杵島 隆(きじま たかし)先生に、生前お会いできたことは

私も誇っていいかも知れない。

なんたって、日本の広告写真の先駆者だ。

なんたって、皇居前でフルヌードを撮り、警察に怒られた人だ。

美しい蘭の写真を発表した時、あまりの素晴らしさに

どんなテクニックを使ったのか?質問責めに遭い

「戦前のドイツの旧いカメラとレンズを使っただけなの」

と笑って答えた人だ。

見上げるほどの高身長で、アメリカ人と対等にやりあえたけど、

顔には赤ちゃんみたいな、はにかみの表情を浮かべていた。

 

 

「昭和になりかけの頃だったと思います。父親が大事にしてた

盆栽の枝をポキリと折りました。家にひろい床の間があって、

そこでふざけていて、はずみだった気がする。

ぼくは怒られる!と思ったのに、オヤジはね、

折れた枝を黙ってじ〜っと見てましたヨ」

 

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ドラマが最高潮に達する時、

頂点でシャッターを切るか、最高になる手前で撮るか、

盛りを過ぎて下りかけたタイミングで写すか、

写真は感性の世界だと杵島さんは言った。

 

「感性の世界は教えられない」と伝えたかったのかも知れない。

教えられない、というのはもちろん、お弟子さんを突き放すとか

自分の作品を神秘化して守りたいとかいう意味でなくて、

その人がもっている生の感覚─本人しか変えるべきではないと

杵島さんが絶対的に考える領域を─(かんたんに言えば)

相手を尊重することだったんじゃないかと思う。

 

興奮のピークをちょっと過ぎたタイミングで撮られた舞台写真、

代表作『義経千本桜』はそんな感性で編まれた。

 

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他にも、たくさん撮られた蘭の花の写真。

それは特攻隊時代に亡くなった戦友への鎮魂を込めた

ライフワークだったと、杵島さんの知り合いらしい編集者が

なんにも知らない私に解説してくれたが、

私には隣りで黙っていた先生の姿のほうが印象に残った。

 

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なにが語れるというのだろう?

いつも見上げる時、枝と枝のつくりだす複雑な構図に惹かれる。

咲いた桜は散るが、樹は残るから、私に感傷はない。

それでも花期が終わってしまうと1年間意識しなくなるのは

なぜだろう? 心のスクリーンに映っているのが

枝なのか花なのか自分でも分からない。

それとも

写っていたという思いが錯誤なのか?