こんばんは
mooです
今日はちょっと雰囲気変えてみて…
「親の介護について」
親の介護のことなんて、正直まだまだ先だと思っていた約13年前
私は母子家庭で育ちました
25歳で結婚し、家を出て、新婚生活を送っていたその矢先、
母の物忘れが始まりました。(今思えば母は私のために頑張る人でした。寂しかったのかもしれません)
最初は気のせいだろうくらいのレベルで、様子見していました。
その頃長男を出産し、里帰りもして、母もとても息子を可愛がってくれてました。
『ほんまに認知症かなー、歳のせいじゃないかなー』
くらいでした。
4年後に次男出産し、その頃も受診に付き合ってくれたり、里帰りもさせてもらい、
ちょっと物忘れはあるけど、認知症なのかな?レベルでした。
しかしだんだん鍵を探す頻度は増えており、他にも物忘れは増えてきました。(周りも心配なんだろうけどうるさくいうてくました。)
親戚からは、
「あんたは冷たいな。お母さんの面倒みたりよ。子供がいて大変なんかもしれんけど。」
今だと、うるさいな!ほっといて!という話なんですが、昔の私はまだまだ可愛かった。
そう言われたときは、虚しくて、悲しくて、悔しくて腹が立って涙が止まりませんでした。
私も夫と話し合い、すぐにお母さんに同居しようと話しました。
しかし、しばらくは母も同居は躊躇い、また、
「私は認知症じゃない!ここの家で過ごしたい!」そう言われると子供としては複雑でした。
母にはたくさん思い出の詰まった家、私にとってもいろんな思いをした家。
私よりも母の方が引越しをすることを受け入れるのが大変だったと思います。
ちょっと時間はかかりましたが、
一緒に住んで老後の資金をもっと貯めたらいいやーん♡
この言葉で、「せやね!」と笑顔になったのを覚えています。
そして、主人のご両親も看護師なので、うまーく説得してくれたのも大きかったです。
そこからしばらくして無事に母との同居が始まりました。
また病院に行って検査してはっきり診断がついて治療ができたら改善できるかもしれない。
もしかしたら別の病気があって、そのことが物忘れにつながっているのかもしれない。
私としてもなんとか病院に行って欲しかった。
半年くらい説得に時間がかかりましたが、ようやく病院にいくことができ、検査入院をして詳しい検査をしてもらう段取りができました。
家族だけの説得では限界がある!
それはめっちゃわかっていたんですが、これあるあるだと思うんですが、
家族以外を家に入れたくない!何がなんでも!!
何回も地域包括支援センターから来てくれた方を追い返してしまい、私も困り果てていました。
とりあえず入院の段取りをしてもらっていたので、
母には入院当日まで入院することは伝えず、当日医師から「ちょっと検査入院しよう」と説明してもらうようにしていました。
その作戦が良かったのか、すんなり2泊3日の入院を受けてくれました。
ここまでを振り返るだけでも、かなりあの頃も私はかなりの疲労やイライラはしていました。疲れてたよなー
仕事をしながら、4歳と0歳の子育てしながら、母の観察もしなければいけない。
かなり疲れもあり、一度息子のお弁当の日を見過ごしてしまし、先生がおにぎりを購入して対応してもらうことがありました。
そのことを知った他のお母さんが
「信じられない。子供のお弁当を忘れるなんて!っていうか、なんで子供もいてるのに働いてるの?そんなことをするから忘れるのよ」
そう話していることを聞き、めちゃくちゃ腹が立ったのを今でも覚えています!
(今だったらうるさい!ほっとけよ!あなたには迷惑かけていませーん!って話)
でも、子供には申し訳ないと今でも懺悔。
息子は「いいよー!おにぎり美味しかったよー」というてくれて。今でも泣けます。
母の検査結果は、「アルツハイマー型認知症」でした。
やっぱりなの気持ちが多かったんですが、少しの期待もあり、やはりショックでした。
アリセプトの内服開始。全然受け入れてくれなかったんですが、なんとか誤魔化し誤魔化し内服してもらっていました。
やっぱり家族以外を家に入れたくない!
これだと、家族以外の説得もできず、また良かれと思って洗濯物を片付けたり、子供の幼稚園の物品がどこに片付けたか
わからなくなってしまい、家族みんなが困り果てていました。
そんな時に三男出産!
母もみんな立ち会いができ、とっても可愛がってくれました。
しかし、母は、お風呂に入るや着替えをするいわゆる『生活行為』をとても嫌がるようになってきました。
私の肌感覚としてものすごく認知症が進んでいるといった感じで、このまま家族だけで介護するのは難しいと感じていました。
今日はここまで。
次回まで待っててねー
