梅え酢トマト(笑)
文字で記すと下手物と言われそうですが、山形県東根市の壽屋さんの梅え酢を愛飲している私が夏バテで汗を掻きすぎて水分が不足して熱中症になりかかった?時にたまたま買ってあった食塩不使用トマトジュースを少し飲んだ後に空いたスペース?に梅え酢を混ぜて飲んだら意外にイケる(笑)。そのままガブガブ720mlのペットボトルを一気飲みしちゃいました。まあ、好みは分かれると思いますが、トマトは身体を冷やしてくれるから夏バテ対策になかなか良い取り合わせではないかと私個人的に感じます。試してみてはいかが?(笑) ちなみにトマトジュースと梅え酢は4対1くらいでかなり梅味が強くトマトのなんとなく感じるクセがあまり感じられなくなります(笑)。多分変な?怪しい?サプリとか栄養ドリンクより身体に良いと思います。トマト嫌いなお子様もちょっと試してみては? バブル時代に騙されて栄養ドリンクがぶ飲みして膵臓を壊した私と似たり寄ったりの轍は皆さんは辿らないことを希望します(笑)。今、念のため梅とトマトの食べ合わせをネットでチェックしたら意外にたくさんの人が梅干しと冷やしトマトの簡単レシピをアップしていて、梅え酢トマトも悪く無さそう(笑)。
斉藤義龍と一色氏
斉藤道三を討ち美濃の大名となった斉藤義龍が一色氏を名乗った理由はほとんどの研究者が不明としていますが、家永氏の今川氏関係の論文に応仁の乱の過程で美濃の斉藤妙椿の兄利永が一色義直の弟義遠の子供を土岐氏家督に迎えたのが当時の美濃守護土岐成頼と指摘(岐阜市史通史編原始・古代・中世から引用)していて、そもそも戦国時代の土岐氏は一色氏の血筋だったようで、斉藤義龍はやはり自分が一色氏の血筋=道三ではなく土岐頼芸の子供と宣言したのではないかと感じますがいかがでしょうか? 親殺しとの織田信長からの批判をいなしてむしろ主家を乗っ取った逆賊道三を討った正当性を主張するために必要なアピールだったのではないかと感じます。そうなると六角氏が斉藤義龍との縁組を拒絶した理由として義龍の家格の低さを指摘していることは斉藤義龍の主張はあまり受け入れられなかった=だからこそ六角氏との縁組みを望まざるを得なかったのかもしれません。義龍の子供の龍興と六角氏が共に織田信長に倒されたのは皮肉とも言えると感じます。
霞について
万葉集から古今集にかけて春の訪れを霞から感じる歌について、万葉集では雪が降りながら遠い山に霞が掛かるのを見て春の訪れを感じる歌があり、恐らく奈良の佐保とか春日辺りはまだ雪が散る寒さでも南の葛城山や多武峰辺りには南の暖かい空気が入り飛鳥川や曽我川辺りの冷たい空気に冷やされて霞が立ち、棚引くように降りて来るのが見えたんだと思います。古今集では春の訪れを告げる役から霞が消えて行くのは平安京の南には高い山があまり無く霞はむしろ北や東の比叡山とか愛宕山とかになり、むしろ霞が見られるのは桜の花が咲いた頃と被るようになり霞がむしろ開花期間の短い桜を隠すことが意識されたようです。待ちわびる存在から邪魔な存在への変化。都の北への移動がこんなところにも影響しているかもしれません。日常生活がどこで営まれているかも考慮して捉える研究や批評が意外にされていない、なおざりにされている、既存の権威なんてこの程度で、その権威を鵜呑みにして自分で考えない人が他人の意見を馬鹿にして面従腹背みたいに裏で切り捨てている醜悪さを今日はたくさん見てやれやれと感じます(笑)。
追記(笑)。霞は普通棚引くと私は思いますが、三輪山では霞は立つと詠まれていて、三輪山は大和川と巻向川の合流地点で川の水温が比較的高いから大和川上流の谷から入る比較的冷たい風が霧ではなく霞に変わるのが春告げとされたから霞み立つと詠われたように感じます。平安京も鴨川がすぐ東に流れていて比較的気温が高く湿気もあるから霞みは棚引くとは受け止められなかった=東山を越えて来る東風は高度を下げても鴨川の水温で比較的空気が暖かくあまり冷やされないから白くならなかったのではと感じます。