スコアが視界に入る時(前編) | バーチャルコンソールクエスト

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ゆるゆるゲームブログ

始まりはDSiウェア200で配信された瞬間ツブツブ潰しの魅力に魅かれ
おもわず家族にもやらせて感想を聞いた時の自分と家族との温度差から思わず

ゲーマーはいつからスコアを競わなくなったのか?

なんてことつぶやきましたら思わぬ反響を頂きまして
じゃあとことんやってやろうじゃないかと遥か30数年前、
僕がゲームを始めた頃の記憶まで遡っていろいろ考えてみた結果…

うん、ほんといろんな意見頂きまして
ここにまともに取り組んでるうちに

ゲームの面白さってなんだろう?

と壮大過ぎるテーマにまで行き着いて正直逃げ出そうかと思ったんだけど
逃げちゃだめだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
ということで、自分で立てた問いに、一応答えてみようと思います。
ゲーマーはいつからスコアを競わなくなったのか?
それは…


最初から。



www
いやいや、ふざけてないですよw
いろいろ考えてたらこうなっちゃったんで仕方ない。
ビデオゲームに限らず、ピンボールやエレメカにダーツやボウリング等々
スコアを競う事の出来る遊びすべてに言えるんじゃないかな。
そう思いました。
いきなりスコア意識する人は少数派ではないか。
そういうところに行き着きました。
当初はなんかのゲームがきっかけで、スコアを狙う重要度が低くなったせいでは?
と考えたんだけどどうも違った。
これはなんかのきっかけ、ではなく、
スコアを競う遊びには楽しさに大きく分けて2種類あるようです。
まずは視覚なり音なり感触なり非常に分かりやすい部分。
ボウリングだったらピンを倒す気持ちよさやストライクの快感。
ピンボールでもまずは鉛の玉をフリッパーで弾く楽しさや
ボール落下というリスクから来るスリルと快感。
そしてビデオゲームは作品それぞれの作品が持つゲーム性。
まずそこからの始まり、スコアはその次のステップ。
そんな風に思えてきました。
こう、あんまし広げすぎると収集がつかないんで
再びビデオゲーム限定に目を向けて話を進めましょうか。


ビデオゲーム、特に黎明期のアーケードゲームなんかは
基本スコアを競う作りになっています。
スコアランキングも出ますしね。
にも拘らず、僕らはそんなにスコア競ってなかった。
でも友達同士で腕を競い合い切磋琢磨はしてました。
じゃあ、何を競ってたのか。
それはクリアしたステージ数。
お前何面までいける?3面?俺5面までいったぜ!
そうそうそう、こうだったよ、スコアじゃなくてステージ数競ってた。
スコアを考慮して編隊を倒すよりも、まず全滅、まずクリアでした。
アーケードでここを競ってた理由は明確です。
アーケードは、お金を投入して遊ぶゲーム。
当時50円もあれば駄菓子屋で小腹を満たす位は買い物出来るのに
敢えて筐体に50円を投入するのです。
ここで瞬殺されたらそれはもうガッカリ。
なもんで、少しでも長く遊ぼうと頑張る。
今思うとスーパーリアル麻雀は鬼だな。
体感20%位の確率で天和や地和出してたもんな。
瞬殺どころか遊ばしてすらもらえないなんて鬼以外のなにものでもないわwww
話がちょっと逸れましたが、まあとにかく
1コインで、如何に長く遊べるかが重要な時代でありました。
長く遊べる事がヒーローの条件でした。
その最高到達点はカウンターストップ。
スコアを表示限界まで上げる事。
しかしそれは、スコアへの挑戦ではなく長く遊ぶ事への挑戦だったような気がします。


さて、家庭用ゲームにも目を向けてみましょうか。
家庭用は買ってしまえば思う存分遊び放題なんでおのずとスコアに目がいく…
かと思いきや、こちらもそうならなかった。
いや、やっぱなったか、いやでもあれは手持ちのソフトが少なかったから仕方なく…
あの、不思議なもので、家でお金も時間も不良も気にせずに好きなだけ遊べる。
ということで思う存分スコアアタックに挑める環境は整ったものの
いざ家で遊んでみると、意外に燃えない事が多いんですよね。
まあまず当時のゲーム環境として、家庭用移植は思いっきり劣化移植が多かった。
移植されたゲームそのものに対する満足度が低かったことがひとつ。
そして思う存分遊べるという安心からか、ゲーセンほどの緊張感が無い。
という部分もありますなあ。
面白いと思えるのは最初だけで、意外とモチベーションが続かないんですよ。
1コインを賭けた戦いとはモチベーションに天と地ほどの差があったよなあ。
また、家庭用には裏技ブームの中無敵モードや装備最強等
チートコードが仕組まれてるケースがかなりあり
スコアを競うと言う面白さを削いでしまっていた、という部分もありますね。
まずここら辺の影響で、家庭用でスコアを競うのはマニアックな行為、
もしくはなかなかソフト買ってもらえないから飽きたけどしかたなく遊んだ結果、
だったかもしれません。

