--今回はFC町田ゼルビア後援会の活動について、メンバーである丸山さんにお話を伺います。後援会はどのような活動をしている団体なのですか。

丸山「ゼルビアを軸に、ゼルビアの後援活動を通して、町田のいろいろな団体や個人を繋げて、ゼルビア自体を強くしていこう、クラブを良くしていこうということを目的に活動をしています。ホームゲームでは後援会のブースを出展し、現在は『まちだみやげ』と題した、町田の様々な名産品を今は10数軒取り扱っています。『まちだみやげ』に関しては、町田のサポーターとビジターで来てくださるサポーターの方々に向けて、町田を知ってもらいたいといった目的でやっています。『まちだみやげ』は『まちだ名産品のれん会』さんから声を掛けていただいたことが始まりでした。『まちだみやげ』は後援会としても、地元の方との繋がりを作っていきたいという想いを持っているので、大変ありがたいことです。」

 

--どんなメンバーで構成されているのですか。

丸山「いま活動している方々は、試合告知のポスターを街中に貼る活動に来ていただいていたメンバーやスタジアム改修の署名活動をしていた頃からのメンバーが中心です。」

--今はコロナ禍で難しいですが、後援会発信で面白い企画と言えば、プロ野球チームを応援するファンの方を対象にその応援するチームのユニフォームを着て野津田に来場した方を無料招待するという企画がありました。こうしたアイデアが生まれる原動力は何でしょうか。

丸山「プロ野球企画については、会議の中でのノリで決まりました。スポーツが好きな人にサッカーのことを広めていきたい、ゼルビアの試合を見に来てほしいと、スポーツ好きという属性の方々に訴えかけるための企画でした。まずはゼルビアを知っていただくためのアイデアを出してきました。」

 

--後援会発足のタイミングはいつでしょうか。

丸山「クラブ側からの働きかけがあったのがスタートでした。2013年の12月に発足しました。」

 

--丸山さんは後援会の中でどのような役割なのでしょうか。

丸山「私は現場担当です。ホームゲームで出展している後援会ブース内での『まちだみやげ』の販売や試合告知のポスター貼りなどを中心に活動しています。」

--そもそも丸山さんがゼルビアを知ったきっかけは何でしたか。

丸山「ゼルビアを初めて知ったのが2007年の年末。兄から『町田にJリーグを目指しているサッカークラブがある』と聞かされました。それまでは兄と一緒に川崎フロンターレを応援していたので、言葉を選ばずに言えば、ゼルビアのことは『全国リーグ(JFL)に上がったら応援しに行ってあげようか』、それぐらいの感覚でした。今思えば、とんでもないことを言っていたなと思います(苦笑)」

 

--なるほど。ずいぶんと“上から目線”ですね(笑)。

丸山「本格的にゼルビアの試合を見に行くようになったのは、2009年からです。ただ当時の軸足はゼルビアでしたが、多少フロンターレにも足を伸ばしていました。そのシーズンのフロンターレは優勝争いをしていて、大分トリニータと九州石油ドーム(当時)で対戦した時は、大分の監督がランコ・ポポヴィッチ監督でした。そして2011年にポポさんがゼルビアの監督になると決まった時は、泣きわめいて喜んだ記憶があります(笑)」

--その後、ゼルビアにのめり込んでいった理由は?

丸山「2010年からはアウェイ遠征にも出かけるようになりました。ゼルビアでの最初のアウェイ遠征は、SAGAWA SHIGA FCのアウェイゲームだったと記憶しています。その頃の応援するチームは、もうゼルビア1本に絞っています。」

 

--アウェイ遠征まで出掛けるようになったきっかけは?

