其の十 先生はその子を愛せない




雪の日のサンダル事件から、しばらく経った頃。


予定外のことが起きた。



月のものが来ない。


妊娠していた。



私は田舎から上京して働いていた。


給料は生活費に消え、貯金らしい貯金もなかった。


五人きょうだいの三番目だった私は、妹が大学へ進学する時期でもあったため、ボーナスを実家の生活費の足しにしていた。


子供ができたと知ったら、ヤツは何と言うだろう。


いい予感はしなかった。


一人で産むことはできるだろうか。


貯金はない。


実家に戻り、両親と暮らすことになるのだろうか。


それだけではなかった。


私は何度か抗生剤を服用していた。


深夜勤務の前には仮眠を取るために睡眠薬を飲むこともあった。


お腹の子供に影響はないだろうか。


無事に生まれてくれるだろうか。


不安は尽きなかった。


つわりのような症状もあり、食事が取れなくなって痩せていった。



それでも、私にはひとつの思いがあった。


薬のことも、経済的なことも、これからの生活も怖かった。


けれど、それ以上に怖かったのは、宿った命を自分の意思で終わらせることだった。


私は産みたかった。


ヤツにも、そう伝えた。


しかし、返ってきた言葉は予想していた以上のものだった。


「まだ自分の親にも受け入れられていないのに」


そして、私が薬を飲んでいたことを持ち出し、


「奇形児が生まれるかもしれない。先生はそんな子は愛せない」


と言った。


病院へ行ってほしいとのことだった。



もう、何も言いたくなかった。


中絶は、決して女性の身体に負担のない処置ではない。


当時、私が恐れていたことのひとつに、子宮内の癒着があった。


一度の掻爬でも、将来の妊娠に影響することがある。


もし、もう子供を産めなくなったら。


次から次へと不安が浮かんだ。



ヤツは産科に同行してくれた。


診察室でエコーを見た先生に、服用していた薬のことを話した。


先生は言った。


「大丈夫ですよ。全く心配いりませんよ」


どれほど安堵したことだろう。


大丈夫なんだ。


産めるんだ。



しかし、次の瞬間。


隣にいたヤツの顔を見た。


ああ……無理なんだ。


そう悟った。



結局、私は処置の予約を入れた。


処置の前日、子宮口を広げるためにラミナリアを入れた。


帰宅後、激しい痛みに襲われた。


あまりの痛みに悶えていたところへ、ヤツから電話があった。


痛みを伝えると、点滴を持ってきて入れてくれた。


ペンタジンが入っていたそうだ。


痛みは和らぎ、ようやく眠ることができた。



翌日。


私は一人で産科へ行った。


処置を終え、タクシーで帰宅した。


さまざまな思いが駆け巡った。


まだ形になっていなくても、私のお腹に宿った命だった。


私は、自分の都合でその命を拒んだ。


どれほど自分を責めても、起きたことは変わらない。


その事実が消えることもない。




私は、ひとつのことを決めた。


もし、また子供を授かることができたなら。


今度は必ず産んで、育てる。