--早いもので深津康太選手は通算在籍年数が今年で11年目となりました。振り返ると、早く時間が過ぎたのか。それとも長い時間だったのか。いかがですか。

深津「あっと言う間だなという気持ちが一番です。最初にゼルビアへ来た時は、まさか11年もこのクラブにいるとは思っていなかったです。当時の僕は働きながらサッカーをしていましたが、そのおかげで『今』があると思っています。ゼルビア加入は僕のサッカー人生において、ターニングポイントになりました。」

--ゼルビア加入は2009年のこと。当時は日中に仕事をしながら、サッカーをやっていたんですよね。

深津「正直、働きながらサッカーをやるのはあり得ない。それならばサッカーを辞めると思っていたタイプでした。『絶対にやるもんか』と思っていましたが、実際にプレーできるチームがなくなって、『サッカーを辞めるか?辞めないか?』という選択をせまられ、すごく迷った中で、やってみるかという感じで加入しました。周りの選手たちも働きながらサッカーをやっていましたが、誰も文句を言わずに皆が頑張っていたので、さらに刺激を受けました。そういった時期を過ごしたからこそ、サッカーだけでご飯が食べられる幸せを改めて感じました。その経験があったから、もう後悔しないという決心がつきました。」

--働きながらサッカーをするという苦労とは、例えばどんなことですか?

深津「まずは休みがないということですね。月曜日はサッカーの練習は休みだけど、仕事があります。9時から18時まで仕事をして、火曜日は9時から18時まで仕事。20時からサッカーの練習でした。次の日は9時から12時までサッカーをやって、13時から18時まで仕事をしていました。そして土・日はサッカーの試合があるので、なかなか休みがないですし、大変な1年を過ごしました。」

--当時は太陽光発電の営業をしていたとか。

深津「チラシのポスティングをしたり、突撃訪問(飛び込み営業)でチャイムを鳴らして、『太陽光発電はいかがですか?』と営業をするのですが、発注に至るのは難しかったです。正直かなり大変でした。」

 

--だからこそ、サッカーでご飯を食べられるありがたみを痛感したんですね。

深津「あの1年の経験がなかったら、この年齢までサッカーをやれていなかったと思います。あの1年があったからこそ、後悔しないという信念が生まれましたし、1本の柱ができて、覚悟を持てました。良い経験をできたと思っています。」

 

--2011年に東京ヴェルディへ移籍して、12年にはゼルビアとJ2の舞台で対戦しました。

深津「僕がヴェルディに移籍するきっかけになったのは、ゼルビアがなかなかJ2ライセンスを取得できなかったことが理由の1つでした。ヴェルディで勝負をして、そこでダメならば、サッカー選手を辞めるつもりで移籍しました。ただ、ゼルビアがこんなにも早くJ2に上がってくるとは思っていなかったので、対戦できてビックリしたというのが本音でした。絶対に負けたくなかったですし、ゼルビアのファン・サポーターに成長した姿を見せられれば良いなという想いでプレーしました。」

 

--なるほど、まさかゼルビアとJ2の舞台で対戦するとは思っていなかったのですね。

深津「当時のゼルビアはなかなかJ2ライセンスが交付されませんでした。そんななか、ヴェルディからオファーをいただき、後悔したくないという想いで、ヴェルディには『ラストチャンスだぞ』ぐらいの気持ちで行きました。仕事をしながらサッカーをやったからこそ、そういう気持ちになりましたし、ヴェルディに行って良かったと思っています。ヴェルディでお世話になって、いろいろな経験も積ませていただき、濃い2年間でした。ヴェルディにも感謝しています。」

--そして13年にゼルビアへ戻ってきました。その経緯は?

深津「いろいろありました。1つは(12年の天皇杯からゼルビアの監督になった)アキ(秋田豊)さんが、ヴェルディ時代のコーチだった頃から僕のことを評価してくれていました。これは言って良いものなのかな…。アキさんには『お前を連れて行く』と誘われたんです。最初はまだやりたいことがあるし、『行かない』と思っていましたが、アキさんの心のこもった気持ちがすごく伝わってきて、町田のためにという想いのもと、『頑張るか!』と復帰を決めました。でも本当に悩みました。まだヴェルディを契約満了になったわけではなかったですから。ましてやゼルビアはJFLでしたし、僕の中で迷って、迷って、最後はアキさんの男気と下川浩之社長(当時)の男気で決断しました。この年齢でもサッカーを続けられているのは、あの時、ゼルビアでプレーするという選択をしたからです。振り返れば、自分の道は間違っていなかったなと思います。さらに仕事をしながらゼルビアでサッカーをやっていたことが、この年齢までプレーできることに繋がっていると断言できます。」

 

--11年の間で印象に残っている試合は?

深津「いろいろありますが、パッと思い浮かぶのが15年のJ3最終節、長野でのパルセイロ戦と大分トリニータとのJ2・J3入れ替え戦です。J3からJ2に上がるのは本当に大変だなと思いましたし、J3で優勝したと思い込んだ“ぬか喜び”は、なかなか経験できることではないです。あの時はホッとしたというのが本音です。僕は町田をJ2に上げるために、戻ってきました。なかなかうまくはいかなかったですが、厳しいを練習している中で、素晴らしい仲間たちとも巡り会えました。あの時は本当にチームが1つになっていました。切磋琢磨してきた仲間たちと優勝できたというホッとした気持ちだったのですが…。」

 

--ピッチ内ではどんな様子でしたか?

