--今回はマーケティング部の箕輪花穂さんにお話をお伺います。まずはゼルビアでの仕事内容から聞かせて下さい。

箕輪「マーケティング部に所属している私は、1枚でも多くのチケットを販売して、一人でも多くの方に『天空の城 野津田』へお越しいただき、満員に近づけるための施策を考え、実行に移す業務などをしています。販売中のチケットで残席数が少なくなった席の対応や、チケットの配席管理やチケット関連でコントロールすべきこと、また来場者特典や特殊チケットの制作なども主な仕事内容の一つです。」

 

--ちなみに取材当日の今日はどんなことをされたのですか。

箕輪「岡山戦が東京五輪明けの最初の試合なので、チケットのQR端末が正常に動くかどうか。その点検やパートナー企業様の参加申し込みの締め切り日でもあったため、最終的な配席やチケットの準備をしていました。」

 

--単純にチケット業務と言っても幅広いのですね。コロナ禍では例年とは異なる苦労があったのでは?

箕輪「ハード面では自由席を指定席に変えたことが大変でした。ソフト面では直前まで試合開催が分からない状況でもあるので、部内で準備していた招待企画やプレゼント企画を希望の試合で実施できるのかどうかがなかなか決まらず、苦労しました。」

 

--実際に手を動かしたくても動かせないケースや、予定していたものができないといったジレンマがあるのですね。

箕輪「試合直前に仕事がワッと集中することがあるので、なかなか大変です(苦笑)。今は5,000人という上限があるので、この席は販売可能、この席は販売NGといったケースもあります。パートナー企業様の配席も1枚1枚チケットを印字している関係で、何百枚、何千枚と手打ちで入力する作業も大変です。」

 

--単純にやることが増えたのですね。

箕輪「これまではファンクラブ業務やホームタウン活動のサポートもしていましたが、逆に言えば、全席が指定席になったことでチケット業務が増えたことにより、チケット関連業務に専念することになりました。」

 

--今まで仕事をしていて、楽しいなと思えた瞬間は?

箕輪「勝負事の世界での仕事ならではだと思いますが、ファンやサポーターの皆さんが結果に一喜一憂する瞬間を見ることは最高に楽しいです。また座席に座ったファンやサポーターの皆さんの姿を見て、自分がやっている仕事が形になっていると実感できる瞬間も最高です。一方で満員がベストな状況であるため、空席を見ると、自分の実力不足を痛感して、シュンとしてしまいます(苦笑)。」

--2018年の最終節の東京ヴェルディ戦など、満員のスタジアムの光景を目にした時の心境は?

箕輪「当時は今とは違ってサブ的な立場でしたが、準備していることが実を結んだストーリー性があるため、やり遂げたなという達成感が違いました。」

 

--これまで箕輪さんが仕掛けてきたことで、最も会心だったものはありますか。

箕輪「満員ではなかったですが、近い例としては今季の新潟戦で販売した『シン・ノヅタ』記念チケットです。多くの方々にご購入いただき、進呈したネックピースや来場記念カードを早速身につけて、観戦している方を見て、準備してきたことが目に見えた形となったことに喜びをすごく感じられました。」

--「シン・ノヅタ」というフレーズは、『天空の城 野津田』をも凌駕するほど認知度が高まり、逆転現象が起きるぐらいですからね。

箕輪「『せっかくおめでたい試合だから、記念になるものを作りたいね』という田口智基部長の話を1つのきっかけとして、何ができるかを考えて作った企画でした。」

 

--以前ご登場いただいた田口さんは、アイディアマンという印象ですが、どんな上司ですか。

箕輪「常に新しいものを取り入れていますし、私が迷った時に、自分が納得できるものを示してくれるので、『この人に付いていきたい!』と思える方で、実は私、崇拝しているんです。面接をしていただいたのも、田口部長で『この人の下で働きたい!』と思えたことも、ゼルビアに入る1つのきっかけとなりました。これは本人に言っていないことです(笑)」

--新潟戦は試合にも勝ちましたし、最高の結果ですね。お客さんが入ったバックスタンドを見て、バックスタンドがない時代を知っている箕輪さんは、どんなことを思ったのですか?

箕輪「3階席まであるバックスタンドができるとは想像もしていなかったです。またそのチケットを実際に販売して、あのようにお客さんで埋め尽くされた様子を見て、そこまでのプロジェクトに関われたことは、裏方の仕事が多かっただけに、これまでのことが報われた気がしました。」

--ここからは箕輪さんのパーソナルな話を聞かせて下さい。そもそもなぜ、サッカークラブで働こうと思ったのですか?