そして忘れてはならないスーパーマリオ。
スーマリにもスコアの概念ありますけどスーマリの人気はスコアではなく裏技でしたよね。
ワープに1UPキノコの場所から果てはバグ技まで。
スーマリでは1-1から8-4までワープせずにクリアするのは完全に趣味の世界だった。
といっても過言ではない。

家庭用ゲームに関してはスーマリのヒットによるゲーム性の変化が
もともと人を選ぶ要素だったスコアアタックの存在意義を薄くした、
と言ってもいいかもしれません。
さらにスーマリと同時期に起こったアドベンチャーブーム、
そしてドラクエを皮切りに一大ブームを巻き起こしたRPGは
アクションが苦手でスコアどころではない層でもクリアの楽しさが味わえるという、
エンターテイメント性の高い面白さを追求したものでしたね。
見ようによってはスコアアタックに代表されるアクションスキル至上主義を
真っ向否定したジャンルだったともとれなくはなく
そのジャンルがファミコンブーム、そしてその後のテレビゲーム発展の
中核を担っていったということはその方向が間違っていなかったということでしょう。
(個人的にはアクションを否定した、というよりもゲームで映画のようなことできないか?
 という趣旨で発展してきたジャンルだと思うけども、当時のお客さんの意見として
 アクションが苦手な人の受け皿として非常に支持されてたという事実が少なからず
 あったので敢えて、こう書いてみました)
RPGについては、アクション性一切無しで、誰でも努力すれば楽しめる作品だったものが
再びアクションスキルが必要とされるように変わっていく過程がとても興味深いんだけど
この話はまた別の機会に。

でもまあそうはいっても、ゲームのアクション性はビデオゲーム最大の武器ですよ。
アドベンチャーやRPGの楽しさや感動は、映画やマンガ・アニメ、
そして当時よく見かけたゲームブックスタイルのTRPGリプレイ本等々
他のものでも味わう事ができたけど、ゲームのアクション性はゲームでしか味わえません。
テレビゲーム、ビデオゲームのアクション性は永遠に不滅です。
不滅ですが、スコアアタックの火はどんどん小さくなっていった。
スーマリブームのあと、ファミスタの登場で一大野球ゲームブームが到来します。
ここではスコアでもなく、長く遊べるかでもなく、謎を解ける推理・洞察力でもなく、
裏技発見でもなく友達と勝敗を争うようになります。
これはファミコンに二つのコントローラがあったことが大きいですよね。
ゲームって一人で遊ぶもの、自分との戦い、
独りでピコピコというイメージ持たれる方今でも多いと思いますけど
家庭用ゲームに限って言えばそんなことはない。
昔は、たった一台のファミコンを中心に、友人、その兄弟、そして兄弟の友達と
けっこう大人数で遊んでた、なんて人も多いんじゃないかな。
みんなでワイワイと、時にはケンカしながら楽しんでたと思います。
対人戦は対CPUとは比べ物にならないリアルが伴いますよね。
格闘ゲームブームも対人戦が実現したからこそのブームですし。
これに勝る楽しさはないのかもしれません。
こういう環境では、黙々とスコアアタックはしづらいでしょうね。
オンラインで世界中の人とスコアを競えるようになった現在はちょっと事情が違いますが
昔の家庭用ゲーム機はスコアアタックには適さないハードだったのかもしれません。

唯一の例外としてハドソンがスターフォースで仕掛けたシューティングキャラバンに始まる
シューティングブームがあり全国の少年少女がスコアを競ってた…
と書こうかと思いましたが、こう改めて振り返ってみると、たしかにスコア競ってたけど
それ以上に、何連射できるか?とか隠しキャラ出せるか?隠しボーナスゲット出来るか?
という部分に熱中してて、スコアは意外と見てなかったような気もしますw
こんな感じで家庭用ゲームのスコアアタックは限られたディープな人の
やり込み要素の側面が強かったように思います。


