昨日は、中島みゆきリスペクトライブ「歌縁」に行ってきた。オーチャードホールはもしかしたら初めて入ったかも知れない。(その下のシアターコクーンは数え切れないくらいの回数行った。)これは、中島みゆきさんを文字通りリスペクトする歌手が、みゆきさんの歌を歌うというライブで、ご本人は全く登場しない。以前にも行われていて、この時はチケットが取れずに行かれなかった。今回はリベンジということで行ったのである。
どんなものかと思っていたが、予想以上に楽しめた。出演した歌手(大竹しのぶさんを歌手と呼ぶべきかどうかは置いておいて)の方も実力派揃いで、聴き応えのあるステージだった。こういうコンサートでない限り、生では聞かない歌手の人が殆どだったので、トークも含めて新鮮だった。



みゆきさんの曲は、他の人が歌ってもやはり力がある。ご本人とは違う歌声、歌い方で聞くと、また違った感じに聞こえる。それでいて、原曲の持っている魅力は失われない。今回歌われた歌は、提供曲も含めて全て、ご本人の音源がある。それとの比較を意識して聞くのもなかなか面白かった。
興味深いのは、一部を原曲とは違った音程(キーではない)で歌っていた人が複数いたということである。こういうことは、ご本人の許諾は得なくていいのだろうか。芝居で考えても、誰かの脚本を上演するときに、稽古場で台詞が変わったりすることはある。それが語尾などであれば許容範囲だが、ワード自体を変えてしまったら、そのことで作品のニュアンスが大きく変わることもある。音楽でも同じことが言える。歌の場合、歌詞を変えなくても、音程をちょっと変えるだけで印象がだいぶ違ってくる。みゆきさんご本人はそこまでは干渉しないということなのだろう。



自分の歌が他人によって歌われ、愛されるというのは、どんな気持ちがするのだろうか。「中島みゆき」というアーティスト自身の魅力とは別に、「中島みゆきの曲」自体の魅力というものがある。それが多くの人を惹き付けるし、実力派の歌手にもリスペクトされ、歌われる。それがどんなに凄いことなのかは、創作者の端くれとしてはよく分かる。
このブログでも書いたことがあるが、3年前に、僕の脚本が演劇ユニットmilkyさんで上演された。この時、僕は脚本の提供のみで、演出も何も全てお任せにしていた。僕が全く関わらず、僕以外の人の演出で、僕が選んだのではない役者さんが演じる舞台は、非常に新鮮で、興味深いものであった。舞台の評判が良かったと聞いたとき、僕は心底ホッとしたものだが、考えてみれば、それは僕自身の脚本にある程度力があったということにもなるだろう。(それを引き出してくれたのは、milkyさんの公演に関わった全ての役者さん、スタッフさんである。)milkyさんの他にも、僕の脚本は色々な学校の演劇部が上演している。そこでも僕の脚本の力が発揮されてのかどうか、是非とも知りたいところだ。



milkyさんで上演した「True Love〜愛玩人形のうた〜」を、Favorite Banana Indiansでは2回上演している。(そのうち、直近の1回は僕自身の演出である。)しかし、それが「正解」ではない。どんな戯曲でも、演出や出演者によって様々な形に変化するのだが(一番分かりやすいのはシェイクスピアであろう)、どの形が正しくて、どの形が間違いということは本来はないと思う。勿論、戯曲の持つ力をよりよく引き出しているものと、逆によさを殺してしまっているものがあるのは事実だ。しかし、それはそれとして、様々な形、表現を可能にするものが、ある意味で優れた戯曲とも言えよう。それだけの可能性を秘めているということだからだ。
中島みゆきさんの曲も同じである。みゆきさんはかつて「おかえりなさい」というアルバムを作った。それは、他の歌手に提供した曲を、ご自分で歌った曲を集めたものだ。これについてみゆきさんは、「おかえりなさい」は、自分はこういうつもりで作ったというのを入れたという趣旨のことを話していた。しかし、例えば研ナオコさんの歌う「あばよ」ではなく、ご本人が歌う「あばよ」が本来の形だということもできないだろう。どちらが聞き手の好みかという問題はあるが、それとこれとは別問題だ。どちらの「あばよ」も、聞き手の心にちゃんと届く。それこそが重要なのである。



僕の脚本はちょっと特殊な部分が結構あり、他の人が上演するのは難しいものが多いと自分では思う。しかしそれは、言い換えると「汎用性」「普遍性」が少ないということであるように、僕には思われる。汎用性があるというのは、独自性が弱いという否定的なニュアンスがあるが、では中島みゆきさんの曲やシェイクスピアの戯曲は、何の変哲もないありふれたものだろうか。そうではない。そこには時代や国を超えて伝わる普遍性がある。だから、多くの人を惹き付け、色々な人によって演じられ、歌われる。別の言葉で言うと、「愛されている」ということだ。
僕もできればそういう作品を書きたい。Favorite Banana Indiansでしか見られない世界というのも勿論いいのだが、同時に、他の人の手によって上演されても魅力的だと思われるものを生み出すのも、やり甲斐のあることである。シェイクスピアも中島みゆきさんも、独自の世界観を強く持っていながら、多くの人を惹き付ける。ありふれていないのに、分かりやすく、かつ深い。僕が目指すのはそこだ。万人が取つきやすいエンターテインメントでありながら、普遍的で奥深いものを描く。それができたら最高だと思ってやっているのである。
芸術ではなく、芸能。前衛ではなく、娯楽。でも文学。しかし戯作。表層的で、かつ深淵。芥川賞よりも直木賞。そんなところに辿り着ければと思っている。



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