※本稿はゼルビア担当ライターの皆様に寄稿いただいております。

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J2のシーズン再開が6月27日と発表された。当初は無観客による開催となるが、選手とサポーターがスタジアムに集える日が近づいてきている現状を喜びたい。
中断期間はクラブが進んできた道、乗り越えた壁を思い出す好機でもある。
今回はサポーターの皆さんが心を冷まさず「コロナ後の戦い」に備えられるような、そんな企画を用意した。
ゼルビアの番記者である郡司聡と大島和人が、2012年から毎シーズンごとに「思い出の一戦」を振り返っていく。

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2012年以来となるJ2復帰が決まった瞬間、チームキャプテンの李漢宰は、昂る感情を抑えることができなかった。ピッチにひざまずき、少し後ろに体をのけ反らせながら、両腕で渾身のガッツポーズを作っていた。

 

 

2015年12月6日。大分トリニータとのJ2・J3入れ替え戦を2戦2勝で制したゼルビアが、悲願のJ2再昇格---。そこまでたどり着けた裏側には、あるエピソードが隠されている。少し時計の針を戻してみる。

11月23日。J3最終節。2位のゼルビアは同一勝ち点のレノファ山口FCと優勝争いの渦中にいた。首位の山口には得失点差で劣るため、ゼルビアが自動昇格枠であるJ3優勝を果たすには、山口を勝ち点で上回ることが条件だった。

迎えた敵地での最終節。ゼルビアはAC長野パルセイロと1−1で引き分けた。他会場での山口の結果を待つゼルビアイレブン。そこに「山口敗戦」の一報が入った。逆転優勝に歓喜が爆発。コーチングスタッフや選手が誰彼構わず抱擁し、深津康太の眼には光るものがあった。

 



ところが---。他会場の山口は終了間際、ガイナーレ鳥取に追いつきドローで試合を終えていた。こうして山口が得失点差でJ2に昇格。ゼルビアの歓喜は“ぬか喜び”に終わった。

 

失意に暮れ、ロッカールームに引き上げる選手たち。室内の空気は「さすがに凹んでいた」(増田繁人)。その時だった。ある選手の声が、ロッカールームに響き渡った。

「これはもう勝ってJ2に行けと言われているようなものだよ!」

その声の主は、久木野聡だった。

 



「よし、入れ替え戦の残り2試合。自分たちの力でJ2に上がろう!」

どこからともなく、力強い声が聞こえてきた。ゼルビアの選手たちは、再び気持ちを奮い立たせ、最後のチャンスにかけた。

こうしてホーム野津田で迎えた入れ替え戦の第1戦。相手は08年にナビスコカップを制覇した“タイトルホルダー”でもある大分だった。サンフレッチェ広島で入れ替え戦を経験している李漢宰にとっても「独特だった」という雰囲気の中で行われた第1戦は先制点を許す苦しい展開に。しかし、この窮地を救ったのがエースの鈴木孝司だった。

 



1点ビハインドの前半終了間際、同点ゴールを決め、後半の72分には逆転ゴールを奪取。先勝というアドバンテージを携えて、ゼルビアは敵地での最終決戦に臨んだ。

 



J2をかけた“ラストバトル”は、大分もなりふり構わず襲いかかってきた。前半にはPKを与える絶体絶命のピンチに。この窮地は守護神の髙原寿康が立ちはだかり、PKを阻止。0-0で迎えた後半は58分にエースがゴールを奪い、昇格にグッと近づいた。

 

 



カウントダウンに入ったゼルビアのJ2昇格。残り5分の段階で李漢宰の頬を涙がつたっていく。第2戦は1-0で試合終了の笛が鳴り響くと、李漢宰の体は冒頭のように勝手に動いていた。北朝鮮代表の国際試合を戦ってきた経験豊富な李漢宰にとっても「人生で一番うれしかった」と言い切るほどJ2復帰の瞬間は格別だった。

 



大分との入れ替え戦を制した原動力は、全3得点を叩き出した孝司や、第2戦でPKを止めた守護神の活躍に集約されるだろう。ただ、要因は決してそれだけではない。あの日、長野で一度は気持ちが落ちかけた選手たちを、奮い立たせた久木野の言葉---。彼のメッセージなくして、ゼルビアのJ2復帰はあり得なかった。



【著者プロフィール】
郡司聡:千葉県出身。編集者・ライター。サッカー新聞「エルゴラッソ」や「Number Web」「サッカーダイジェスト」などに寄稿。Webサイト『ゼルビアTimes』編集長も務める。ゼルビア初取材は2010年の天皇杯3回戦アルビレックス新潟戦で12年から定点観測中。