前回の続き
※かなり長文になります。
父が依存した自称能力者(以下S)との出会いは、2011年、今から15年前の話です。
当時Sは27歳(私の4歳上)で親と二人暮らしで、後に天涯孤独となった独身男性です。
これは霊能力の話ではありません。
「理解してくれる存在」に強く依存していった結果、父が少しずつ現実判断を失い、家族関係が崩れていった15年の記録です。
出会いから告白まで
当時23歳の私は父と同じ会社で働いていて、会社関係の知り合いが、「霊が視える」と話す女性(50代)を連れてきました。
その女性は「視える力を使って無償で相談にのる」というスタンスでした。
私は最初「視える」ということ自体に興味を持ってしまい、半ば信じる形で関わっていました。
理由はわかりませんが、その女性は私にだけ自分の弟子だというSを紹介してきました。
Sとは会ったことはなく初めは電話だけでした。
Sは「視える」「使命がある」と語り、人助けをしているという立場をとっていました。
頭の回転が早く、共感も上手で、相手が欲しい言葉を自然に返してくるタイプでした。
今思えば心理学とか勉強していそうと思うくらい、相手の不安や承認欲求に入り込むのがうまくて、感情を読むことに長けている印象でした。
当時の私は男性不審もあり「電話のみ」という距離感に安心してしまっていた部分もあります。
その後、たまたまSが住む地域の近くに友達と遊びに行った時、少しだけ会いたいと言われて初めて対面しました。
実際に会ってみると、想像していた人物像とのギャップがかなりあり、(私ずっとこの人と喋ってたのか......)と一気に現実感が増しました。
私は電話だけの距離じゃなくリアルな人間関係になることは求めていなかったので、距離を置こうと思い自分からは全く連絡をしなくなっていました。
向こうには逆に好印象だったのかその日から電話がかかってくる回数が増えてきて、最終的に告白されました。
Sは「視えている」という前提で話しをするのですが、以下のことで不審に思ったので、告白を断りました。
❶聞いてもいないのに、家族(両親と妹)の性的なことを一方的に話してきた
❷私にも、一度だけ性的なことを聞いてきたことがあった
❸当時私は資格取得のため勉強中で、Sはそれを応援していましたが、息抜きも必要なのに「友達と遊ぶと試験に落ちる」と言ってきた
❹かかってくる電話の回数と時間(数時間単位)が異常に増え、結果的に私の勉強時間や睡眠時間が削られていた
❺「今まで何を頑張ってきたんや」と、まるで私が今までの人生何も頑張っていないかのような発言をしてきた
❻男性不審なことを知っているにも関わらず男友達のことを「お前とヤろうと思ってゴムを隠し持っているのが視える」と言われて、すごく嫌な気持ちになったら「最終俺が居れば良くないか」と言われた(この発言が一番強い違和感と恐怖を感じた)
❼試験に受かることが人生の全てかのような応援の仕方だったくせに、受かったあとは「資格持ってるだけのやつは嫌い」と言ってきた
Sは「私の実家でみんなで一緒に住みたい」や、告白してきた時は「人生で一番好きになった、この先越える人はいないだろう」とかも言っていました。
告白の時に私は、Sが自己愛や支配欲が強い人だなと感じて、「視える」という特別感を使って「人から必要とされること」で“自己価値を保っている”ように私には見えました。
相手が離れようとすると引き留めたり、コントロールしようとしたりがすごかったです。
孤独なことには同情したけど、自律したかったし、私が支える側になる関係は望んでいませんでした。
私が告白を断った時、最後に「父と繋がっていてもいいか」とSに確認されました。
父は女性の方と話をしていましたが、その女性が「その気になったら会社潰せる」と発言をしたこととお金絡みのことがあって、母が不審に思って言ったことで少し揉めて、Sが女性から父を庇う形で父と連絡をとり始めたところでした。