箕輪「私は茨城県鹿嶋市出身で、実家がカシマサッカースタジアムの近くにあるため、家にいながら、ゴールを記録した時の場内アナウンスの声が聞こえるぐらいの距離に住んでいました。祖母の代から親族一同、熱狂的な鹿島アントラーズのサポーターでしたし、小さい頃からサッカーの仕事に就くことを洗脳されていました(笑)。また実家が建設業でカシマスタジアムの建設にも一部携わっていたため、スタジアムにも愛着がありましたし、小さい頃からスタジアムにも通っていて、サッカーありきの生活をしていたことも影響したと思います。ちなみに祖母は住友金属時代からの熱狂的なファンです(笑)」

 

--18年に天皇杯で町田と鹿島が対戦した日、ご家族はどうだったのですか?

箕輪「その日だけはピリついた空気感でした(笑)。もちろん、私はゼルビアを応援していましたよ!」

---筋金入りの鹿島サポですね。ほかの選択肢がないほど、サッカークラブで働くのが自然なことだったのですね。

箕輪「別の大きな理由としては、女子サッカーのプロ選手になりたかったのですが、中学生の時に腰を怪我して、サッカーを続けることが無理になりました。そんな頃、漫画『GIANT KILLING』に出てくるクラブ広報の永田有里さんを見て、こういう仕事があるんだと。プロ選手でなくても、こういった形でサッカークラブの仕事に携われることを知ったのが1つのターニングポイントとなりました。ジャイキリを読んでいたことが、サッカー選手からサッカークラブで働くことを目指すきっかけになったんです。」

 

--ジャイキリの原作者である綱本将也さんは、11年と12年に「綱本牧場」という名称で、ゼルビアのパートナー企業をされていましたね。

箕輪「そうなんです。面談の時にその話を聞いて、すごくビックリした記憶が残っています。」

 

--ちなみにゼルビアに入社したきっかけは?

箕輪「ゼルビアで求人があることを知人に聞いて、そこから面接をしていただいたことがきっかけとなり、縁があって入社できました。田口部長との面談では、クラブの理念であったり、ゼルビアに入った時のやりがいを聞かせていただいた上に、『これから成長していくクラブで働きましょう!』と声を掛けていただきました。『すごく素敵なクラブだな。これは絶対働きたい!』と強く思い、ギラギラしながら面接を受けました(笑)」

 

--やりがいとは、クラブの成長過程に携われるということですか?

箕輪「町田市やサッカー少年・少女の象徴であり続けるというゼルビアのクラブとしての理念に惚れ込みました。私も小さい頃からサッカーをしており、サッカー選手から夢をもらっていた立場だったので『クラブの理念が素敵だな』『夢を与える仕事がしたいな』と思いました。2017年入社の当時は、まだバックスタンドの工事が始まっていなかったので、あそこにバックスタンドができて、クラブハウスも完成し、今後はJ1を目指すんだといった将来のビジョンを聞いて、夢が膨らみました。このクラブで一緒に歴史を作りたいと思ってしまうぐらい素敵な面接の時間でした。田口部長には魅力を余すことなく話していただきましたし、実際にその通りに1つ1つ階段を登っています。ついに来年にはクラブハウスが完成しますから。」

 

--ちなみにゼルビア以外のクラブも受けたのですか。

箕輪「もう1クラブを受けていましたが、先にゼルビアからの話を聞いて、『ここで働きたい!』と強く思ったので、もう1つは丁重にお断りすることにしました。」

--オフの日など、どのようなことをしているんですか?

箕輪「オフの日は趣味に没頭していまして…。ちなみにサッカーとかけ離れたオフではあるのですが、天気の良い日はロードバイクが好きなので、江ノ島とか、山中湖とか、そういった景色がある場所にサイクリングに出掛けます。天気が悪い日は、家でABEMAなどの動画配信サービスの視聴を楽しんだり、ゲームをして1日を過ごしています(笑)。1日の落差が激しいですね(笑)」

--ロードバイクで行った一番遠い場所は、どこですか?

箕輪「静岡県の伊東市までロードバイクで行って、伊東でライフセービングをして、海の近くで宿泊し、1日掛けて鶴川まで帰ってきました。移動距離は100kmを越えていますね。」

 

--なぜそこまで行く気になったのですか?

