないですが、試合は二の次です(笑)。」

慎一「私にとっても、ゼルビアは人を繋ぐ場であり、言うならば「かすがい」みたいなものです。ゼルビアがあったから、親の歳ほど年齢差がある友達ができましたし、たくさんの出会いがあり思い出ができました。老若男女・障がいのある方・外国の方とも繋がれるのもスポーツならではの良さですし、本当に貴重な場です。妻ともゼルビアのおかげで色々会話が生まれますし、「子はかすがい」と言いますが、うちは子供はいないので、ゼルビアに携わっていなかったら、夫婦関係の危機があってもおかしくなかったかもしれません(笑)。そういった意味でも救われています。」

 

--良好な夫婦関係を構築する上でも、ゼルビアが多大なる貢献を果たしているのですね。

悦子「ゼルビアがあれば、夫婦共通の言語で話せますからね!」

 

●編集後記・・・

FC町田ゼルビアへの深い愛を感じる取材時間でした。

時に私たちにとっては耳の痛い話しもありましたが、全ては町田の発展を第一に考えていただいている、お二方の言葉は胸に突き刺さりました。

 

多くの先人たちの積み上げの上に今がある。

改めてこれまでの歴史の重みを感じるとともに、今後のさらなる発展のために精進しなければと、強く想いました。

 

「ゼルビアが共通言語」

 

町田中がそのようになるように、日々の積み重ねていきたいと思います。

(MACHIDiary 編集長より)