まだ、噂の段階ですが・・・・・・
1986年10月9日の「INOKI 闘魂 LIVE」(於:両国国技館)で、ユニバーサルプロレス(旧UWF)から一時出戻り中の前田日明選手と異種格闘技戦で対戦した
ドン・中矢・ニールセン選手が、お亡くなりになったとの噂が飛び交っています
前田戦の当時、WKA全米クルーザー級王者と言う肩書きだったと記憶。
当日のセミファイナルでしたが、
手に汗握る名勝負で、会場で観戦した小生も満足の内容でした
因みにメインは、
落日のアントニオ猪木vsレオン・スピンクスだったのですが、異種格闘技戦でのフォール勝ちに落胆したものです。
レフェリーのガッツ石松が、非常にトホホでした
話を戻します。
山田恵一(現 獣神サンダーライガー)や藤原喜明との異種格闘技戦の後、
本職のキックボクシングのリングに上がったのですが、簡単にメッキが剥がれてしまいました。
1989年、全日本キックボクシング連盟のリングで、ケビン・ローズイヤーとロブ・カーマンに連続KO負け
1990年、正道会館(当時)の佐竹雅昭のキックボクシングデビュー戦の相手を務め、素人同然の空手家の反則の頭突きを食らって、見事なKO負け
この一戦で佐竹選手が負けていたら、その後のK-1ブームは無かったと確信しています。
真剣勝負の競技に限界を感じたのか、また異種格闘技戦に戻って、
1992年、藤原組の東京ドーム興行「STACK OF ARMS」で、ウェイン・シャムロックにアームロックで一本負け
そう言えば、このキックボクシング二試合と藤原組の試合も、全て会場で観戦している小生。
何かと縁があるニールセン選手でした。
その後、正道会館の興行でも負け続け、
いつの間にか、タイで治療院を経営していると聞いていました。
もし、この噂が本当であれば、享年57歳。
あっ、小生より年下やんっ
いつ合掌される側に回るか分からない国際紅流拳法道連盟なのであります。