【なにも起こらないのが奇跡】「なんでもない毎日」が人生だからこそ | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

こんつあ~!

メンタリストを見終わって今度は美味しんぼを見始めた景呼です。

ふり幅(笑)

目についたので「お、懐かし~!」と見始めたら面白い(笑)

昭和!!って感じがとてもよくて、バブリーな設定と海原雄山の突っ込みどころの多さ。

効果音も「ボン・ぴん・びよよぉ~ん」みたいなね。

ながら見には平和で良きです(笑)

 

 

さて、またすっかり黙ってましたが、日々平和に暮らしております。

でもちょっと最近忙しすぎました。

余白が少ないからもう少しスローペースに過ごしたいところ。

 

で、今朝も今朝とてメンバーとウォーキングしてめっちゃ笑いました。

楽しかった~。とても、もうとても、とてつもなくくだらない話をしていたんですが、それがいいんです(笑)

しょうもないことでゲラゲラ笑えるのって最高に幸せです^^

 

日々、どこにでもあるような毎日を過ごしている私ですが、じわ~んとした幸せをかみしめています。

「ありがたいなあ」とつくづく思います。

前はそんなのつまらないと思っていたのですよ、「もっと刺激が欲しい!」みたいな(笑)

「私はこんなもんじゃない」みたいなのとかね(笑)

 

いつのころからか「こんなもん」な自分を卑下してるわけじゃなくそのまんまで過ごせるようになって、歴史に名を残さない凡人として肩の力を抜けるようになってきてから、急激に幸福度が上がったなあと感じています。

 

張り切らなくなったら楽になるのはもちろんなんですが、逆にすごく面白いこととか今までと違った出会いとかが勝手にやってきたりして、とても面白い。

 

あと、落ち着いているからか知らんけど気づきがいっぱいある。

というより、より気づけるようになってるのかもしれないですが。

ふっ。ふっ。と来るものがあって「あ、そっか」「あっ、なるほど」という感じで。

 

何か出来事がギャーンと起こってしんどいことから学ぶんじゃなくて、平和に楽しく過ごしながら「あっ」「おっ」という感じでしみじみくる感じです。

 

で、そのすべてが我々の知り得ぬ「何か」から働きかけられるものなんですよね。

それを人は色んな呼び方をするんだと思うんですけど、とにかく人智を超えたものであるなあと。

 

で、「あっ」「あるほど」とかって受け取るたびに湧いてくるものがあります。

それが「ありがたいなあ」ということです。

なにしろ頼んでなくても世話してくれる(笑)!


「助けがある」というフレーズが何度も浮かんできて、何のことかなあ?とか思ってたけど、こういうウィスパーなヘルプがいつも降り注いでいることがすでにそうであるのだなあと思うとまたありがたい。ありがたや。

  

メンバーAちゃんのメールの一部

================

急に何か変わるわけではなくて、引き続き、このわりと楽しい平和な暮らしは続くこと。葛藤も悩みもなくて、何も起こらないこと。それで良いかと。

 

 

こだわりがなくなり過ぎて、結果的にはいつも通り、まぁ、いいか、で落ち着いています。

 

 

景呼さんの解説が超絶わかりやすいので、脳というアプローチで、自我は無い→客観視すること・メタ的な物の見方、に繋がるまでが、理解できました。

本当になんて濃密な内容のグルコンなのだろうと、ありがたい気持ちです♡

=================

こちらこそ、いつも本当にありがとうございます♡

 

ほんと、そう。

Aちゃんが何かをあきらめて「もうこれでいっか」といってるのではないことがよくわかります。

色々こだわりがなくなって、何も「特別なこと」が起こらないことが幸せだと私は思います。

それは「いいことがない」とは全く別の意味です。

 

そして逆にそれが定着していくと予想外の面白いことが起こってくるから不思議です。

でもそれすら起こらなくても大丈夫って思えてる基盤があるから無敵だと思うんだなあ。

 

「人から見てすごいこと」が起こるよりも、心配も不安もなくて平和で楽しい毎日であることが、一番だと思います。

それほど幸せなことって、ないよね!

 

ああ、よかったぁ。

よかったなぁって思います。

ありがたいですね。

マジ、ありがたい。

 

ということで、股!!!!