深津「試合が終わって、周りを見た時に、会場が喜んでいました。ワーっとなっていたので、会場の雰囲気で優勝したと思ったのですが…。そして長野側のベンチへ行き、元チームメートのカツ(勝又慶典)たちに『ありがとうございました』と伝えたら、『山口は引き分けたらしいよ』と言われました。もう頭が真っ白になって呆然としてしまいました。」

--失意のまま、ロッカールームに戻ると…。

深津「ロッカーの雰囲気はシーンとしていましたが、すぐに入れ替え戦がやってくるので、締めの挨拶をしようとなった時に、久木野聡が『勝たないと上には上がれないよと、サッカーの神様が言っているようなものだよ。絶対に入れ替え戦で勝とうぜ!』と言ったんです。それによって、またチームが1つになれました。ピンと張り詰めていた線が、優勝したと思ったことによって切れていたような状況になった中で、アイツの一言で、勝たなければ上には行けないと皆が改めてそう思ったはずです。アイツの一言がなければ、どうなっていたか…。僕はアイツが素晴らしい一言を言ってくれたことで、入れ替え戦に勝つことができたんだと思っています。久木野は狙って言うようなタイプではないですし、心の声がそう言わせたのかもしれないです。言いそうにない久木野が言ったことで、より効果があったと思うので、とても感謝しています。」

 

--そして大分との入れ替え戦を制して、J2復帰を決めました。

深津「昇格が決まった瞬間はうれしかったですが、長野で喜びを爆発させた分、長野ほどの喜びはなく、複雑な心境でした。でもホッとしました。」

--J2復帰を決めて、優勝に近づいたシーズンもあった中で、今年のゼルビアは夏にクラブハウスも完成します。次第に環境が整っていくことをどう感じていますか。

深津「すごく大きくなったなと。僕が入った当時では考えられなかったことです。それでも、ゼルビアに関わってきた方々が頑張ってきたからこそ、今があるわけです。皆の分も、あと1年になるか、2年になるか。それは分かりませんが、1年1年後悔せずにやろうと思います。」

--昨季限りで現役を引退した李漢宰さんも、ゼルビアに関わってきた方の1人です。

深津「漢宰さんには助けられましたし、あの人がいなかったら、このFC町田ゼルビアはどうなっていたのかなと思います。漢宰さんは言葉を発する力もありますし、背中で引っ張る力もありました。僕の1つ前のポジションでその背中を見てきたので、背中を見ることができないのは悲しく寂しいですが、最後の琉球戦で一緒に試合に出られて感謝しています。」

 

--ホーム最終戦の水戸戦で漢宰さんがゴール裏に向かって、「中島裕希と深津康太がいれば何も問題はない」という話をされていましたが、その想いを受け継ぐ者として、どう捉えましたか。

深津「漢宰さんと同じことはできないですが、一番に想うことは、チームを同じベクトルに向けられるようにすることです。これは僕にもできると思っています。ただ漢宰さんのように、言葉で人を動かす実力はないですし、それは(中島)裕希にもないと思います。でも、僕が持っていて漢宰さんが持っていないこともありますし、裕希が持っていて、僕にないこともあると思います。また裕希が持っていないものを僕が持っているかもしれないので、そこをうまく噛み合わせて、チームが同じ方向を向けるようにしていきたいです。僕自身、ゼルビアの良さはチームが1つになることだと思っているので、皆で同じ方向を向いていきたいです。」

--在籍年数が長い選手として、今季はどんなシーズンにしたいですか?

深津「何度も言ってきましたが、後悔しないように、1日1日を大切に全力でやること。メンバーを見ても、ゼルビア史上、一番豪華なメンバーが集まりました。その点でクラブの本気度が違うことも感じていますし、第一目標はJ1昇格です。昇格のために切磋琢磨をして、同じ方向を向いて、1日1日を大切に過ごしていきたいです。」

 

--ゼルビアでJ1へ行きたい、という想いが強いのですね。

深津「僕はもうこのチームしか行くところがありません。このクラブでJ1に行けたら、JFL、J3、J2と全部のカテゴリーを経験することになります。ほかの選手にはなかなか味わえない景色ですし、自分だけの特権だなと思います。J1へ行けたら、もう幸せですね。」

 

--ゼルビアに復帰して9シーズンの間に、他クラブからのオファーがあったかと思います。それでもゼルビアでプレーし続けることを選んだ理由は?

深津「直感ですよ。僕はこのクラブでJ1へ行きたいという強い想いがありますし、このクラブが好きだから残るという決断をしました。」

 

--残留を決断していただき、ありがとうございます!

深津「めちゃくちゃ悩みましたよ。悩んで…、悩んで…、人生で一番悩みました。でも苦しかったからこそ、なおさらJ2へ上げたいという強い気持ちが芽生えました。ただその判断は間違っていなかったです。だからこそ、この年齢までプレーできていると思います。この年齢までプレーできているのは、本当に幸せ者です。」

--最後に改めて今年に懸ける想いを聞かせて下さい。

深津「同じことの繰り返しになりますが、後悔しないように、1日1日全力を尽くすことが僕の目標です。その先にJ1があれば、すごく幸せなことです。でも、僕たちが結果を残さないとファン・サポーターの方々は付いてこないですし、観客動員数も増えません。町田GIONスタジアムを毎試合満員にすることが僕の夢の1つでもあるので、結果にこだわって、1人でも多くのファン・サポーターとともに勝利の喜びを分かち合いたいと思います!」

 

●編集後記・・・

「1日1日全力を尽くす」

インタビュー中、何度も繰り返しこの言葉を使った深津選手。

これまでの様々な経験が『今』の深津選手の源であり、それはファン・サポーターの皆様と歩んできたものなのだな。

と、思いました。

FC町田ゼルビアへの『想い』は誰よりも深く・強い選手。

今シーズンも全力で闘う深津選手の姿を目だけでなく、胸(心)に焼き付けたい。

そして、康太と共に『J1へ』

(MACHIDiary 編集長より)