※本稿はゼルビア担当ライターの皆様に寄稿いただいております。

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新型コロナウイルス感染症の影響でリーグ戦が中断し、スタジアムの熱気を感じられない日々が続いている。きっと一番苦しいのは、満足な練習ができない選手たちだろう。J2のシーズンが再開し、選手とサポーターが存分にスタンドで戦える日が速やかに戻ってくることを願いたい。
この時間はクラブが進んできた道、乗り越えた壁を思い出す好機でもある。今回はサポーターの皆さんが心を冷まさず「コロナ後の戦い」に備えられるような、そんな企画を用意した。ゼルビアの番記者である郡司聡と大島和人が、2012年から毎シーズンごとに「思い出の一戦」を振り返っていく。

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このクラブのJリーグ初ゴール、初勝ち点、初勝利−−。それはすべて2012年3月17日のJ2第3節・ガイナーレ鳥取戦だ。

当時はJ3のカテゴリーがなく、ゼルビアはJFLから昇格して初の「Jリーグ」を戦っていた。チームは開幕・愛媛FC戦を0-2、第2節・アビスパ福岡戦を0-1と落としていた。

初勝利を見逃すわけにはいかず、筆者は予定になかったアウェイ取材を急遽入れた。鳥取は飛行機も列車も高いため、旅程はすべてバスにした。帰りの夜行ツアーバスがちょうど5千円と激安だったことを今も覚えている。

さて13時4分にキックオフされた鳥取戦。前半は悪くない流れだったものの、得点が決まらずスコアレスだった。後半開始直後の47分に「その時」が来る。

北井佑季(現・日本競輪選手養成所第119期生)が左サイドから仕掛け、これをサポートした鈴木崇文(現・リクルートキャリア)が浮き球のクロスを送る。これを平本一樹(現・強化部強化担当)がヘッドで押し込んだ!

実はJリーグ的にも「メモリアルゴール」だった。J2の発足は1999年で、第一号ゴールはFC東京の岡元勇人選手。そこから14年目のこの試合で決まった平本のこのゴールは、「J2一万点目」の記念弾だった。なおこれを祝した記念碑が町田GIONスタジアムのホーム側ゴール裏にある。野津田へ行かれた際にはぜひご覧いただきたい。

 



当時のゼルビアは(今もそうだが)イケイケのスタイルで、「しっかり守ってきっちり終わらせる」試合運びはできなかった。流れは一進一退だったが89分、90分と勝又慶典(現・おこしやす京都AC)が連続ゴール。気持ちよく突き放した末の、3-0の快勝だった。

あれから様々な試合をゼルビア目線で取材したが、1勝目のスッキリした感覚は特別。仲間が少ない寂しさ、バスで延々と揺られる過酷さのあるアウェイ戦だからこそ、その中で得た勝利は気持ちいい--。そんな感覚にも気づいた。

とりぎんバードスタジアムのロッカー前で、初勝利、1万ゴールの喜びを平本選手から聞いた。彼はこうを語っている。

「鳥取はJリーグの先輩だし、そこに3-0というスコアは自信がつく。先制点はすごく大事だなと思っていました。どっちに転んでもいいような展開だったけど、後半に入ってすぐ点を取れたのが大きかった。それが自分のゴールというのも嬉しい。(オズワルド アルディレス)監督のJリーグ100勝もあるんですよね? 町田にとってJで初めての点を僕が決められて、J2通算1万ゴール。なおかつ監督100勝となると、本当に良かったです。連戦じゃなかったら飲みに行きたいところですけれど」

 



実は試合内容以上に、試合以外をよく覚えている。風がすごく強かったこと。ゴール裏のサポーターと記念撮影をしたこと。ソフトモヒカン風にサイドを刈り上げた平本が「短くしすぎた」と照れていたこと。鳥取(当時)の戸川健太選手が「かずきぃ」と叫びながら町田のロッカーまで平本を呼びに来たこと(※2人はヴェルディユースの同期)。アルディレス監督の奥様が鳥取まで見に来られていたこと。

虎舞竜の歌詞ではないが、そんな「何でもないような事」がすごく幸せだった。この年のゼルビアは42試合を戦って7勝しか挙げられていない。しかも筆者がゼルビアを「番記者」として追い始めた初年度ということもあり、すべての勝利が鮮明に残っている。

 

○当時の試合記録はこちらです!

https://www.zelvia.co.jp/match/game/9045/

▽筆者:大島和人
1976年11月生まれ。「球技ライター」を名乗り、サッカーはもちろんバスケットボールや野球の取材・執筆も行っている。最初に見たゼルビアの試合は2010年6月の横河武蔵野FC戦。2012年からJ’s GOALのゼルビア担当となり、同年5月に町田市へ転居。