この時に私が強く断っていたところでどうなっていたかはわかりません、、、仕事の話だけで私の話を一切しないのならいいと伝えてしまいました。(当時の私はそこまで深刻なことになると思っていませんでした)
初めの電話から告白までの期間は多分半年くらいだったと思います。
父とも、Sとは絶対に私の話はどんなことであってもしないことを約束しました。
私はその後番号もアドレスも変えたので関わりはありませんが、父を通じて合格お守りを渡してきたり何かしらの接点がありました。
あとから思えば完全に関係を断つべきだったと思うけど、約束したので私の話をしないことを信じていたし、なにより父がそこまでのめり込むとは思っていませんでした。
父との関係悪化
ある日、あまりにも父が影響されているのを懸念して、付き合いをやめてほしいと父にお願いしました。
手紙を渡したりもして何度か父に伝えましたが、「お前の話は一切していない。仕事の話だけだ。お前からSの名前を聞きたくない。友達関係に口出すな。」と感情的に拒否し続け、関係はきれませんでした。
その頃Sの影響で、長年一緒に働いていた人が父と喧嘩をする形で会社を辞めていったりしていました。
その時はまだ影響が会社だけだったけど、私が結婚した後くらいからまた、父とSの電話の頻度が多くなっていました。
多い時は1日5回以上かかってきていたし、長時間の電話で、時間が経つにつれ明らかに影響は生活面にも及んでいました。
Sは日曜日の団欒の時間に電話をかけてくることも多く、私には意図的に感じられました。
当初は仕事上の相談のみだったかもしれませんが、結婚出産など一番伝えてほしくなかった私的な情報も、どこかで伝わっていると感じる場面が増えてきました。
父の影にSを感じるようにもなっていました。
なにか話しても、このことをSに伝えるんじゃないかとか、父が話す言葉もSに言われたことなんじゃないかと過敏に考えるようになり、裏切ったなという気持ちで腹が立ってしょうがありませんでした。
私に性的な話をしたり告白してきた男に父親が依存して仲良くしていること自体がずっと嫌だったし、付き合いをやめてほしいと娘がお願いしてるのにも関わらず付き合い続けて、約束を破って娘の話をしてしまう父親。
実際にどこまで話していたかはわかりませんが、Sが私のプライベートな話を全て事実かのように話して父が信じているかもしれないと考えたら、気持ち悪くて耐えられませんでした。
私には父がSと一緒になって私の境界線を超えてきているように感じられ、それがとても嫌で受け入れ難かったです。
この頃から父の様子が明確に変わっていきました。
家族崩壊へのプロセス
父とSの関係は10年以上続きましたが、父の変化が明らかに深刻になったのは、私の出産前後からでした。
2023年10月、息子の100日記念のお食い初めの時はまだ、様子がおかしいと思いながらもまだ元の父をギリギリ保っているように見えました。
2023年12月、仕事と親の介護を理由に、突然毎年行ってた家族旅行に行かないと言い出しました。
仕事ないし祖父母も元気だと言うと「年末年始とお盆は先祖のための日だから。前から思っていた」と。(そんなキャラじゃなかった)
この時母と一緒にメンタル病院に父の相談しに行ったり、認知症や脳の病気なども疑って調べたりもしましたが、仕事はできているようでした。
「お前ら俺のこと嫌いなんだろ」「感謝が足りない」「今、過去の罪滅ぼしをしている」と言い出したり、毎日していたリビングでの晩酌もしないようになっていて、その頃すぐに2階にあがっていました。
この時心配した妹が父のスマホをこっそり見た内容を共有してくれ、「母に注意。すぐに2階に上がって寝ること」といったSからのメッセージがあったと聞きました。
仕事の入札金額までSに聞いていた内容もあったようです。
私たち家族が言った言葉を悪いふうに大袈裟に変換して思い込んだり、記憶違いや、被害妄想が酷かったです。
親の介護は一番母がしていたのに、母に介護が足りないと言ったり、父はどんどんおかしくなっていきました。
一番ひどい時は、父が自分の感情や考えを整理するよりも先に、“Sに相談した結果の答え”をそのまま家族に伝えているようにみえる場面が増えていきました。