さて、再びアーケードに目を向けましょうか。
アーケードゲームにはインカムを上げる、
要は我々ゲーマーから小銭をまき上げるという至上命題がありましてw
アーケードゲームのゲーム性の変化もこの影響を無視する事はできません。
特に85年に施行された風営法の改正で、それまで24時間営業だったゲーセンが
深夜0時には閉店しなくちゃいけなくなりましたからね。
82年にゼビウスが登場し、そこからアーケードゲームは多様に進化し始めますが
本当に多様化を始めたのは84~86年あたりで、
ゼビウス研究の成果がこの辺りから現れ出したと見る事も出来ますが
風営法改正でオペレーターの営業形態が変わりそこに応えるために変化していった。
という側面の方が強いんじゃないかと僕は思います。
こ、このままだとあらぬ方向に話がいきそうなので軌道修正。
えー、何が言いたいかというと、腕さえあれば延々と遊ぶ事の出来るゲームが多かったのが
いつしか、2人同時プレイ出来るようになり、途中コンティニューできるようになり…
そして2周エンドだったりストーリーエンドだったり作品によって違いがありますが
とにかく無限ループではなくエンディングのあるゲームが増えてきた。
営業時間が大幅に短くなったんで、あんまし粘られると困る。
そこで知恵を絞り、短い時間で沢山コイン稼ぐために進化した、いや、変化でしょうか。
とにかくアーケードゲームの質が、この辺りで変化していきます。

エンディングという天井がついた事で、カンストを狙う事は難しくなりました。
しかしエンドがあるということは、純粋にスコアを競う土壌が出来たと見る事もできます。
スコアの重要性は増した、といいたいところですが
終わりが決まった事で人々が取った行動は
友人と協力して、連コインしまくって、まずはクリアしようとした。
で、クリアしたら次のゲームへ。
この頃から商品サイクルもどんどん短くなりましたよね。
そしてお客さんを満足させるに、ゲームを多く売るため次々作品を送り出します。
アーケードは弱肉強食の世界。
人気がなければお店から消えます。
また、稼ぎが悪くてもお店から消えます。
スコアを狙う楽しみに目覚めたお気に入りのゲームがある日こつ然と姿を消す。
こんな悲しい状況に、僕もよく出くわしましたなあ。
或るはずの場所にそれがいない淋しさ。
今の人は分かんないだろうなあ。
あ、いや、パチンカー&スロッターなら分かるかwww
まあとにかく、やり込みたくてもやり込ませてくれない環境の問題なんてのもありました。

さらにこの時代、特にスコアアタックが最終目的のシューティングは
ゲーム性を深めるため、高難度化の方向にひた走ってました。
正直スコア狙うには相当な腕が必要とされました。
パターン作ってクリアを目指すことには興味あったけど
スコアはしんどいからいいや、そんな人が多かったような気がします。

そして決定的なのがストリートファイターⅡから始まった格闘ゲームブーム。
ここから、人はスコアでもクリアでもなく、人と競うようになった。
ここの熱さはファミスタと同じですね。
人と競った方が数十倍楽しい。
格闘ゲームにもスコアの概念は残ってましたけど一人用は乱入待ちの練習兼ヒマ潰しw
的な位置づけになっていきましたよね。
連勝数やコンボ数は競っても、一人用のスコアは完全にオマケ程度だったんではないかと。
人によってはスコアなんて入らないとさえ思ってたんじゃないかと思います。


とまあ、気がつくとスコアアタックの特異性に語ってしまった気がするなあ。
いやいや、僕はスコアアタック好きなんでもっとポジティブに捉えたいと思ったんですけど
考えれば考えるほど、スコアアタックはストイックで孤独な作業。
そこに楽しみを見出すのは簡単では無いとの考えに至ります。
僕は今でこそ初見のゲームでも、そのゲームデザインや駆け引き、
スコアシステムなんかを考えつつロジカルに、
解析することを楽しむように遊んでますけど
こういう遊び方するにはそれなりの経験値が必要です。
ゲームに限らず、エンターテイメントは掴みで或る程度魅了しないと
大成功は収められませんから、スコアアタックのための要素とはいえ
それ以上に感覚に訴える要素が必要です。
シューティングにおけるコンボシステムなんかも
本質はスコアを稼ぐ為の要素のひとつに過ぎないんだけれども
実際プレイしたときはまず、スコア云々の前に繋げる楽しさが先にきますよね。
多くの人はここで十分なのかもしれません。


やっぱりスコアアタックは最初からそんなに競われてはなかったんじゃないかなあ。
いや、競われてはいたものの、その競技人口は意外に少ないものだったのかもしれない。
色々考えた末の結果です。
あくまでも僕の私見ですよw
しかし、と同時に、
じゃあなぜ僕はスコアアタックに燃えるのか?
スコアが視界に入る瞬間ってのはどのあたりか?
スコアアタックとはなにか?
そこに興味が向きまして…


えー、長くなりましたので続きは後半戦でw
今日も長々お付き合い頂きありがとうございました。
次回で自分のスコアアタック属性がどう培われたか、
スコアアタックの面白さってなんなのか
自分のゲーム遍歴振り返りながら考えてみようと思います。
ではでは(・ω・)/