--今回はかつてFC町田ゼルビアアカデミーに所属し、この1月からフロントスタッフとして戻ってきたお二人の対談です。自己紹介をお願いします。

三好「FC町田ゼルビアユース出身の三好亮輔と申します。2022年1月からFC町田ゼルビアのパートナー事業部に配属となり、もうすぐゼルビアにきて約一カ月仕事をさせていただいています。」

小池「小池万次郎と申します。自分もFC町田ゼルビアアカデミーの出身でジュニアユースとユースと所属しており、2010年から2016年までの6年間在籍しておりました。出身は町田市ではなく八王子市で、ミヨくん(三好)もそうでしたよね?同じ八王子市出身で同じく1月から転職というかたちでゼルビアに採用いただきました。現在はマーケティング部の地域振興を担当させていただいております。」

--それぞれ進路を選ぶにあたりどうやって、FC町田ゼルビアのアカデミーが選択肢に挙がってきたんですか?

小池「中学校に進学するときに八王子のクラブは考えていませんでした。東京ヴェルディ、FC東京、FC多摩(多摩市)というチームを考えており、いずれもレベルが高く狭き門でした。そんな時、友人に誘われてFC町田ゼルビアの存在を知り、セレクションに参加しました。」

三好「ぼくは対照的に中学校まで八王子のクラブチームに所属しており、小学校のときはARTE南多摩、中学校のときはARTE八王子FCに所属していました。そのクラブには高校生年代のチームがなかったので、高校生年代のチームを探していました。ちょうど中学3年のときにFC町田ゼルビアのジュニアユースと対戦し、そこがきっかけでした。僕が高校に進学する頃にはFC町田ゼルビアのJリーグ加盟がほぼ確定していた年だったので、プロを身近に感じられる環境に身を置くことが出来るのはチャンスだと思い、自分からセレクションを受けに行きました。」

--クラブライセンス問題などもあるなかで当時のFC町田ゼルビアはどんなクラブでしたか?

三好「まんじ(小池)は僕より早くゼルビアに加入したからJFL2年目辺りのことも知ってると思うんだけど・・・」

小池「そうですね。今のビジターゴール裏側の席がジュニアユースの頃は芝生席でしたし、在籍していくなかでもスタジアムの様相が変わっていっていました。今思うとジュニアユースにいながらにして刺激を得られた時代だったのかなと思います。」

--学年が一つ違いですが小池さんの方が年下だけどFC町田ゼルビアアカデミー歴という点では先輩です。二人はどういう関係だったのですか?

三好「まんじはその学年でも目立つ中心的存在でした。僕はBチームにいることも多く、それこそひとつ下のまんじと一緒にプレーすることも多かったよね?」

小池「そうですね。自分も高校1年生の時は少しだけAチームで試合に出場していたのですが、その後はなかなかAチームに絡めずBチームでのプレーが中心でした。お互いに八王子市出身ということもあってミヨくんと一緒にいることは多かったと思います。」

 

--多感な時期に同じ時間を過ごした仲間との絆は大切ですね。

小池「自分はユース時代はミヨくんの年代の先輩によくしてもらっていました。自分もグラウンドではふざけたことばかりやっていて、ミヨくんはそれに笑って付き合ってくれていました。今も初蹴りなどでミヨくんの年代の人達に会ったときは親しくしていただいております。」

--なるほど、優しい先輩が多かった・・・?

三好「と思いきや、ぼくの周りの同年代も変わった人ばかりでした(笑)。みんな変な方向にベクトルが向いてる人ばかりだったので、まともなベクトル(考え方)を持っているのは恐らく僕くらいだったのではないかと思います(笑)」

小池「クセが強かったですよね・・・この二学年は個性的というかキャラが濃かった。おもしろかったと思います。サッカーは下手でしたけど(笑)」

三好「まんじもキャラが強烈だったよね(笑)」

--小池さんが先陣切ってふざけたことをするという共通認識がチームにあった?

小池「そうですね、試合でもそうですけどずっと騒いでいるような感じですね(笑)」

三好「ムードメーカー的な存在だったので、一個下の学年でしたけどすごく頼りになる、ピッチ外でもピッチ内でもチームにとってありがたい存在でした。」

--そういった仲間うちでのキャラクターのバランスも大事ですよね。その当時の仲の良さが目に浮かびます。

三好「お互いにFC町田ゼルビアのフロントスタッフとして復帰すると決まった時は、個人的にもすごく嬉しくて、楽しみだなと思えました。その高校時代の信頼関係があったからこそ、今もこうやって同じ職場で働ける。当時の関係が活きているんだと思います。」

 

--久々の再会ですか?

