スコアが視界に入る時(後編) | バーチャルコンソールクエスト

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えー、スコアが視界に入る時というタイトルにしておきながら
前編はスコアはなかなか視界に入りません!
と言わんばかりの内容になってしまって
一体何が言いたいんだ俺は???
なことになってしまいましたが
あれはあれで書いときたい事だったのでよし。
ということにしておいて下さいw

前編ではなかなか視界に入らなかったスコアアタックですが
後編はなんとかスコアを視界に捉えられるようがんばりますので
もうしばらくお付き合い下さい。

では、スコアを意識する時ってどんなときだろう?
というあたりから考えていきましょうか。


まず、僕のようなゲーセン育ちの昭和ゲーマーはスコアという存在に
憧れやロマンを感じるのではないかと思いますwww
いやいやいや、そんなことはないとか言わせまぜんぞw
今のようにインターネットで情報が溢れすぎてる時代とは違い
昔はゲーム専門誌が非常に限られてたんで
ゲーム好きの方々はその情報を手に入れるべく雑誌を食い入るように見てたはずです。
そんな中、これはマイコンBASICマガジンとゲーメストは
アーケードゲームのハイスコアを全国集計していまして
そこで全国一位を獲得したゲーマーは、ちょっとしたヒーローのようでした。
全国集計なんで当然自分が住む地域のゲーセンも名前があったりしまして
集計してる店には近隣から腕自慢が集まってきてさながら虎の穴状態w
僕のようなヘタレゲーマーはコイン入れるなんてとんでもないと思わせるお店ばかりでしたが
遠巻きに上手い人のプレイをギャラリーとして眺めてはため息を漏らしてました。
まあ近隣に集計店がなくとも、雑誌で自分のプレイでは考えられないスコアが
たたき出せるのを目にすると、ため息と共に憧れの眼差しを向けてたのでは。
そして、自分もそのスコアに挑んでみよう。
なんとこと思ったりしませんでしたか?
一度や二度はあったんじゃないかな、と僕は推測します。
で、この時代の雰囲気を知ってる人は、スコアに対して憧れに似た感情を抱くんじゃないかな。
そしてスコアのあるゲームに出会うとスコアアタックに興味を示すのでは?
と思うんだけどどうでしょうね。
全一とは言わなくても、通ってるゲーセンで一番でありたい。
とスコアアタックに勤しんだりした事はあるんじゃないかなあ。

ところで、前回のコメント欄で
昔はリセットしたら終わりでスコアなんて覚えてなかった。
という意見頂きましてそりゃその通りだw
と膝を打った次第であります。
これはゲーセンも一緒ですね。
前編にスコアよりクリアしたステージ数競ってたよね。
と書きましたがこれはこの辺の、いちいちスコア覚えてらんない。
というのもあったろうなあ、間違いなく。
そういえばゲーセンでスコアが残るようになったのっていつぐらいからだろう?
始めて導入した作品って何かなあ?
うわー、めっちゃ気になってきた。
けど今は調べてる時間ないので後回し。
知ってる人いたら教えて下さいな。
でもデータが残らないって、アーケードの場合はプラスに働いてたような気がしますね。
メストに載るようなハイスコア集計店はホワイトボードにTOPスコアが記録されましたが
普通のゲーセンは閉店時間でリセット、その日その日が勝負だったので。
その日の一番目指して頑張ったなあ。
スコアが残るゲームにはランキングと共にネームエントリーが出来ましたが
ここに刻まれるネームに同じものがあることに気がついたりして。
それを見かけるとこいつ抜いてやろうと一生懸命頑張ったりしたものです。
そのうちその人にばったり出会ったりして
あー、あんな人か、と出会いに驚いたりもしたな。
僕はひどい人見知りなんで直接言葉を交わすなんて事はほとんどなかったけど。
そうですね、スコアアタックに燃えられたのは
こういった名前も顔も知らないけど、たしかにそこにいたライバルたちのお陰。
かもしれません。
全一とかは遠すぎるけど、実力の近いライバルがいればそこを目標に頑張れますから。
うん、ひとりで黙々と、自分との戦いを繰り広げてきたようで
意外に多くの強敵(とも)に支えられてきたのかもしれませんね、あの頃は。