LINEが苦手で嫌いな父が、ものすごく長文を送ってくるようになり、酔っ払って、父が使わないLINE絵文字付きの文章と自分で少し添削した文章を両方送ってきていたことがありました。
一旦電話を切ってかけ直してくると、口調が変わって攻撃的に変わり、質問すると答えられなくなってきて、またSに確認している様子でした。
父が使わない言葉や言い回しが増えて、Sの言葉そのままの時もありました。
この頃から父と母は家庭内別居の状態になりました。
2024年3月、まともな会話にならないので、父を想って「会って2人で直接話そう」と電話で伝えると、「わかった!明日会おう!!」と言っていたのに、切った10分後には誰も巻き込みたくないから関わらんといてくれとメッセージがきました。
にも関わらず「誰も俺の話を聞きにこようとしない」と言われ、家族としてできることの限界を感じはじめました。
私からみると父がSと一緒に蒔いた種が咲いただけなのに、母に「お前は変わった。こうなったのは全部お前のせいだ!ずっと我慢していたんだ」と言い、父は母の方から変わったと本気で思っているようでした。
2024年5月、父は母が使っていた車を奪ったりして母が自分から会社を辞めるように促し、母は退職しました。
お金にルーズで興味がない父は、結婚前から40年以上ずっと母に管理を任せていたのに、急に信用できないから通帳全部出せと言い出して、誰もが認める倹約家な母に対してお金を何に使ってるかわからない、俺がひとりで稼いだ金や!と言いはじめました。(母も一緒に働いていました)
そして育休中だった私に対しても攻撃してくるようになり、父が私を退職したことにしようとして、勝手に娘は辞めたと言われて確認の電話がかかってきたことがあります。
育休をもらっていることをやめさせたいと父から電話がかかってきて、「お父さんに何の迷惑もかけていないし関係ないしその権利もない。国の制度が気に入らないのなら国に言えば?」と言ったら、「国に言おうかな」と言っていました。
「育休をとっていることの何が気に食わないのか?初めはいいと言っていたのに何でなのか?」と聞くと、「お母さんと仲が悪くなったからや!」、、と理由があまりにも極端でした。
直接言ってきたのは父なので、単にSに影響されていただけとも思えません。
父は水光熱費を1円単位まで計算して半分自分名義の口座に振り込むように母に言いだしたり、扶養に入っていた母と妹を外したりもしました。
この頃顔を合わせていないにも関わらず父は母の行動を監視していて、美容院に行っただけなのに飲みに行きましたねとLINEがきたりで、母はLINEの通知だけで動悸がするようになり適応障害の診断を受けました。
2024年7月、息子の1歳の誕生日のお祝いを断られ、おめでとうの一言すらもありませんでした。
2024年9月8日、私は話し合いから逃げて家を出た父を追いかけて、「Sと縁を切らないなら親子の縁を切る」と父に直接伝えました。
すると父は「2年前から付き合っていない」と嘘をつきました。その頃から頻繁に連絡増えたくせに。
裏もとれていたので、平然と嘘をつく父を見て、ここまでなるか...とショックでした。
この時の会話が以下です。
(夫にLINEで実況中継してたから残っていた)
「光熱費半分あいつから払う言うてきた」
「このやり方でお母さんが変わらんのなら離婚でいい」
「不利になるから自分からは言わん」
「離婚の話になったらお母さんにお金取られると思ったからお金の話して準備進めてた」
「別居するも離婚するも全部お母さんが言い出したことや」
「全部お母さんが言ってきたことに自分は答えただけ」
母とは家庭内別居の状態なので、父はLINEで母に攻撃していたのですが、私に「ほら何も間違ったこと言ってないやろ」と得意げにLINEを見せてきましたが、内容をつっこむとたじろいていました。