三好「そうですね。僕が初蹴りに行けないことが多くて、同期と忘年会で集まるくらいしかありませんでした。高校卒業後は縦のつながりは減っていたと思います。」

小池「あっ!でも駅で1回バッタリ会いましたよ。八王子駅の・・・。」

三好「あー、会った会った!そうだね。」

小池「あれ久しぶりに会ったからすごく良く憶えているんですけど・・・それで今は一緒に働いているから、やっぱり縁があったのかなと思います。」

--駅っていうのがドラマチックですよね。お互い引き寄せられているのでは?

小池「しかも八王子駅だから大勢の人がいるなかで会いましたからね・・・。」

三好「どっちが先に気づいたんだっけ?」

小池「たぶん自分ですね。歩いていたらパッと目に入って『あっ、ミヨくんだ』と思って。」

三好「そこでちゃんと、気づかないフリしないで声かけてくれるっていうのが嬉しいね(笑)」

小池「もちろんすよ!」

 

--人間が出来てるなという感じが漂うエピソードですが、アカデミー時代が今に活きているという実感はありますか。

三好「僕は監督が竹中(穣)さんと楠瀬(直木)さんの時代もあったのですが、サッカーだけでなく学校の面もしっかりやろうとは言われていました。タケさんはたぶん全員だと思うんですけど学校まで行って担任の先生から普段の様子を聞いていました。まんじもそうだったよね?」

小池「そうですね。来そうなときは背筋を正して待ち構えていました。抜き打ちだったので、いつも真面目にやってはいましたがその時期は特に(苦笑)」

--そのような経験が今も活きているかと思いますが、FC町田ゼルビアのアカデミーに入団して特に学んだことは?

三好「僕らにとってサッカーというのは自分がやりたいこと。でも、やりたいことの前にやるべきことがあると思います。それは学生時代であれば勉強であったり私生活を整えていくことであり、その土台がしっかり出来たうえでやりたいサッカーをするという経験は、やるべき仕事の上で自分のやりたいことを表現出来るところに通じているかなと思います。」

小池「自分はジュニアユースからFC町田ゼルビアにいて、各年代で指導者の方が印象に残るフレーズで教えてくれていました。そのひとつが『現状維持は衰退だ。常に謙虚に取り組みなさい』というものでした。中学生ながらすごく刺さりましたね。タケさんにはユースを卒業するまで一貫して『謙虚に』と、言われてきたので、そういう人間性のところはよく見てもらっていたと思います。不誠実な人は淘汰されるぞ、という意味のことも言われていました。だからオフザピッチでも自分に出来ることをやっていこうということだと思うんですが、その年代ではあまり聞かない『淘汰』という言葉が印象に残っています。」

--将来サッカーに携わるにしても、社会人として生きていくにしても、様々な可能性があるなかでどのようにでも生きていける、そんな土台を築いていたんでしょうね。それだけ竹中さんたちが一人ひとりをよく見てくれていた?

小池「それは間違いないですね。」

三好「今もその時に学んだことが活きていると思います。」

--サッカーを続けるか否か、高校を卒業するときの選択肢はどうだったんですか?

三好「ユースの選手は大体、大学サッカーに進むと思うのですが、僕はちょっと特殊というか、大学に進んだ時点から指導者を始めたんです。それを始めたのも、僕は育成年代で多くの失敗をしてきました。それを踏まえて、ユースのときに菅野さんというコーチの方から、『失敗をしていろいろな痛みを感じてきた人間こそわからない選手の気持ちもわかるし指導者に向いている』と声をかけてもらったことがありました。僕の経験を下の世代に広めていこうと。指導していたのは僕が所属していたARTE八王子で、監督から声をかけていただきました。」

--欧州でも日本でも若くして指導者に転向する人はいますが、小池さんは大学を卒業してからどうしたんですか?。

小池「自分はユースの頃から大学でサッカーをしようと考えていました。特に東京から出て異なる地域でサッカーをしたい気持ちがあり、大阪産業大学でプレーしました。タケさんから『大阪で話があるけど行ってみるか』と連絡をもらって即決でした。」

--関西大学サッカーリーグのレベルはどうでしたか?

小池「大学入学するタイミングで2部に降格しており、そこから3年生の時に1部へ昇格。ただ自分が4年生の時には降格してしまい、喜びと悔しさを両方味わいました。関西1部リーグに関しては関東1部2部リーグにもひけをとらない、高レベルでした。ただユースで学んだサッカーへの取り組み方や原理原則を大学で初めて知る選手もいたので、そういう意味では関東と関西とでは差があったのかもしれません。九州や東海リーグの上位チームだと全国大会などに出場するチームもあるので、関西リーグ1部と2部を行ったり来たりするレベルのチームだとなかなか勝てないという印象でした・・・。全体で見たら関西は関東に次ぐレベルだったと思います。」

--なるほど。だとするとFC町田ゼルビアのアカデミー時代にどこに行っても通用する基礎を叩きこんでもらえたのかなと思いますが、やはりFC町田ゼルビアの指導の質が高かったということ?