毎度のことながら話してるといろいろふらふら興味がそれますが気にせずにw
今度は家庭用ゲームでスコアを競いたくなる時、について考えてみましょうか。
家庭用ゲームは家庭用ならではの進化を遂げていきました。
スコアを競うよりも友達と対戦出来るゲームの方が人気ありましたし
スコア競うよりもストーリーや謎解きを楽しむゲームの方が人気を集めるようになりましたし
スコアよりもゲームの難易度と、そこを乗り越える達成感を求めるようになりました。
スコアアタックは、アーケードでスコアに挑む楽しさを知るものが
自己満足としてやるものだった面が大きいでしょう。
例外はハドソンのシューティングで、あいつだけは全国規模の大会が…
と、ここまで書いてちょっと思い出した。
そういえば昔って、デパートのおもちゃ売り場なんかで
よくゲーム大会開かれたりしなかったですっけ。
僕参加した覚えがありますよ。
たしか競技に使われたのはファミコンのポパイだったなあ。
ポパイってすごいなあwww
結果は3位ぐらいで、SF3Dのプラモデルもらった記憶があります。
そうそう、あったあった。
ああいう大会も、スコアアタックの布教に一役買ってたでしょうね。
いやあ、意外に土壌あるなあ、家庭用でも。
スコアを競うイベントでもう一つ忘れてならないのが
任天堂がデータを保存できるというディスクシステムの特徴を使って行った全国規模の大会。
店頭にディスクファックスでスコアやタイムを任天堂に送り
ランキングを集計するシステムでしたね。
対応ソフトはゴルフJAPANコース、ゴルフUSコース、ファミコングランプリ F1レース、
ファミコングランプリII 3Dホットラリーと4作品。
と中山美穂のトキメキハイスクールw
普通のディスクは黄色だったけど上記5タイトルは青かったのが印象深い。
ときめきハイスクールだけはスコアとは関係ないクリア後懸賞申し込み
みたいな使い方でしたがあとはすべてランキングを競うものでした。
ゴルフのスコアやレースのタイムアタックは
シューティングやアクションのスコアアタックとは
楽しいと思うポイントが違うかもしれませんが、
順位を競う、という点ではスコアアタックと同じベクトルじゃないかな。
そういえばこのF1レースは画期的だったよなあ。
それまでレースゲームの多くはゲーセンのレースゲームのモデルを踏襲した
制限時間内にチェックポイントを通過するというルールでしたが
このF1レースはタイムアタックメインに変えましたもんね。
よりリアルな方向に変えた作品だったんじゃないかなあ。
とこれ書いてて思った。
こいつと、こいつの数ヶ月後に登場したナムコのファミリーサーキットは
スコア関係無しに純粋にタイム競うレースゲームでみんなで
夢中になってタイムを競ったものです。
この事実けっこう重要かも。
ついでなんでタイムアタックについてちょっとやっちゃうか。
こうしてみると、タイムアタックに関してはアーケードより
家庭用がその楽しみを牽引してきた気がします。
ポールポジション登場以降、たしかにタイム競うゲームもありましたが
それ以上に大型筐体を用いたアトラクションの要素が強く
ファイナルラップ以降は人と競う楽しさを求めて遊ぶ方が多かったですね。
タイムアタックに目覚めたのは前述のディスクシステム2作品とファミリーサーキット、
そしてスーファミのF-ZEROとスーパーマリオカートの存在が大きい。
特にスーパーマリオカートで導入されたゴーストの存在が
タイムアタックの熱さを世に知らしめたといっても過言じゃないと思います。
ひとつ前の自分と競い合う熱さ。
それはゲーセンで友達と競い合うのとはちょっと違う楽しさがありましたね。
自分のラインを研究し、さらに速いラインを探る作業は
プロのレーサーとそう違いはないと思います。
あの楽しさはまた格別なんだよなあ。
あれもまたスコアアタックのひとつの形かもしれませんね。
指先に全神経を集中し、数字に一喜一憂してる姿は同じじゃないかな。
僕はレースゲーム、特に3Dものは酔うんで苦手なんだけど
それでもグランツーリスモとか酔いながらもがんばったなあ。
スコアラーの血が騒ぐのかもしれませんw

