心の整理収納アドバイザー丹羽志津子(にわしずこ)です。
人生の折り返し地点をすぎた今「自分について振り返る」そんな記事を書いていこうと思います。
「人生の棚卸」片づけ講座で「生前整理」のお話をするときに、「人生の棚卸」という言葉を使っています。
モノの整理ではなく、心の整理をする機会にお付き合いいただけると嬉しいです。
子供時代の記憶から、書き始めますね。
人生最初の記憶は2歳の頃。母からトイレトレーニングをしてもらっているところ。これを覚えている人、いるかしら?(笑)
また5歳のころ「ようやく5歳になった。でも50歳になりたくない」と、何故か思っていましたね。
何の意味があるのか、自分でもさっぱりわかりませんが。50歳も超えてみると、意外と楽しいですよ。
1963年公務員の父、専業主婦の母のもと、長女として生まれた私。3つ違いの弟と4人家族、両親に大切に育ててもらいました。
贅沢な暮らしではありませんでしたが、幸せでしたね。
幼いころ母から聞かされた話は「結婚したばかりの頃は、父ちゃんのお給料が少なくてやりくりするのが大変。酒屋の前を何度も行ったり来たり。喜ぶ顔を見たいけれど、買おうかどうしようか迷ったんだ。それぐらい、厳しかったんだよ」と。
この話は私のお金に対する価値観の原点かもしれません。
母はやりくり上手。家計簿はつけなくても、赤字をださずに暮らしている人。たまに作ってくれる手作りのホットケーキは、ところどころがダマになってちょっぴり酸っぱい味。
お金をかけずに愛情をかけてくれました。
近所の同じ年の友達と泥んこになって外で遊び、洋服を汚して帰ると、綺麗好きな母に決まって叱られます。
「なんでこんなに汚してくるの!」と、風呂場でゴシゴシと力いっぱい雑巾で拭かれます。それでもまた懲りずに洋服を汚す子供時代でした。
その一緒に遊んでいた友達が保育所に通うようになると、遊び相手がいなくて寂しい思いをしました。
「つまんない。お母さん。つまんない。」
「何か詰めておきなさい」と母。
「違うの。そういうつまんないじゃない(泣)保育園に行きたい。お母さん一生のお願いだから。」
私は子供時代に「一生のお願い!」を何度したことか(笑)
子供には、親の経済事情はわかりませんよね。母の立場で考えると「母を困らせるできごと」でしょう。
専業主婦の母では「保育園」は入れてもらえません。また「幼稚園」に通わせるほどの経済的余裕はなかったんですね。
「家にはお金がなくて幼稚園に行けないんだ。」というのが子供時代に私に刷り込まれた記憶です。
父は母を外で働くことを許さない人でした。
母も何度か「働きたい」と父に訴えたようですが、父の大反対にあい諦めたようです。
自分の本心で生きるより、相手に合わせる生き方を母は選んだのだと、この記事を書きながら気づきました。
私の夫も、私が専業主婦であることを望んでいたのは、同じような運命だったのかもしれません(苦笑)
今は専業主婦ではなく、自由にさせて貰えることに非常に感謝しています。
この話は、のちに書きますね。
なにごとも問題が起きないことが「幸せなこと」ではなく「苦難に負けない。強い自分になる」これが幸せなことだと気づいた私です。
次回【私の物語2】弟が生まれてに続きます。