小池「それは間違いなくあったと思います。大学でのトレーニングでも、すでにFC町田ゼルビアアカデミー時代に習っていたことが多かったので、スムーズに大学の練習に入りやすいという感覚は1年生のときからあり、いいアドバンテージだと思いました。」

 

--プレー以外でも、人に伝えることや分析するときにも武器になると思いますが、三好さんも指導に活きていましたか。

三好「仰るとおりで、ゼルビアで学んだことが自分のサッカー観においても大きな基礎になっていると思っています。伝えるとなると言語化することも必要ですし、まず自分が理解出来ていないと伝えられないと思うので、そういった作業まで高校のときに勉強出来た。大きな財産だと思います。」

--三好さんは楽天に就職されたのはどういう経緯で?

三好「仕事においてもスポーツの分野に興味がありました。特にスポーツビジネスに興味があり、それこそたとえばプロサッカークラブのフロントには高校生のときから興味がありました。ユース監督のタケさんと面談したときにも将来どうしたいか聞かれ、サッカーチームのフロントに入りたいと伝えました。今回ゼルビアのパートナー事業部に入らせていただいたのも、高校生の時にフロントに興味があると言っていたのをタケさんが憶えてくれていてのことだったんです。楽天に入った理由も、ひとつには楽天がスポーツビジネスに力を入れているということもありました。ただ新卒で就職する時点ではスポーツビジネス一本で行けるかどうかまだ不安があったので、スポーツ以外にもいろいろな事業を学んで社会人としてたくさんの経験を積める会社だと思いました。自分のなかにサッカーを仕事にするという選択肢を持ったうえでビジネスマンとしても勉強出来る会社として楽天を選びました。」

 

--これからはサッカーもビジネスもわかっている人間がフロントの仕事に就く時代になっていくかと思いますが、楽天で勤務したことでFC町田ゼルビアに入社する準備が出来た感触などはありますか?

三好「楽天はヴィッセルやイーグルス、バルセロナが身近な存在でした。そこで実際に仕事をしている方たちとのお話を通じて、会社としての取り組みやビジネスの考え方は勉強になっていたと思います。」

--一方で小池さんは上位のカテゴリーで選手を続けてきていたわけですが、企業チームの矢崎バレンテに加入するときにはどういう選び方をしたんですか。

小池「4年生のときに関西1部リーグでプレーさせてもらい、自分次第ではプロへの道もあると考えていたのですが、実際に戦ってみて現実を知りました。あまりにも歯が立りませんでした。林大地や田中駿汰(当時ともに大阪体育大学)と同じピッチに立ってみて、こんなにもレベルが違うのかと思いました。ただ、全力でサッカーをやっていたので悔いはありませんでした。実業団を進路希望に出し、大学のスタッフの方のご縁で紹介してもらいました。調べてみるとしっかりした会社(矢崎計器株式会社)で、仕事が出来て、サッカーも東海社会人サッカーリーグ1部でプレー出来る。地域決勝(全国地域リーグ決勝大会、現在は地域CLの呼称になっているが地域決勝または地決で呼ばれることが多い)、JFLも狙え社会人でも上を目指せるという環境は自分にとってベストだったかもしれません。」

 

--なるほど、地域リーグからJFLを伺う立ち位置でサッカー人生も充実しそうだな?と。

小池「大学の関西1部リーグでやってきたという自負も自分なりにあり、そのなかで東海1部リーグで頑張ればJFLというのはチャレンジにもなると思いました。」

 

--ただその東海リーグがここ2年、コロナ禍でなかなか開催出来なかったことも現役引退の決断に大きく影響したのでは?

小池「そうですね、コロナは本当に・・・。一番決断をするにあたり大きかったですね・・・。仕事をしながらサッカーをしようと会社に入ったけど、サッカーが出来ない。その葛藤があって人生で一番悩んだ2年間だったと思います。」

--そこからFC町田ゼルビアに来ることなりましたが、そのキッカケは?

小池「やっぱりゼルビアだったから・・・。ということがあります。自分もタケさんから連絡をいただきました。FC町田ゼルビアは人生のなかでも6年間という長い時間をすごさせていただいたクラブ。練習に行けばユースの仲間に会えてすごく充実した場だったので、人生のなかで大きなウエイトを占めていました。そんななかでお話をいただいたときには、前職の会社を辞めてでも復帰したいという気持ちになりました。」

--なるほど。三好さん、ユースを出たあと、外から見たFC町田ゼルビアはどんな印象でしたか?

三好「そうですね、自分らがいた頃よりも組織として成長していっているなと思いました。サッカー面以外にも試合運営のところだったり、クラブがどんどん変わっていっているなと感じましたね。」

--小池さんは、ゼルビアの試合をスタジアムで観る機会は?