箕輪「すごく天気が良かったので、ロードバイクに乗りたくて…。しかもその日はとても暑くて、海にも入りたかったので、出掛けちゃいました(笑)」

--限界が知りたいとかではなく、天気が良かったことが最大の理由ですか。

箕輪「コロナ禍の前は、趣味で自転車のチームに入っていたり、トライアスロンにもチャレンジしたことがあります。身体を極限まで追い込むことが好きなので、長距離を好んで目指しました。」

--これを読んだゼルビアの選手は、箕輪さんがそんなにアスリート性の高いクラブスタッフだったのかと、ビックリするでしょうね!

箕輪「恥ずかしいですね(笑)」

 

--またしっかりと、ABEMAのプレミアム会員でもあるのですね。

箕輪「クラブがサイバーエージェントグループに参画する前から課金しています!」

 

--今後のゼルビアは、どうなっていってほしいと思っていらっしゃいますか。

箕輪「サラリとした言い方になりますが、『町田を世界へ』というスローガンを掲げている通り、日本のみならず、世界中から愛される親しみのあるクラブになってほしいと思いながら、業務にあたっています。『ゼルビアって、こんなに突っ込んだ企画をやるんだ』とか、フロント側から積極的なことを仕掛けて、世界の中で親しみのあるサッカークラブにしていきたいです。」

--箕輪さん個人としての展望はいかがですか?

箕輪「『天空の城 野津田』の現地に行ってみたいと、実際に行動に移していただけるような、上司の田口に負けないぐらいの企画やアイディアを生み出し、それを実行に移すことです。満員になる試合を数多く作り、皆さんとともに最高の空間を作り上げていきたいです。」

 

--田口さんとは違った視点とは、どんなイメージが浮かんでいますか?

箕輪「田口部長はイベントとかアクティブな仕掛けを好むタイプのアイディアマンなので、私は普段家にいるような方に来ていただけるような配信関連のものを考えています。いずれは『ガールズフェスタ』など、女性にも気軽に来ていただけるような仕掛けをしていきたいと思っています。またゲーム好きでもあるので、ゲームを好きな人たちはどんなものを好むのか。クラブの中で一番自分が分かっているので、そういった切り口でのアイディアも出していきたいです。」

 

--どんなことがそういった方々には響くのでしょうか。

箕輪「いずれにしても、まずはゼルビアのことを知っていただかないと、来ていただくことには繋がりません。例えば異色な方とのコラボで接点を作り、サッカーのことを知らない方にもゼルビアを体感するきっかけを作れればと思っています。」

 

--最後に箕輪さんにとって、ゼルビアとは?

箕輪「多くの方々に勇気や感動を与え、人生そのものを豊かにしてくれる存在です。」

 

--かつてはアントラーズがそういう存在だったので、実体験がこもった言葉ですね。

箕輪「試合の前日になれば、ゲーフラの準備をしていましたし、サッカー観戦とは1日が過ごせる、お祭りのようなものでした。ホームゲームの日は、スタジアムで1日が完結するような日を過ごしてきました。サッカークラブを好きになるということは、幼少期から大人になるまで、長いスパンで熱狂できるものであることを、これまで実感してきました。その価値を実感してきた者の1人として、ゼルビアでも同じことを体感していただけるような取り組みをしていきたいです。」

--ゼルビアを親子二代、三代で応援していただけるようなクラブにしたいと。

箕輪「親戚では甥っ子や姪っ子が1歳にもならないのに、もうすでにアントラーズのファンクラブに入っていますから、親子二代、三代の騒ぎではないです。親子四代にも及ぶサポーターです(笑)。うちは一族で応援に行っているようなファミリーです。ゼルビアでもそのようなファン・サポーターを増やしていきたいです。」

 

●編集後記・・・

取材前は緊張した面持ちでしたが、いざインタビューが始まると、終始笑顔で受け答えをしていた箕輪さん。

 

田口部長への愛と鹿島アントラーズ愛が溢れるインタビューで終わるかな・・・w

と、思いましたが、ゼルビアで働く日々の充実感と今後のゼルビアについて語る時の真っ直ぐな視線がとても力強かったです。

 

学生時代を知る私は、ゼルビアへの入社が決まった時、とても喜んだことを昨日のように覚えております。

当時から、どんなことにも全力で取り組む姿が印象に強く。

それは今も変わらず、社内では下から2番目という若さながら、とても頼りになる存在です。

 

その頑張る姿を見ていると、時々父親のような気持ちになり、「箕輪さん大丈夫かな??」

と、思うこともありますが、弱音を吐かずやり抜く力は社内で一番なのではないでしょうか。

 

親子四代のサポーター。

ゼルビアでもそんなサポーターの姿を、スタジアムで見れる日がくることを楽しみに頑張っていきます。

(MACHIDiary 編集長より)