えー、再びスコアアタックに話を戻して。
なぜ家庭用ゲームでは自己満足レベルだったのか。
先にも書きましたが昔は、ゲームはパスワードコンティニューとか面倒くさい手順踏まないと
記録を残せない時代でありました。
こんな時代にいちいちスコアをメモるのはマニアの領域といっていいでしょう。
面倒くさいもんね、普通は。
しかしディスクシステムやボタン電池によるバッテリーバックアップの登場で
手軽に記録が残せるようになるとちょっと事情が変わってくる。
遊べば記録が残るので、その記録に挑むものが出てくる。
アーケードゲーマー以外でもスコアが視界に入る方が増えてきたのではないか?
僕はそう考えます。
これはマリオカートのゴースト一緒で
自分の最高到達点を目標に頑張る楽しさが与えてもらえますからね。
記録が残る、というのはとても重要だと思います。
任天堂はこの辺非常に上手く取り込んでゲームにしてますよね。
DSのタッチジェネレーションやWii Fitなんかで。
脳トレなんか僕も最初はDSで勉強して何になるよ、
とバカにしてたんだけど遊んでみるとびっくり。
これは紛れも無くすスコアアタックじゃないかと。
こんなにゲームらしいゲームはないなと感動すら覚えました。
やわらかあたま塾とか全部プラチナ取りたくて
苦手な数字とか研究したもんなあ。
受験勉強がスコアアタックと素直に受け取れたら
学校ももっと楽しかったろうなあwww

こう考えてみると、スコアアタックの魅力自体は
すべての人に通じるものがあると思えてきたんだけど
それでも実際に魅力を上手に伝えられないのは
題材とその頂点がちょっと現実離れしてる点がひとつ。
もうひとつはスコア競うより楽しいことがたくさんあるw
この二点かなあ。
脳トレなんかは題材が身近で、ハイスコアも何億点とか超人レベルじゃなく
想像できる高さなのでがんばる気になるし
そのスコアを競うことがゲームの根幹担ってるんでみんなスコア競いますし
ゲームに無縁の人までもがあのゲーム然とした遊びに夢中になった。
スコアを視界に入れる事に成功したんだろうなあ。
ていうかほんとにスコアしかないですよね、脳トレ系ゲームは。
シューティングやアクションは、スコア競わせるには意外に複雑すぎるのかもしれんなあ。
稼ぐためのシステム、を理解する必要がありますからね。
ここが障壁になってるのかもしれません。


そろそろまとめましょうかね。
スコアアタックが視界に入る時、とつけたのは
スコアアタックが楽しくなる瞬間はどこだろう?
と思ったからなんですが、うーん?そうだなあ?
ゲームが上達していくと実感できる時にスコアも見えてくるんじゃないでしょうか。
スコア狙うにはには腕がいる。
腕が上がるとスコアが上がる。
スコアが上がるとうれしいのでまた頑張る。
ただこれだけなんですが、ここがすべてのような気がします。
スコアあるなしにかかわらずゲームが面白くなる瞬間ってこんな感じですが
スコアのあるゲームはこの部分がストレートに表現されてるので分かりやすいからね。

それからスコアアタックが楽しくなる瞬間、いや瞬間ではなく要素がひとつ。
スコアアタックに燃える理由、といいましょうか。
これは前に書いた事の繰り返しになりますがスコアに対する尊敬と憧れ。
昔はゲームがクリア出来る人は限られてたんですよ。
ゲームが上手い人しかクリア出来なかった。
ゲームはクリア出来なくて当たり前だったんです。
だからこそ、スコアに価値があるんですよね。
そして挑み甲斐もあった。
ハイスコアを取ると気持ちいいしw
ゲーセンでのスコアアタックは、己と、そして名も知らないライバルとの戦い。
という面の他に、自分を人にアピール出来る場でもあったとも思います。
ギャラリー背負って画面に向かうのってけっこう気持ちよかったりするんですよ。
緊張もするけどw
最近動画サイトで自身のプレイ動画公開する人いますが
あれも似たようなところありますよね。
ゲームって面白いもので、決まった動きをする相手に
決まったパターンで対応してスコアを狙ってるはずなのに
不思議とプレイヤーごとに個性があったりしまして
そこでギャラリーに魅せるプレイができたりすると気持ちいいんだよなあ。
尊敬と憧れに繋がる要素でもありますね。
人を魅了するプレイがしたい。
という気持ちもスコアアタックをする動機のひとつにあるんじゃないかと
僕は思います。

前者は世代問わず、ゲームを遊ぶひとならだれしも感じる、
個人差はあれど感じる要素じゃないかな。
後者に関しては世代格差や環境格差がかなりあると思いますが
それでもスコアアタックを意識する動機付けとして大きな要素じゃないかと思います。


今回はこんなところで。
なんか全然まとまらなかったけど
ゲーマーはいつからスコアを競わなくなったのか?
から始まったこのテーマ、ひとまず終了としたいと思います。
考える作業はまだまだ続きます。
スコアひとつとっても考えてるうちに色んな方向に暴走するんで大変ですw
でも考えるの止めようとは思わないんだよなあ。
楽しいから。
飛び火した部分についてもちょっと続けたいんで次はそこかなあ。
そこってのはなんでしょうねW
ではではまた次回(・ω・)/