小池「2021シーズンホーム最終戦の大宮戦が久々の観戦でした。ふだんはDAZNで視聴しているだけだったので、野津田に足を運んでみてびっくりしました。以前はバックスタンドもなかったので・・・。クラブとしてですが、成長のスピードが速いと感じましたね。サイバーエージェントが入ったことも関係していると思いますが、こんなにも変わるんだという印象でした。」

三好「僕らがユースにいたときからは考えられないような環境になったなと思います(笑)」

--そのFC町田ゼルビアにアカデミーの卒業以来久しぶりに復帰すると決まったときにはどんな気持ちでしたか。

三好「僕はスポーツビジネスの道に進みたいと思っていたのでキャリアの上でもようやくスタートラインに立てたな、という気持ちになりました。そのキャリアを自分の出身クラブであるFC町田ゼルビアで始められるということに、わくわくした記憶があります。」

小池「決まったときには『救われたな』と思いましたね。コロナがあって、この先どうしていこうかと・・・。去年はコロナ禍が収まったらまたサッカーが出来るかもしれないという考えにはなかなかなれず、そんなときにタケさんやクラブからお話をいただきました。決まったときにはよかったなというのが正直な気持ちでした。悩んでいるときに来た話だったので、必要としてもらえるならがんばろうと思いました。」

--竹中さんにはどんなことを言われましたか。

三好「『アカデミー出身者がクラブに戻るのはいいことだし、その流れをつくっていきたい』と言っていただきました。ただ前職もやりがいがあってストレスを感じない環境だったので、それを捨ててまで転職するべきか悩んだ時期はありました。それでも自分を育ててくれたクラブで自分がやりたいことにチャレンジさせてもらえるというのは、決断の大きな決め手になったと思います。『戻ってきて町田をよくしてほしい』と言われて響きました。」

小池「自分はそんなことは言われていないですね(笑)。タケさんはいい意味でドライなので。『オレがいなくなるからおまえを入れてやるんだからな』と言われました。いつどこで会っても変わらずそういう接し方をしてくれるタケさんに、応援してくれているんだなと感じましたし、自分がタケさんの分もやらなければいけないと、より責任感を感じました。」

--お二人はこれから新しい時代のゼルビアをつくっていく立場になりますが、クラブの一員として今後どんなことをしていきたいですか?

三好「僕たちはアカデミー出身ということもあってゼルビアのことをよく知っていると思います。今はサイバーエージェントが親会社となりクラブとしての新しいあり方が見えてきていると思うんですが、やっぱり根幹には町田市民のため、あるいは町田を盛り上げるための存在ということがあると思うので、来ていただいている人、関わっていただいている人に感動や勇気を与えられるチームになりたいです。その力になりたいと感じていますし、『町田のために』というクラブになりたいと思っています。」

小池「そのミヨくんが言ったことにつながると思うんですけど、自分は6年間在籍していたときの恩返しではないですけど、クラブに対してもそうですし、大分(Jユースカップ)まで来てくれた熱いサポーターの方であるとか多くの方に支えていただいたことへの感謝の気持ちがあります。自分は地域振興という活動のなかで、地域の方やファン・サポーターの方に恩返しをしていって、それがクラブへの恩返しにつながればいいなと思います。」

--それでは最後に、お二人にとってのゼルビアとは。

三好「自分を育ててくれたクラブ。ゼルビアでの経験がなければ今の自分もないと思うので、率直にそういう想いです。」

小池「これはタケさんも言っていたことなのですが、自分は『いずれ家になる場所』だと思っています。先人が築いたものを受け継いで新しいものにしていかないといけない時期になってくるので、それを成し遂げ、数十年後にここが『家です』と言えるようになっていればいいと思います。」

 

●編集後記・・・

非常に多くの反響をいただいた前回のMACHIDiary。

今回はそのインタビューの中で登場をした二人にスポットを当ててみました。

 

三好亮輔さん(パートナー事業部)×小池万次郎さん(マーケティング部)

 

入社一カ月の二人は緊張しながらも、自分の愛するクラブのことを話す目は、どの社員よりもキラキラしており、これから「やってやるぞ!」という責任感を感じました。

 

FC町田ゼルビアの魂を継承する若き二人が・・・。

大きな一歩を踏み出そうとするクラブにおいて、きっと大きな力になると信じてやまない。

そして、クラブの大事な部分を引継ぎ、新しいものを積み重ねてくれるはず。

 

寂しい別れと・・・。

大きな希望が加わり、FC町田ゼルビアは前進します。

 

どんな時も変わらないことは。

この胸のエンブレムを誇りに、町田のために

ただひたすら前進することです。

 

試合会場で見かけたら、ぜひ若い二人に声を掛けてみてください!

(MACHIDiary 編集長より)