※本稿はゼルビア担当ライターの皆様に寄稿いただいております。

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J2のシーズン再開が6月27日と迫ってきた。当初は無観客による開催となるが、選手とサポーターがスタジアムに集える日が近づいてきている現状を喜びたい。
中断期間はクラブが進んできた道、乗り越えた壁を思い出す好機でもある。
今回はサポーターの皆さんが心を冷まさず「コロナ後の戦い」に備えられるような、そんな企画を用意した。
ゼルビアの番記者である郡司聡と大島和人が、2012年から毎シーズンごとに「思い出の一戦」を振り返っていく。

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2017シーズンも、折り返し地点を迎えようとしていた頃だった。

第1クール最終戦。第21節アウェイでのモンテディオ山形戦を前に、ゼルビアは不調のどん底にいた。

公式戦は5試合勝利なし。直近の2試合、天皇杯の大分トリニータ戦とリーグ戦の東京ヴェルディ戦は2-4での連敗を喫していた。特にこの2試合は“幅と奥行き”を駆使したボール回しとポジションチェンジを繰り返す相手に完敗の内容だった。

 



山形戦の準備期間初日。小野路グラウンドでチームの指揮を執る相馬直樹監督は、他を寄せ付けないオーラを漂わせていた。重苦しい雰囲気の中、進行していく山形戦に向けた準備。そして試合を2日後に控えたその時、指揮官が動いた。

 



山形のスカウティング映像を確認するミーティングの席上、相馬監督は語気を強めながら話したという。その内容の主旨は、過去4シーズン、J3時代から培ってきたチームスタイルをブレずに貫き、その質を高めることを追求すること、だった。

コンパクトな3ラインを構築し、前線から迷わずプレッシャーを掛け、奪ったボールを素早く敵陣に運び、ショートカウンターからフィニッシュまで持ち込むーー。指揮官による熱のこもった言葉の数々は、選手たちの心の琴線に触れた。練習後、深津康太は晴々とした表情でこう言った。

「相馬さんの言葉が心に響いたし、心に突き刺さった。これで腹が据わった状態で試合に臨める。覚悟ができました」

 



こうして迎えた“勝負”の山形戦。試合開始からゼルビアはエンジン全開で山形に立ち向かった。開始8分、中島裕希のチェイシングから相手のミスを誘発すると、ペナルティーエリア内で倒された中島がPKを獲得。これを中島が冷静に沈め、先制点で上昇気流に乗ったゼルビアは前半のうちに追加点を奪った。

そして2-0で迎えた後半は戸高弘貴のボール奪取を出発点として、最後は戸高が華麗なシュートを沈めて勝負を決めた。結果は3-1の快勝。迷いなき、前線からのプレッシングスタイルを貫いた勝利に、センターバックの増田はこう言って胸を張った。

「あらためて自分たちのやりたい、やるべきサッカーを見つめ直して表現できたことは良かったですね。ちょっと何をしていいのか分からないチーム状況から、もう一度息を吹き返すものが見えたと思います」

 



相手がどんな出方をしてこようとも、前線からのプレッシングを貫くという“自分たちのスタイル”を思い出したゼルビアは、山形戦の勝利から4連勝を記録。結果的にこの大型連勝が、2年連続での残留につながった。

シーズン後、チームキャプテンの李漢宰は「実は山形戦の結果がどうなるか、ソワソワしていた」と振り返っている。仮に山形戦の結果が反対に転がっていれば、17年の行末は分からなかっただろう。

迷えるチームにあらためて明確な指針を示し、チームを勝利に導いた相馬監督。あの日、野津田のロッカールームで熱弁を振るった“伝説のミーティング”が、ターニングポイントを制する大きな原動力となった。

 

【著者プロフィール】
郡司聡:千葉県出身。編集者・ライター。サッカー新聞「エルゴラッソ」や「サッカーダイジェスト」などに寄稿。Webサイト『ゼルビアTimes』編集長も務める。ゼルビア初取材は2010年の天皇杯3回戦アルビレックス新潟戦で12年から定点観測中。