丸山「サポーターは遠征に行くものだろうと、勝手に身に付いていました(笑)。フロンターレでは、2006年から2008年まで、埼玉スタジアムへ3年連続で出掛けて、相手方のホームスタジアムで勝つことの空気感を知ってからは、それがやみつきなりました。大多数がホームのサポーターの中で、アウェイチームが勝つとスタジアム中が沈黙するので、それがもう快感でした。」

--定期的なアウェイ遠征はなかなかできるものではないと思います。そこまでゼルビアに肩入れるようになったクラブとしての魅力は何ですか。

丸山「深く嵌ったきっかけは2010年の9月5日、天皇杯2回戦東京ヴェルディ戦の朝に、何気なく試合の情報を得ようとクラブのホームページを確認すると、翌年のJリーグ入会を断念するというリリースが目に飛び込んできました。程なく兄から電話が掛かってきましたが、『とにかくわけは分からないけど、現場の西が丘に行ってみよう』と兄と話しました。そのヴェルディ戦では、『まだ何も終わっちゃいない』という横断幕の端を持たせていただいた記憶があります。その時、『クラブを支えなくちゃいけない』とサポーター魂に火がついたような感覚になりました。」

 

--まさにサポーターとしての“ターニングポイント”ですね。

丸山「間違いなくターニングポイントですね。順調にカテゴリーを上がっていたとしても、どこかのタイミングでサポーターとしてのターニングポイントはやってきたと思いますが、あの出来事は1つの大きなきっかけとなりました。サポーターとしては、クラブの支えになることをやるべきなんだと、思うようになりました。それまではどこか“サポーターごっこ”に似た感覚でしたが、Jリーグ入会断念という出来事があったことで、クラブのことや町田のこと、さらにはサッカー界のことも考えるようになりました。」

--「クラブを支える」ことに関しての具体的な行動とは?

丸山「サポーターの数を増やすことは当然として、ボランティア活動も2013年から始めましたし、ポスターを貼る活動もしてきました。それこそ、街や川のゴミを拾うことも、町田やクラブのためと繋がると思って行動するようになりました。また町田を強くすることがゼルビアを強くすることに繋がるんだと、その当時から思うようになりました。」

 

--そんな細かい行動にまで変化が生じたのですね。

丸山「ゼルビアは後発のクラブであるため、これからJリーグのトップを目指していくとなると、そういった細かい部分が必要になると思います。実はフロンターレを見ていて感じたことを行動に繋げた部分もあるんです。他のクラブのことを引き合いに出して恐縮ですが、フロンターレは地元商店会を選手が回ったり、クラブと地域の結びつきや繋がりが強いですよね。ゼルビアのクラブやサポーターができていないとか、そういった類の話ではなく、フロンターレのサポーターがクラブの活動に協力的であるのを見てきた影響も大きいと思います。」

 

--ちなみに、丸山さんの中で最も印象に残っているゲームを教えて下さい。

丸山「過去にサッカーの試合を見て、泣くようなことはなかったんです。例えば、2015年の大分での入れ替え戦や、長野での“ぬか喜び”、そして2011年にJリーグ入会を決めた浜川でのJFL・アルテ高崎戦でも泣くまでには至りませんでした。でも先ほども話に出てきた2010年の西が丘での天皇杯は、選手たちも数日前にJリーグ入会断念を聞かされはずなのに、強い気持ちで勝利を勝ち取ってくれました。そうした選手たちの頑張りには、さすがにウルウルときました。決勝点を決めたヤス(山腰 泰博)のユニフォームもタンスにありますよ。」

--JFL時代からのクラブを知る丸山さんは、近年のクラブの変化について、何か感じていることはありますか。

丸山「私が言うのもおかしいですが、順調に成長していると思います。2015年ぐらいからクラブに対して思ってきたことがあります。それは30代を迎えるぐらいのスタッフがクラブを去るのを見てきて、とても寂しさを覚えていたということです。これは想像の域を出ないですが、恐らく親御さんに『いつまでも夢を見ているんじゃない』と指摘されて、クラブを去る方もいたんじゃないかなと。すごく残念な想いをしていましたし、そういった方々がクラブに残れる環境を整えるための力になりたいと思ってきました。今のクラブを見ていると、若いスタッフも多いですし、長らく働いているスタッフもいますから、サイバーエージェントグループに参画して良かったなと個人的には思っています。」