父に「そんな嫌がらせするほどお母さんのことが嫌いになったのなら、自分から離婚したいって言えばいいやん。こんなやり方でお母さんの方から言わせようとしてるなら性格悪い」と伝えたら、「自分から言ったら俺が悪者になるやんか」と答えた時は、幻滅しました。
父はこう言いながらも、私には仲が良かった時の関係に戻ることに期待が少しあるようにも見えました。“母が元に戻る”という前提で。
私が「このままSの言うこと聞いてたらお父さん孤立するで」と言ったら、「孤立するのはお母さんやと思う」と自信満々に答えたので、この時にもう何を言っても伝わらないと思いました。
そしてその場でちょうどSから電話がかかってきたので、私は詰めましたが業者だとまた嘘。
証拠見せると言われたけど、またかかってきた時に業者だと言い張って拒否。
父はSを偽名登録していて関係を否定しましたが、私たち家族には電話の様子ですぐわかる状態でした。
私がどれだけ問い詰めても、父は関係を認めず、曖昧にかわし続けました。
その後お酒飲みまくって寝て話を強制終了してまた逃げました。
私はこんな父親の姿を見たくなかったし、腹立たしくてもどかしくて、すごく疲れました。
後ろめたい気持ちがあるから嘘をついたんでしょうね。
2024年9月10日、私は産後からずっとしんどいままで夫が長期出張なので母に来て欲しいとお願いし、母は家庭内別居中でも置き手紙をして来たにも関わらず「勝手なことするな」と父から母にLINEが来ました。
ダメな理由はなんなのかと私が父に電話したけど「俺の言うことを聞け」だけで話にならず、私が帰さないと言って電話を切りました。
そしたら父は「お母さんを返してくれ」と出張中の夫に電話をかけました。
衝撃だったし、私が知っている父とは別人のようでした。
実家に住んでいた妹には、今まで干渉しなかった父が外泊に対して「男か?」と口を出すようにもなっていました。
私たちは父が強く影響を受けていると感じ、依存や心理操作に関する相談先を探したりしましたが、本人が気づかない限り私達が言うのは“逆効果”だと知って、変わっていく父を見ながらどうすることもできませんでした。
2024年12月、母は家庭内別居1年で精神的に限界がきて、家を出ました。
母との離婚そして現在
2025年2月、母が家を出た後に婚姻費用請求をして、3月にその調停予定となりました。
2025年3月、父の方から弁護士を立てて離婚調停の申立てをしました。
この時母は、ほとぼりが冷めるまで一時的に距離をおいただけだったので、とても驚いていました。
父が離婚したい理由は「価値観の不一致」「浪費家」「旅行」、周りの人は信じられないとびっくりしていました。
母はお金を貯めて60歳をすぎたら仕事のペースをゆっくりにして夫婦で旅行したいと昔からずっと言っていて、こうなる前に父と一緒に旅行会社にも行っていました。
周りから「本当に仲のいい家族」と言われていたのに、1〜2年で家族は崩れ、離婚にまで至りました。
2025年7月、長引かせたくなかった母が財産分与を少し折れる形で、調停3回で離婚が成立しました。
妹が実家を出る前に父に「ずっと仲良く過ごすと思っていたのにこうなって悲しい」旨の手紙を書いたけど、手紙の内容が理解できませんでしたとLINEがきていました。
Sの影響関係なく、今後の人生家族と離れて仕事と介護だけになることを父が望んでいたことなのでしょうか。。
父は周りに自分から離婚調停を申し立てたことは言わず、「母がおかしくなった。母から離婚をしたがって母が出ていった」と被害者ヅラをしているようです。
家族以外には今まで通りの温和な態度のままだし、父が攻撃して言い返した母の言葉だけを抜粋して「こんなことを言ってきた」と周りに言うので、父の身近な人は母が変になったと思っていると思います。
家庭内別居になった時も、先にご飯を食べないようなったり様子が変わったのは父なのに、「ご飯を作ってくれなくなった」と言っていたそうですが、父は本気でそう思いこんでいる可能性があります。
今は自分のペースで生きている父ですが、今もまだSとの関係が続いている点については不安が残っています。
