※本稿はゼルビア担当ライターの皆様に寄稿いただいております。

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J2のシーズン再開が6月27日と発表された。当初は無観客による開催となるが、選手とサポーターがスタジアムに集える日が近づいてきている現状を喜びたい。
中断期間はクラブが進んできた道、乗り越えた壁を思い出す好機でもある。
今回はサポーターの皆さんが心を冷まさず「コロナ後の戦い」に備えられるような、そんな企画を用意した。
ゼルビアの番記者である郡司聡と大島和人が、2012年から毎シーズンごとに「思い出の一戦」を振り返っていく。

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J2は1999年に創設されたカテゴリーで、2012年までチーム数を増やし続けていた。2014年にJ3が発足し、Jリーグはさらに拡大していく。2013年は隙間のシーズンで、FC町田ゼルビアはJ2からJリーグの外に落ちた史上初、そして唯一のクラブだ。

2013年の町田はJFLで34試合を戦った。秋田豊監督(現・いわてグルージャ盛岡監督)が12年末から指揮を執っていたが、前半戦終了時点で交代。その後は楠瀬直木強化・育成統括本部長が監督代行を務めた。

同年はJ2ライセンスを保持しているクラブが優勝すれば自動昇格、2位は入替戦というレギュレーションだった。町田はAC長野パルセイロ、カマタマーレ讃岐、SC相模原に次ぐ4位に終わり、J2再昇格を逃している。

筆者は1年で22試合を取材したはずなのだが、この年に限って記憶が妙にぼんやりしている。チームの戦績は18勝7分9敗だが、「そんな勝っていたかな?」という感覚だ。ただし負けた試合、追いつかれて引き分けた試合は生々しく覚えている。

2013年の「悔しかった試合リスト」は充実している。
・第1節:新昇格の福島ユナイテッドに敗れた開幕戦(0●1)
・第17節:ホームで首位に完敗した長野戦(0●4)
・第18節:ロスタイムに追いつかれたソニー仙台戦(1△1)
・第34節:「お隣」に敗れて4位に転落したSC相模原戦(1●2)

もっとも強烈に心へ刻み込まれている試合は、アウェイ佐久総合運動公園陸上競技場で戦った第29節・長野戦(1●5)だ。

 



残り6試合時点での勝ち点は首位・長野が「61」で2位・讃岐は「58」。3位・町田は「50」で追っていた。奇跡の逆転昇格を記事にするつもりで取材をしていた。

10月19日に開催されたこのカード。町田は前半から攻めに出て、15分に相手のオウンゴールで先制。「これはイケるかも」と思った直後、16分に長野のエース・宇野沢祐次に決められる。ただし前半を1-1で折り返すことに成功し、望みをつないでハーフタイムを迎えた。


後半は無残だった。51分にセットプレーから勝ち越しを許すと53分、66分、80分にも連続失点。相手が主力をベンチに下げたあとも、さらに攻め続けられた。1-5というスコア通り、いやスコア以上の完敗だった。

 



とにかくアウェイ感が強烈だった。長野の攻撃の迫力、サポーターの盛り上がりはもちろんで、試合中の天候も雨。公式記録を見るとキックオフ時の気温は17.7度だが、後半はぐっと下がり、凍えたことを覚えている。

 



当時のパルセイロはJFL離れした盛り上がりを見せていた。南長野総合運動公園のスタジアム改修が間に合わず昇格はお預け状態だったが、カップ戦でも快進撃。町田戦の6日前にはギラヴァンツ北九州を倒し、天皇杯ベスト16入りを決めたばかりだった。

試合後は信州のヒーローたちをテレビカメラが取り囲み、楽しげに取材をしていた。一方で町田側は選手それぞれが凍りついた表情で、無言でロッカーから出てくる。町田を取材していて、あれほど重苦しい空気感はそれから一度も経験していない。

 



深津康太を捕まえて話を聞いた。試合の感想を尋ねると彼は沈黙した。ちょうど15秒の間があって、重い口を開いてくれた。

「不甲斐ない試合をしてしまった。後悔しちゃいけないですけど、一番後悔しちゃう試合だった。個人的にもチーム的にも一番大事な試合で、一番してはいけない試合をしてしまった。(勝利の)プレッシャーはパルセイロの方があったと思うし、俺らは追っかける立場。パルセイロは天皇杯も勝っていて、今すごい勢いに乗っている。その勢いを何としても止めたかったし、止めるのはゼルビアだと思っていた。だけど本当に大事なところで簡単なミス、簡単な失点をしてチームがバラバラになっちゃったのが痛かった」

当時の長野はサイドに人をかけて細かく崩すスタイルだった。そしてGKとCBの間に速いボールを入れ、ニアとファーにいいタイミングで人が入ってくる。そこへの対応が後半は混乱し、相手に強みを出されてしまった。

数字上の可能性はまだ残っていたが、このような戦いをするチームが5試合で勝ち点10以上に開いた2位との差を逆転する未来は想像し難い。悔しいというより寒々しい、寂しい心境だった。「考える」ことを脳が拒否していた。

2013年は選手の出入りが激しく、別れの寂しさも多く味わった。しかしサポーターやクラブスタッフが踏ん張り、こんな時期を乗り越えたからこそ、今のゼルビアはある。新型コロナ問題と重ねるわけではないが、クラブと人々の熱意があれば,そんな辛さを次への糧にもできる。そんな思いも込めて、悔しい試合を2013年の「思い出の一戦」とさせてもらった。

 

○当時の試合記録はこちらです!

https://www.zelvia.co.jp/match/game/25969/

▽筆者:大島和人
1976年11月生まれ。「球技ライター」を名乗り、サッカーはもちろんバスケットボールや野球の取材・執筆も行っている。最初に見たゼルビアの試合は2010年6月の横河武蔵野FC戦。2012年からJ’s GOALのゼルビア担当となり、同年5月に町田市へ転居。