 

--バックスタンドも完成して、J1仕様に生まれ変わった野津田に対しての想いを聞かせて下さい。

丸山「2011年にスタジアムに関する署名活動をした際、およそ7万筆を集めたと思います。メインスタンド改修などで約30億円、バックスタンド増築で約48億円と、石阪丈一町田市長を始め、行政の方々や町田市民の方々には相当な金額をスタジアムに注ぎ込んでいただきました。石阪市長の胆力でやっていただいたことでもあると思いますし、行政の方々、町田市民の方々のご協力がなければ、成し得なかったことでもあるため、感謝してもし切れません。そういった方々のためにも、微力ながら、クラブを良くするお手伝いをしていきたいと、改めて身が引き締まる想いです。」

--行政の方々のご尽力に感謝の気持ちを伝える意味でも、野津田が満員になる状況を、後援会やサポーターの立場から力になりたいという使命感が伝わってきます。

丸山「サポーターの1人としては、行政や市民の方々のご支援やご協力に感謝しなければいけないと思っています。野津田のために、最初の改修から含めると、約100億円にも迫る予算が投じられるのはJリーグクラブなのだから当たり前にできることなんだと、これからも勘違いはしたくないです。それは肝に銘じたいと思います。」

--今後のゼルビアに期待することは何でしょうか。

丸山「今年からのクラブスローガン『町田を世界へ』を実現させてほしいと願っています。どんどんクラブが発展して、町田を世界へと発展させてほしいです。」

 

--どんな状況になれば、「町田を世界へ」を実感できるのでしょうか。

丸山「クラブW杯に出場するといった競技の側面だけではなく、町田育ちの選手が数多くゼルビアに在籍するといった育成面にも期待しています。またゼルビアが街の発展に貢献し、世界から見ても評価されるクラブになれば、『町田を世界へ』を実現できたと実感できると思います。」

 

--「町田を世界へ」を早く実現させるためには、J1昇格も願いの1つですよね。

丸山「1年でも早くJ1に昇格することを願っています。傾斜配分というか、ここから先はクラブ間の格差も大きくなると思うので、J1のクラブが手に届かないほど、強くなってしまう未来もやってくるでしょう。そうなってしまうと、たとえ昇格できたとしても、昇・降格を繰り返すクラブになってしまう恐れがあるため、なるべく早くJ1昇格を実現してほしいです。」

--丸山さんご自身は今後、どのようにゼルビアに関わっていきたいと思っていますか。

丸山「大それたことはなくて、サポーターの1人として、いろいろな形でクラブを応援し、支えることができたらなと思っています。昨年と今年はできていないですが、サポーター席で飛び跳ねることもしたいです。また街中や川のゴミ拾い、落書き消しをしていくことがクラブのためになると思っているので、これからも続けていきたいです。」

--丸山さんにとって、ゼルビアとは?

丸山「月並みですが、生きがいであり、ライフワークです。これからも一生付き合っていきたいと思っています! また感謝の想いも伝えさせて下さい。私は先頭を引っ張ってくださっている後援会の他の方々の後ろにくっ付いて、行動していることで大変良い想いをさせていただいていますし、皆さんにはとても感謝しています。ありがとうございます。」

 

●編集後記・・・

FC町田ゼルビア後援会メンバーとして、クラブを支え続けていただいている丸山さんのお話しは、クラブスタッフとして改めて身の引き締まるものばかりでした。

 

つい、当たり前と思ってしまいがちなことに対しても、感謝の気持ちと謙虚な心を忘れずに、常に俯瞰しされている姿に感銘を受けました。

 

私自身、FC町田ゼルビアに来て2シーズン目となりますが、このような気持ちを忘れずに、クラブと共に歩みたいと改めて思いました。

 

これまでFC町田ゼルビアを支えていただき、築きあげてきていただいた方々への感謝の気持ちを胸に刻み、今日もクラブと地域のために。

そして、応援してくださる皆様のために闘っていきます。

(MACHIDiary 編集長より)