今後、父の財産管理や判断能力の面で強い影響を受け続けるのではないかという心配はあります。
一時期は、自分の意思よりSの影響が強く出ているように見えた父は今年64歳で、きっとこれからボケてくるだろうし、仕事だっていつまで続けられるかわからない。
もしかするとSの都合のいいようにことが運ぶかもしれないですが、そうなったとしても私にはもうどうしようもできないです。
今後父がどんな老後を送るのかわかりませんが、どんな状況下でも最終的に選択をするのは父自身で、ここから先は介入することはできません。
もしここまでなったら、借金さえ残さなければもう好きに生きてくださいって思います。
全ては、家族よりSとの関係を優先したのが私の父親でしたってことで、仕方ないので。
父と親娘の会話をしたくても、全部Sに話すかもしれないと思うと気持ち悪くてできません。
それにまた育休の時のようにSが私に対して間接的に攻撃してくるかもしれない。
父には、地位や名誉など外部からの評価じゃなく自律してしっかりした人であって欲しかったけど、これは私の理想の父親像なので、ショックだけど現実を受け入れました。
お正月や祖父の葬儀で久しぶりに会った時、まだ気持ちがゾワゾワして嫌な気分になったのですが、父は何事もなかったかのように昔の感じで接してきて、私にはそれが腹立たしく、もう元の関係に戻るのは難しいと思います。
依存や支配の構造分析
Sは私には【試験の為・友達付き合いダメパターン】で接してきましたが、父には【仕事と介護の為・家族付き合い(旅行)ダメパターン】だったのかなと予想しています。
家族と旅行に行ったら仕事が...、旅行の間におじいちゃんおばあちゃんが...、みたいな感じで。
実際「一瞬の気の緩みで会社が傾く」発言を何度か父から聞いたので、Sに言われているのかなと思っていました。
父が家族よりも大事だと言っていた仕事は、昔は家族のためでもあったのだと思います。
けれど最近は父親(先日亡くなった祖父)のためと言っていたので、世間のからの評価や自己満足のために私は見えました。
本当の問題に向き合わないまま、家族と離れて仕事に打ち込む方が、父は楽で安心だったんでしょう、、父はその生き方を選び続けました。
あとは、父自身が持っていた家族に対しての不満を、Sは「家族が悪い」と言う解釈に強化していったように私は見えました。
本当は父のコミュニケーション能力の問題だったりで父自身の課題があったけど、父は周りに変わることを求めました。(辞めていった会社の人達も同じだったように思います)
話し合いを通して関係を改善する方向ではなく、不安や弱さからSとの関係を強め、孤立を深めながら「わかってくれるのはSだけ」という状態になっていたように見えました。
結果的に父は、少しずつ家族よりもSとの関係を優先するようになっていったのだと思います。
厄介だったのは、Sが単純に命令するタイプではなく、“自分で考えて辿り着いた”と思わせる関わり方をしていたことです。
そのため父にとってSは、「支配してくる相手」ではなく、自分を理解し、承認欲求や自尊心を満たしてくれる存在になったのでしょう。
だからこそ父自身には、むしろ救われている感覚だの方が強かったのだと思います。
父の自尊心が元々低かったのか、それともSとの関係の中でさらに削られていったのか、今も私にはわかりません。
ただ、もし後者だとしたら、Sは父の不安や弱さにつけ込みながら、依存関係を深めていったのかもしれません。
父にとってSに救われた感覚もあったのでしょうが、結果的には根本の問題解決には繋がらなかったように私には見えます。
だからこそ、この関係は父にとって納得感のある“物語”の中で関係が維持され続け、今後も本人が気づくことはないかもしれません。
一時期は私は「全てSのせいだ」と思っていました。
けれど今は、Sの影響だけでなく、父自身の脆さや、問題解決能力の限界、そして現実から目を逸らしたい気持ちも、この依存を深めたのだと思います。
父は、悪い意味で“いい人”でした。
争いを避け、相手に合わせる優しさがある一方で、自分で考え、問題に向き合うことには怠慢だったのだと思います。
昔から父は口下手で、「母のような“導いてくれる相手”といるのが楽だ」と自分でも話していました。
父はSと一緒に「家族が変わればうまくいく」と言う方向に進み、自分自身が向き合うべき問題からどんどん目を逸らしていったように私には見えました。
少なくとも、長年家族を持って生活した経験のない歳下で独身のSの言葉を、父がそこまで絶対視していたこと自体に、私は強い違和感がありました。
それだけ父は、Sの“能力”を信じていたのでしょう。
父はSの考えや価値観を少しずつ自分自身のものとして取り込んでいったように見えました。
私自身も、昔は他人軸で生きていた時期があるので、父の気持ちを全く理解はできないわけではありません。
でも、人を変えようとするのは間違いで、本当に変わるべきはまず自分自身だと改めて思いました。
振り返って
2026年5月現在、離婚からはまだ1年経っていませんが、メンタルやられて痩せ細ってしまった母も元気になってきたし、私も書いたことで大分心の整理ができました。
父が持っていた母に対する不満、私は理解できるのですが、やり方は間違っていたと思います。
理解できたとしても、私自身が父に嫌な思いをさせられたことは別問題であり、なかったことにはできません。
母とメンタルの病院に父の相談に行ったのは息子が生後5ヶ月の時でした。
当時の私は、育児だけでもかなり疲弊していて、産後うつになりかけていました。
本来であれば人のことまで考える余裕なんてないはずでしたが、この出来事が重なったことでさらに精神的にしんどい状態になっていました。
また、私が妊娠した頃に父の会社へ転職したこともあり、その時期から父とSの電話頻度や依存の強さが増していったように感じていました。
そのため、自分の私生活まで共有されているのではないかという不信感や警戒心を強めていきました。
実際のところはわかりませんが、そうした緊張状態が長く続いたことは、産後の精神的負担にも繋がっていたと思います。
今回のことで、他人軸で生きることや自己犠牲の優しさは、自分のためにも周りのためにもならない愚かなことだと学びました。
私自身が今までそういう生き方で人に騙されたり馬鹿にされたりもありましたが、自分の弱さや自信のなさから自らその役を引き受けにいっていたような気もします。
悪い人が悪いのは大前提だけど、悪い人がいない世の中なんてないし、巻き込まれないように自分をしっかり持たないといけない。
まずは自分を大事にできて初めて本当の意味での人への優しさができると思うし、家族との関係性には、その人の対人関係の課題が現れやすいとも感じました。
また、どれだけ相手を理解しようとしても境界線を越えた関係は不健全になることがあることと、家族でも他人でも境界線を守ることやコミュニケーションがすごく大事だと学びました。
約15年間ずっと、父がいつかSと離れて自律してくれることを願っていましたし、家族関係が崩れ始めたここ数年は、昔の穏やかな父に戻ってほしいと願っていました。
怒りの感情も強かったし、誰かが死んだ時のような喪失感もあり、どこかで“目が覚めた父に謝ってほしい”という気持ちも捨てきれませんでした。
でも、気づいてほしいと願い続けることは、もう諦めるしかないのだと思います。
最終的に他人の人生は本人のもの。
父は父の人生を選び、私は私の人生を生きる。
そう整理できたことで、ようやくこの15年に一区切りついた気がします。
まだ完全に割り切れたわけではないけど、少なくとも私は、自分の人生に戻ろうと思います。
これが現時点での私の整理と記録です。
移植前にここまで整理できたことは、自分にとって大きかったです!
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
当時弟が読んだ際に、父の状況と重ねて考えていたことがあったようです。
私自身は当時は余裕がなく読めなかったので、これから読んでみようと思います。



